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毛沢東革命は、律令制度への復帰という観点から捉える事ができると、考えています。毛沢東革命の新しさは、男女同権、共産党と政府の2面性、唯物論的な修飾、でしょうか。土地の共有化の徹底も含めた、生産手段の共有化 −− 共産化 −− は、律令制度の復活と、見る事ができます。
毛沢東思想は、唯物論という修飾はあれど、その底辺に流れる思想、宗教は、中国、4000年の歴史で培われたものだと、見る事ができるのではないでしょうか。土地を含めた主要な生産手段は、皇帝のものであり、皇帝から借用して、生産を行う、という制度、それを支える考え方と、基本は同じでしょう。
共産党の機能の一つとしての、若者を育てる役割は、科挙に受かるように教育する制度と似ています。
現代中国においても、土地は国家の所有であり、個人、企業は、土地を借用して利用します。国家のものであるからこそ、三峡ダム周辺の、100万人の移住、沿海部に発達する巨大都市の建設が、10年ほどで、可能なのでしょう。
(日本を見ると、成田飛行場の規模でさえ、あれだけ、もめたのでした。土地の共有化など、日本では、あり得ないでしょう。頼朝の時代から守ってきた、先祖代々の土地、という思想がありますから。)
これほど、中国では、律令制度を支えてきた思想、宗教が、社会の基礎にあるのだと思います。だからこそ、共産党独裁が、可能なのだと考えます。
(日本の自民党は、政権交代がないという観点からは、独裁的に、見える面もあります。しかし、自民党は、律令制を支える思想のような、客観的に書ける思想、宗教に基いた独裁ではありません。調整こそが日本の政治、という考え方に基き、その役割を一人占めする、という意味で独裁だったわけです。)