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(回答先: 興味を持ったわけなどを簡単に 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 29 日 15:05:35)
こんにちは、ちょっとだけコメントさせてください。
あっしら様*******
その過程で、「支配−被支配関係構造」という根源的な問題を脇においてしまうような、様々な社会問題を「性的対立」に結びつける傾向を好ましからずものと主張しています。
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これは翻すと、「女性」であるがゆえに、あるいは「男性」であるがゆえに、「差別」やら「抑圧」やら「制限」を受けている、受けてきた経験・状態を口にしたり、改善を求めたりすることをするな、という主張にもなりかねませんよね。
そういうことを意図されているのでしょうか?
もちろん、全体的な「支配−被支配関係構造」も問題だけれども、具体的な「差別」の告発として、「限定して」主張していく、という方法は、認められないものなのでしょうか?
すべてのフェミニズム的主張が、世の中のすべての問題がジェンダー問題に還元されるとは考えていないのに、そのようであるかのように語るのは欺瞞ではないでしょうか。
ジェンダー・フリーなどが問題になっているときに、そこにある「支配−被支配関係構造」とやらを読み込まずに、単なる「性的対立」に極小化しているという風に読み込むのは、ジェンダー・フリーを主張している人の側の問題もあるかもしれませんが、むしろ、その言説を受け取る側の問題であるのではないかと思います。
たとえば、ふりーせる教育というジェンダー・フリー概念を取り入れた教育方法を実施していた自治体で、「慎吾ママの歌に母親が料理を作るという歌詞があるのはジェンダー・フリーに反する」として、運動会などで音楽を流すときにカラオケにした、などという報道がなされ、それにたいして「ジェンダー・フリー教育おそるべし」みたいな批判が出てきていましたが、あきらかにこれは、「ジェンダー・フリー教育」恐るべし、ではなくて、そのような理念を形式的に標榜していままでのやり方を(上からの指示を機械的にこなそうとする行政の)「官僚制おそるべし」の事例だと思われるわけです。
しかし、官僚制的対応を批判するのではなく、「ジェンダー・フリー恐るべし」ということを言うだけで終わるのであれば、これはジェンダー・フリーを主張している人が「性的対立」に問題を還元しようとしているというよりもむしろ、ジェンダー・フリーを批判している人のほうがより「性的対立」還元主義に陥っているといっても良いと思います。
あっしら様の主張も、気をつけなければそうなる可能性があります。
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制度問題を別にすれば、「会長にふさわしい人が男子とは限らず、女子に任せても問題ない」と私も思っています。
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と本当に思われておられるのでしたら、この点についてもよくお考えくださいまし。
(いや、きっと思慮深いあっしら様でおられますので、お考えのこととは思いますが)
あっしら様*************
今回紹介した「ジェンダー・フリー」に関する中学入試問題も、「公的学校教育制度」(私立学校も含む)が「支配−被支配関係構造」の安定化と再生産過程であるという根源的問題がすっぽり抜け落ち、“技術論”や“文化論”さらには「支配−被支配関係」の中性化が「ジェンダー・フリー」という観念で語られている(語らせようとしている)ものです。
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中学入試問題は、「公的学校教育制度」の只中に行われているものなので、その問題のなかで「公的学校教育制度」に対する批判的見解を述べよという問題が、大学等ならまだしも、中学校で出されるとはあまり思えないのですが・・・・
また、とりあえず、「ジェンダー」という概念に対する「知識」「見解」に限定して問おうとしている問題であるのだから、その背景にある「公的学校教育制度」の問題にまで考察を広げよ、というのは要求のしすぎではないかとも思われます。
この試験問題を奨励しているというわけではありませんが、入試問題に対して、以上のような要求(?)を述べるというのは、無理があるかなあと思います。
むしろ、「公的学校教育制度」に懐疑を持たせるような入試問題を作る学校があってもいいとは思いますが、その回答がいかなる形で利用されるのかを考えるとまたちょっと怖い話だなあとおもわれ・・・・
ついでにいうと、学校教育制度内で直接的には、学校教育制度を批判しにくいときに、間接的ではあれ「ジェンダー」にかかわる硬直的な対応を学校側や生徒間の間に見出すとき、その背景にある「制度的問題」やら、ジェンダーにかかわらない無数の制約からを見出す契機ともなるわけです。この可能性は無視できないです。
要は、「ジェンダー」を主張するからには、男性と女性という「性」のみの問題に還元しないような議論になるように主張する側、論じる側が気をつけていけばよいわけです。これは、言葉上だけで「ジェンダー」以外の問題がある、というだけではなくて、具体的な「ジェンダー」の問題から全体的な(ここでいえば)「支配−被支配関係構造」の問題へとつなげていく論理を見出していけばいいわけです。
聞く人が聞き、読む人が読めば、世の中は「性的対立」還元主義では成り立たないということもわかるでしょう。
繰り返しになりますが、「ジェンダー」の問題を口にすると、すべて「性的対立」に還元されてしまうから危険だ、とだけ言い募ることは、「性的対立」還元主義を強化することはあっても、解体することはないでしょう。
そのようなことになりかねないを堂々とおっしゃるから、あっしら様は「支配−被支配関係構造」を解消するといいながら、実のところはその構造を強化しようとしている。高度かつ複雑な主張活動をされているのではないかと、疑ってみたりもしたくなるわけです。
(本気で疑っているわけではありませんが、こういう疑問を出した質問はことごとく無視されてきたように私としては受け取っているので、ほんとにそうなのかとちょっと思いかけています)
まあ、理解力のないあほカスがあまり絡むとまたご迷惑でしょうから、この辺で。
ではでは。