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(回答先: 宗教をあれこれ考察しても無駄でしょう。既に本当の教えは影も形もありません 投稿者 考察者K 日時 2004 年 10 月 24 日 19:18:48)
>ユダヤ人によるユダヤ人のための教えとも言えます。勿論、理念的には見習うべき点もありま>すし、素晴らしい教えも多いです。
>しかし、既に理念も本当の教えも影も形もありません
>キリスト教の教えが実践されていれば「アメリカ合衆国は存在しませんでした」
>それが存在している事実が「日本人では理解しきれない一神教の恐ろしさ」です。
>Kの想像では唯一の絶対神を信じないものは「悪」と云う意識を感じます。
>「悪」は滅ぼしても良い訳で、「どんな良い人でも最終的には殺人者になります」
>ジハドというのは聖戦です。宗教は「方便であることを認識しない限り狂気です。」
リベラルとうものは宗教が方便であるという事を認める方向のビジネスマンだと思います。アメリカも「キリスト教原理主義」の支持を受けたネオコン・レーガン政権の時代に中国・カンボジアの無神論者と手を組み、ビジネスをしましたので。中にはダーティーなビジネスもあったでしょう。だから、宗教は方便だと認めればよいのですが、保守派のビジネスマンの中には、これを熱心に信奉する事で、真実と思い込み、自分を追い込む事でホッブス的な世界観の中で、世界の競争者に打ち勝つという者もいると思います。大統領選は支配層の茶番でも、保守かリベラルかは被支配層のクリスチャンにとっては重要な問題なのです。俗にキリスト教原理主義と呼ばれるゴリゴリの保守的クリスチャンにとっては、リベラルは異教・異端に寛大な悪であり、異教徒同様滅ぼさねばならないと考えていると思います。キリスト教はイエスの死後、結局自分達もパリサイ的なセクトになってしまいました。パリサイ批判者がパリサイになる。
私の主観で見た世界の民族の考え方
多神教徒:神々→人間・社会・共同体
イスラム教徒:絶対神→部族共同体
ラテン・カトリック:絶対神→家族→個人
スラブ・正教徒:イスラムとカトリックの中間型
旧大陸プロテスタント:絶対神→行政→労働組合→個人
アメリカンプロテスタント:絶対神→個人→企業→国家権力あるいは絶対神→個人→労働組合
アメリカでは、イスラムなどのように一切の共同体のクッションを置かずに、よりストレートに個人が神と向き合って、エゴむき出しで世界と闘争する事になると思います。その中で、保守とリベラルの対立というのは、ビジネスにおいて、神をどう位置付けるべきかの対立ではないかと私は勝手に推測しています。神あってのビジネスなのか、ビジネスあっての神なのか、です。日本の場合、右翼と左翼の対立があっても、そんなことはどうでも良いはずですが、アメリカ人にはそういう緊張関係が個人と神との間にあり、しかも日本人はアメリカの神学論争を傍観者として見ているだけな訳です。アメリカにとっては、神学論争というのは決して無駄な論争ではなく、現在の生活・仕事に関わる命懸けの論争なのではないでしょうか?日本人の神との緊張感のなさ、アメリカ人との違いは、仕事の仕方でも違ってくるでしょう。日本では、絶対的なものがなく、宗教も人も自然も神も、全てが等価値に置かれています。保守的なアメリカ人にとって、一神教というのは疑う事の許されない絶対的に正しいものに服従する事だから、リベラルというのは信仰的に間違ってます。アメリカ人=リベラルなんて思ったら、とんでもないかも知れません。むしろ、反リベラルこそアメリカの主流であり、本道であると考えて良いでしょう。そして、本当に宗教にリベラルな立場を取れるのは多神教である我々でしょう。リベラルという言葉は少しおかしいかも知れないが、宗教に対して自由・寛大な態度を取る事です。アメリカは社会が荒廃した70年代後半からむしろ、かえって先祖帰りしてますます絶対神への服従を強めています。レーガン政権誕生には、原点回帰・本来あるべきアメリカの文化要求志向があると思います。この政権にはそれまでの単純な冷戦的世俗的反共政権にはない、キリスト教的世界観がある。第三世界でも70年代前半まではファノン、ゲバラ、毛沢東、ホーチミンのような親ソ社会主義、第三世界・有色人種解放思想が主流であったのが、ソ連経済がゆきづまった70年代後半からイスラムへの回帰が強まりました。レーガン政権誕生の同じ年にイランでバニサドルが失脚し、資本主義・社会主義への停滞感により、米ソ冷戦時代から宗教対立時代に世界は突入したといえるでしょう。アメリカでもレッドパージ以前は共産主義は強かったが、戦後レッドパージによってマルクス→ラジカル→リベラル→エコロジーと左翼が腰砕けになって急後退し、代わりに70年代にはますます宗教回帰が強まりました。70年代の思想の動きは現在世界を見る上でもかなり重要だと思います。