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朝日新聞9月18日
http://www.asahi.com/special/040904/TKY200409180265.html
(ベスラン第1学校の概略図)
ロシア南部の北オセチア共和国で起きた学校テロ事件では、いまだ解明されない疑問点が残されている。なぜ人質がいた体育館で大爆発が起きたのか。なぜ交渉は失敗したのか。情報操作はあったのか。犯人グループの正体は。こうした点は、事件後の当局者の説明では必ずしも明らかになっていない。現場で集めた証言と、現地発の報道で検証する
■爆発 部隊の攻撃が誘因?
「体育館の爆発は偶発事故だ。その後、人質への銃撃を阻止するため、部隊が応戦した」(アンドレーエフ連邦保安局北オセチア局長=4日)
これに対し、校舎のすぐ裏に住む元北オセチア議員トルチノフさん(63)は朝日新聞の取材に、校舎近くに展開してきた特殊部隊の動きと、爆発との関連性を指摘する。
3日午後、中高部裏の庭に放置された遺体を収容するため、4人の救助隊員が近づいた。トルチノフさんは、隊員の背後で、路上の装甲車の陰に身を潜めて近づく迷彩服の兵士を見た。武装集団の1人が気づき、あわてて校舎内へ駆け戻った。銃声が聞こえたのはその直後だった。校舎からの発砲で救助隊員2人が倒れた。すぐに装甲車から機銃掃射が始まった。数分後には体育館から爆発音がして、黒煙が立ち上ったという。
人質だった同校のグチエフ元校長は「犯人は、部隊が突入してくれば即座に爆破すると公言し、体育館に爆発物を仕掛けていた。爆発は偶然などではない」と断言した。
イングーシ共和国のアウシェフ元大統領は、地元紙との会見で「爆発直後に犯人と連絡を取った。彼らは『突入された』と叫び『爆破だ』と口走った」と明かした。犯行グループが庭で始まった銃撃戦を「部隊突入」と判断し、起爆させた可能性を示唆した。
アウシェフ氏は大統領だった97年、当時のチェチェン共和国のマスハドフ政権承認に踏み切り、チェチェン独立派に一定の影響力を持つ。今回の事件では、当初から犯行グループがチェチェン独立派と関係があると見られたため、北オセチア共和国のザソホフ大統領が、アウシェフ氏を交渉役に引っ張り出した。
■交渉 要人温存、裏目に
「テロリストとの交渉を最優先し、最善を尽くした」(アンドレーエフ局長=4日)
犯行グループが2日、イングーシ共和国のアウシェフ元大統領に手紙で渡した要求は、すべてチェチェンに関するもので(1)独立承認(2)ロシア軍撤退(3)独立国家共同体のPKO部隊派遣――だった。犯人側が交渉相手に指名したのは、プーチン大統領の側近、アスラハノフ大統領顧問(北カフカス担当)だった。
だが、北オセチアの政府高官は「アスラハノフ顧問にすぐ現場に来てくれと頼んだが、応じてくれなかった」。ザソホフ北オセチア大統領は、米誌タイムに「自ら直接交渉するため学校に入ろうとしたら、連邦軍の大佐に『入れば逮捕する』と脅された」と語った。
プーチン大統領は、要人を交渉の表舞台に出すというカードを、ぎりぎりまで温存しようとした。アスラハノフ顧問が現地に入ったのは、事件発生から3日目の午前。体育館の爆破という惨劇は、その直後に起きた。ズガエフ北オセチア大統領府情報部長は同日夕、武装集団と最後の電話をした。リーダーの男は「責任はクレムリンにある」と言い放ったという。
ザソホフ大統領はプーチン大統領の判断を待たず、チェチェン独立派のマスハドフ元大統領と連絡を取ろうと試みたが、実現前に惨劇は起きた。
■犠牲 人数確定できず
「人質になったのは1156人、死者は326人だ」(ウスチノフ検事総長=15日)
ベスランの現地対策本部は事件初日、「人質は120人」と発表した。2日目には「354人」に修正した。実際はその3倍以上もいたことが明るみに出たのは、すべてが終わった後だった。
事件直後は、ボイラー室に隠れて逃げてきた生徒の証言に頼った。生徒は体育館内の状況を知らなかった。武装集団の数も12〜16人と発表。2日目に人質の家族を呼んで名簿を作ったが、不完全なまま発表したようだ。
現場指揮権を事実上握った連邦保安局のアンドレーエフ北オセチア局長が、数字の発表に消極的だったとも指摘される。8日付ノーバヤガゼータ紙は「政府は社会的影響を考慮して公表を控えた」と報じた。イングーシ共和国のアウシェフ元大統領も、地元紙に「モスクワは真実を求める声を無視した」と述べた。
ベスラン社会保護局の内部情報では人質数はモスクワ発表より多い「1360人以上」。犠牲者数も明確ではない。検視当局によれば、他にも鑑定が必要な遺体の一部は約100。14日付の新イズベスチヤ紙は「100〜200人の行方不明者がいる模様だ」と報じた。
■実行犯 イスラム教、原理主義の影
「テロリストは全部で32人。首謀者は『大佐』と呼ばれたが、身元確認はまだだ」(ウスチノフ検事総長=15日)
15日付の有力紙コメルサントは、32人のうち11人の身元が分かったと報じた。チェチェン系6人、イングーシ系4人、オセチア系1人。ほかにアラブ系が数人いた。
情報筋によれば、仲間から「大佐」と呼ばれていた黒ひげで長身の人物は、イングーシ生まれのルスラン・フチバロフ容疑者(32)とみられている。警察が殺人容疑で指名手配していた。
フチバロフ容疑者はもともと、今回の事件の犯行声明を出したチェチェン独立勢力の最強硬派、バサエフ野戦司令官の影響を受けていた。バサエフ司令官が主宰したイスラム教原理主義組織「ジャマート」に参加。故郷ガラシキ村に「タリバーン」と命名したキャンプをつくり、テロの訓練をしていたらしい。
コメルサントが報じた容疑者の中に、地元オセチアから唯一加わったホドフの名がある。この人物も昨年までガラシキのキャンプにいたらしい。しかも、今年8月に現場の学校の改修工事に来た労働者によく似ている。工事に紛れて床下に武器を隠すなど、準備段階から加わっていたようだ。
劇場型テロの手口からも、02年秋にモスクワのノルド・オスト劇場を占拠したテロ事件の黒幕だった、バサエフ司令官の影が透けてみえていた。 (09/18 16:34)
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