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(回答先: Re: 「ジェンダー・フリー」に関する中学入試問題/へ〜! 投稿者 NWX 日時 2004 年 7 月 28 日 23:38:31)
NWXさん、どうもです。
>自分は心身共に性別オンナなんですが、あっしらさんは?
私は身体的性別はオトコです。
>なんでこの記事に興味を持ったんですか?
興味を持ったのは、この間、議論板でジェンダーに関連するやり取りをずっとやってきたからです。
その過程で、「支配−被支配関係構造」という根源的な問題を脇においてしまうような、様々な社会問題を「性的対立」に結びつける傾向を好ましからずものと主張しています。
今回紹介した「ジェンダー・フリー」に関する中学入試問題も、「公的学校教育制度」(私立学校も含む)が「支配−被支配関係構造」の安定化と再生産過程であるという根源的問題がすっぽり抜け落ち、“技術論”や“文化論”さらには「支配−被支配関係」の中性化が「ジェンダー・フリー」という観念で語られている(語らせようとしている)ものです。
入試問題に即して言えば、
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Qあ:学校の名簿は男子が先になっているので、並ぶときはいつも男子が前だ。
Aあ ・・・いつも男子だけが先に進んだり、早く終わるのは不公平である。
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たぶん、学校の名簿は性別・五十音順で整列されたものになっているのでしょう。
集会などで外で並ぶときには、身長順で整列しているのでしょう。
このような“被支配グループの組織的秩序性”や“支配者にとっての管理の容易さ”を重視した手法という問題はともかく、「男が先に終わり、女は待たされる」のが常態なら、不公平という問題ですから、性別順位や五十音順を逆順にすることで解消されます。
おわかりだと思いますが、氏名の五十音順でも不公平は発生しています。
「男の渡辺」と「女の阿部」はそれほど待ち時間が変わらないはずです。
このような不公平が常態化しているとしたら、“管理者”=教師がそのような「不公平是正措置」が面倒なので実行されていないというのが実情だと思っています。
それ自体にどうという価値はない学校の名簿が、女性→男性であってもまったくかまわないと思っています。
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Qい:児童会長は男子で、副会長は女子と決められている。
Aい ・・・会長にふさわしい人が男子とは限らず、女子に任せても問題ない。
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児童会という制度やその役職者である児童会長や児童副会長を選ぶというのは、現実の国家社会の「支配−被支配関係構造」の映し絵のようなものです。
(しかも、児童の必要性から自生的につくられた制度ではなく、教師によって実質的に支配された虚構というか擬制のものでしかありません)
制度問題を別にすれば、「会長にふさわしい人が男子とは限らず、女子に任せても問題ない」と私も思っています。
しかし、制度問題を脇においたまま、支配者は性別によるものではなく、“能力”ないし“人気”で選ばれべきという論に危うさを感じます。
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Qう:女子が黒いランドセルを買ったら、「女のくせに」とからかわれた。
Aう ・・・黒が好きな女子も、赤が好きな男子もいる。
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個人の趣味嗜好と、ある社会が観念として持つ「趣味嗜好」のずれが、ある個人の言動に現れた例で、性差によらず「ある位置にある抽象化された存在に関するこうあるべき論」はそれこそ無数にはびこっています。
(児童や生徒はこうであるべき、学生はこうであるべき、従業員はこうであるべき、中間管理者はこうあるべき、老人はこうあるべき、など。それらが、そういう人たちを管理する(使う)側の論理(都合)で打ち出されていることは間違いありません)
最たるものは、「人間とはかくあるべき」というヒューマニズムです。
○○はかくあるべきというのは、「支配−被支配関係」を円滑かつ安定化させる重要な観念です。
「女のくせに」とからかわれたら、黒いランドセルを背負って見せて、「クールでよく似合っているでしょ」というリアクションで相手を飲み込んで欲しいと思っています。