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(回答先: 30日間ファストフード食べ続けたら....話題の米映画「スーパーサイズ・ミー」 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 28 日 09:12:46)
って言われそうですが、雑談ゆえに結論なし
■後藤新平と正力松太郎の「グランド・デザイン」
先日空耳板に投稿した「今なぜ後藤新平か」の東大でのシンポジュウムに行ったんですが(詳細略)パネラーの佐野眞一が実に興味深い話をしていました。元が警察官僚だった正力松太郎は内務大臣時代の後藤新平の部下だったのですが、いわゆる虎ノ門事件で失脚し野に下るわけです。アナアキスト難波大助が摂政(後の昭和天皇)をステッキ銃で狙撃する前代未聞の事件です。その正力松太郎が倒産寸前の読売新聞を買収して社主におさまるわけですが、今の金で3億円相当の軍資金を提供したのが後藤新平。此の話は「美談」になっていますが、実は色々裏のある話(ばっさり省略)。正力が読売新聞立て直しの秘策としたのは当時の新聞にない、文化面、娯楽面、家庭面を充実させたこと(麻雀欄まであったという)にあったのです。つまり明治以降の近代化が一段落して都市に中産階級なるものが出現する「大衆化現象」がおき始めていた。いわゆる「円本ブーム」もその一つの表れということになります。衣食足りれば人間は文化、娯楽を求めるわけです。この辺の話は『近代日本の批評 昭和篇』(講談社学芸文庫 柄谷行人、蓮見重彦、三浦雅士、浅田彰)に詳しいのですが、大衆社会というのは要は丸山真男の言っていた「亜インテリ」今で言えば「意見を言うバカ」(自嘲)が輩出してくる時代になった。事実マルクス主義関連の書籍が大量に出版され、都市のインテリ層や地方の地主階級の子弟は争って読んだわけで、こういった人たちの中から日本共産党の思想的な影響下で左翼運動に参加していく者が出てくることになります。こうした傾向は昭和10年の共産党弾圧で水をぶっ掛けられて収束していきますが30年代の「革新官僚」と呼ばれるエリートたちは一度はマルクス主義の洗礼を受けた事になるわけです。正力松太郎の考えたのは「弾圧」だけじゃない、そういう「間違った道」に行かないような対抗的なカルチャーあるいはメディアの創出だったということです。
これは戦後において更に加速されます。読売が日本テレビを作ってNHKより先にテレビ放送を開始する、売り物は巨人戦のナイターと力道山のプロレスですね。テレビでナイターやプロレスを見て結果を翌日の読売新聞で反芻して、さらに職場でその話で盛り上がる、高度成長を目前にして「つまらない事」を考えずにその日、その日だけ考えて暮らしていけばいい、という「牧人的権力」、ありがたいことです。
正力松太郎の描いたグランド・デザインは戦後50年近く有効だったわけで、悪党は悪党でも桁外れの大悪党。佐野眞一が言っていましたが「大正力」に比べればナベツネなんか正力の作った舞台の上で裸踊りしていただけの「チンピラ」にすぎない。そのチンピラの盟友が大勲位中曽根君、わはははは。その中曽根が「まとも」に見えるくらいの小悪党しかいないからね、今は。
円本ブームと同じく金子ふみ子の手記「なにが私をこうさせたか」の映画化など竹中労のいう「傾向映画の時代」があったのですが、この辺は長くなるのですっ飛ばします。
■綿矢りさVS浜崎あゆみ
で、「仕掛け」「仕掛け」と皆さん仰いますが、きょうび仕掛けの無いものなんてありえねー(笑)。「本当に良い物はいつか評価される」なんて信じているんだったら、あまりにナイーブかオメデタすぎる。最近(でもないか)綿矢りさと金原ひとみの芥川賞同時受賞なんて「フツーそこまでやるか!!」で、江藤淳先生はイヤなもの観ないで済んだので早く死んで(ヲイ、ヲイ)幸福だったかもしれない。まぁ、「りさタン、背中蹴って!」っていうアホもいますけど。
しかし椎名桜子じゃないけど電通がカネやタイコで囃し立てて、団扇であおいでも失速して地面に激突する奴..いやお方もいるわけです。ある「立ち位置」は確保できるがそれから先は本人のポテンシャルの問題です。実は「愚昧な大衆」はその真贋を良く見ている、その視線は非常に残酷です。「マスコミに踊らされているだけだ」とか言ったって何もわからないわけで、俺様は賢いんだと自惚れているアホなコメントはもういい。だからこそ正力松太郎に「何が当たるか」見抜く眼力があったという点で悪魔的だというわけです。
事物は必ず「両義的」であって芸能(あえて芸術とはいいません)=表現というのは人間の根幹にかかわる問題であって、どんな下らないテーマであろうが人間の身体によって表現されたもの、演じられたものは、あるポテンシャルを持っている、「真、偽」ではなく優れた表現は人を共感させるわけです。それに思い及ばない右や左の「政治主義者」は「不要不急の歌舞音曲の類」とバカにして政治的利用しか考えていない。でも芸能=表現の世界はTORA氏の様な「右のスターリン主義者」が夢想しているように啓蒙主義や「これはだめだ、こっちを見ろ」の「牧人思想」じゃぁうまく行かないように出来ているわけです。「愚昧な大衆よ、目覚めよ」ってか、余計なお世話だ、「面白ければいいジャン」。
私はペ・ヨンジュンがまず「表現者としてどの程度のタマか」ということが第一義なんですね。文化侵略とか大騒ぎしているヲヤヂは浜崎あゆみが中国、台湾、韓国でどれだけカリスマ的な影響力をもっているか判らないと思う。(これは南青山さんの世界かな)ヨン様なんか全く問題じゃない。北京でのライブのニュースを見たけど(入場料高いから高級幹部や金持ちの子弟だろう)中高生ぐらいの女の子が「あゆ、大好き!」ってポスターやCDを胸に抱いて集まってきて超満員。会場のノリを見ても日本の若い子たちと変わらない、ユングの「共時性」じゃないけど浜崎あゆみはその子達と「同じ夢を見る」ことが出来るんだと思うんですね。野坂昭如の古い台詞でいけば「時代と同衾」しているということでしょう。(と書く私も充分ヲヤヂだけど 笑)
当然「文化侵略」と、どっかで聞いたような大騒ぎするバカヲヤヂは中国、台湾、韓国にもいると思いますけど、コンサートに来た子達がいずれ大人になって社会の中核になる、あゆほど「国益」に寄与している子もおるまいと思う今日この頃。(笑)
■日本の「ヨン様」早川雪州
日本のヴァレンチノと書こうとしたんですが「ヴァレンチノってなに」とか言われそうなので。『戦場に掛ける橋』でアレック・ギネス、ウイリアム・ホールデンと共演した事もすごいが実は1920年代のアメリカ映画に主演し「東洋の怪人」というお定まりの役を演じながら、亜米利加婦女子の心を蕩かしたという「国際派スター」の草分け、「2042」のキムタクはコケてしまったけど、今だと誰だケン・コスギか?(大笑)
ヨン様が受けたのも、かつて三浦友一が演じていたような「正統派二枚目」というジャンルが日本で消滅した盲点を突いてきたとも言えるわけです。個人的には中村獅童は「ピンポン」の時からファンで期待してますが、中年のご婦人にはちょっとなー。
要は「ウケけた者」勝ち、ポテンシャルで勝負しろ、「弱っちい言いつけ小学生」は下らないということで終わり。