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(回答先: ちょっと本気で米国追従を考察してみる。 投稿者 考察者K 日時 2004 年 10 月 23 日 23:34:20)
長崎のキリスト教徒とアメリカのキリスト教徒は同じではないと思う。フィリピン人のクリスチャンにはアメリカ人のクリスチャンにはない寛大さがある。東アジア人はキリスト教と言っても多神教的だと思う。ただ、東アジアでも一神教的な人物はいるが。私はクリスチャンで良い人がいる事は知ってます。別にキリストメッセージさんは自分の信仰をそんなに否定する事はない。ただアメリカはキリスト教の悪い面が非常に現れている。
田中角栄は民族主義者であると同時にニューディーラーであった。しかし、その手法は小渕総理の時代には破綻した。日本の生態系は戦後59年間にすっかり変わってしまった。アトピー・花粉症が多いのもそのためだ。森林を保全する事で海の環境を守るという思想は江戸時代からあったようだ。
児童虐待、児童買春、暴力が日本全国で荒れ狂っている。このような中で文部省は教員免許をいつでも剥奪できるような制度を作ろうとしている。医療も教育も交通機関も不動産もお金儲けの手段としか見てない人が権力を持っている。警察発表垂れ流しのマスコミは真の批判者足り得ない。市場のむき出しの暴力が宅間をはじめ大量の殺戮者を生んでいるのだと思う。法務省が宅間の処刑を急いだのは、彼がこの社会への根本的な権力者にとって非常に痛い批判をするのではないかという恐怖があったからではないか?今は戦前の田中義一首相の時代にそっくりであるが、親が自分のストレス発散のために子どもを殺す、子どもが生きるために自分が犠牲になるのではなく、自分が生きるために子どもを犠牲にする風潮が蔓延しているという点では田中義一の時代よりもっとひどいとも言えるのではないか?