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(回答先: Re: 「文明の終わり」をいかにアナウンスするか 投稿者 デラシネ 日時 2004 年 12 月 02 日 07:53:39)
デラシネさん、レスありがとうございました。
貴殿のお考えは、私にはおよそ同調できるものです。ただ、私は根が楽天的なので、貴殿ほど「文明の終わり」を悲観的に受け取ってはおりません。「文明の終わりは、人類の死では必ずしもなく、別の文明の始まりにもなりうる」ことを、時に暗い気分におちいりつつも、想起しています。また文明の終わりにあたって、日本が相対的に有利な立場にいることも、多少の支えとしています。
文明に属し、文明の恩恵を十分以上に受けている者として、その「終わり」は非常に痛いのですが、一方で、「この文明は終わるべきものである」という思いもぬぐいきれません。現代文明を支えているものは化石燃料ですが、それは何億年という、人間のタイムスパンを遙かに超えた年月を経て、地球が作ってくれた財産です。それをたかだか100年で半減(以上?)させてしまった現代文明、しかもその多くを、携帯電話に代表されるような、生存には直接関係しない「遊び」に浪費してしまった現代文明は、第三者の視点でみると、終了してしかるべきものでしょう。
デラシネさんは、図らずも「では、生きてるうちに何をすべきか?」とコメントしてくださいました。取り返しのつかない浪費をしてしまった我々は、これからはその他に、「何をすべきではないか?」も考えねばならないと思います。
それから死についてですが、私は「死を恐れるのは若者の特権」と考えています。若く、健康で、未来があり、可能性を信じられる「若者」には、死は恐怖以外の何者でもないが、老いて、病身で、未来も可能性も信じられない者にとっては、死は救いでありうるという、平凡な見解です。現代文明は、化石燃料の大量消費と引き換えに、「死を恐れることのできる」多くの「若者」を生みだしました。その終了が目前となった現在、一昔前は普通であったろう「老人」の視点が有効になるような気がしています。
デラシネさんは、誰からもレスのつかない「放り投げのスレッド」に対し、これほどの暖かいレスを展開されたという一点だけでも、「浅学菲才」ではありえません。今後ともどうかよろしくお願いいたします。