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(回答先: 補足の意味も含めて 投稿者 如往 日時 2005 年 1 月 04 日 17:22:02)
だと思います。
ゾウリムシもえさの有る方向にむかって動き、危険を感じれば逃げます。
人間も欲望の対象に向かって動き、恐怖の対象からは離れようとするものでしょう。
欲望と恐怖が人間の行為を動機付ける最大の要因であり、今日それは情報によってもたらされる。
という仮定が当を得たものであるなら、それら三つ「欲望、恐怖、情報」を一手にコントロールする「権力」
に対抗する事は、絶望的な営みとも思えます。
これら三者を自らコントロールする事が出来なければ、「権力」の支配に屈する他に選択肢はありません。
「欲望」については、「物欲を捨てる。」というやり方は好きじゃありません。
「欲望の再開発」=自らの欲望を取り戻し、自らの支配下に置く。
「情報」については、多数の投稿者が指摘するように、マスメディアの本質を理解し、プロパガンダに踊らされない「情報力」を養う事。
「恐怖」、これは如往さんの今回のテーマ「恫喝」に深く関わる問題なのですが、難かしいです。
最大の恐怖とは、死の恐怖だと思います。恫喝にしても脅迫にしても「殺すぞ。」という脅し以上に怖いものは有りません。「テロで死ぬかもしれないよ。」は同じ内容のソフトな表現でしょう。
私がもし、三位一体の権力を持つ支配者だったとしたら、
死の恐怖を克服した者達、を、現実に抹殺する事に力を注ぐ事でしょう。
激しい憎しみや、激しい愛によって、人は死の恐怖を克服する事があり得るということは「自爆テロ」や「心中事件」など実例をもって証明済みです。
「死の恐怖を克服した者」には恫喝も脅迫も効果がありません。そのような者に情報操作によって欲望や恐怖を吹き込む事は不可能でしょう。彼らは支配の網のほころびになり得る潜勢力を秘めています。
見つけだして殺さなければ、やがて災いをもたらす者達です。
ファルージャで、他所で、行われた事は、この事なのではないでしょうか?
追記:HNについて、ずっとニョオウさんだと思っていました。「如来」の反対語を作って自らのHNとするとは
・・・恐れ入りました。 往ってよし!
では、失礼