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[副題]共産主義(コミュニズム)とネオコン(新保守主義者)の繋がりを疑う
この小論考は全くの想像(悪夢)の域を出ないものである。
しかし、このような観点で今の世界を再考すると、アフガン戦争、イラク戦争そしてパレスチナの地獄絵図と地球規模の混迷の源流が「民衆の国語力を弱めつつ世界のリアリズムを支配する」という、いわば「狂信的で邪悪な、しかもきわめて論理的に計算された一つの原理的意識」であることがわかる。
もし、その源流からの流出効果が薄れたときこそ、イランと北朝鮮の危機が現実のものとして踊り出てくる。平和の実現のために、この狂信的で邪悪な意識に抗うことができるのは唯一つ、「ペンの力」(正しい国語力、公正なコトバ)だけである。
この想像が現実化すると、それは「第三次世界大戦」であろう。まさか、“構造カイカク、カイカク!”の日本が、その引き金を引くような愚行に走ることはないと思うが・・・悪夢はあくまでも悪夢のままで終わることを願っている。
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★科学的社会主義(共産主義思想/科学的社会主義による世界統一思想)を体系化したカール・マルクス(Karl H. Marx/1818-1883)の両親は共に由緒あるラビ(ユダヤ教の聖職者)の家系であった。古代ユダヤ思想の中心となるのは「メシア待望論」であり、メシアとは超人的な英知と感性を持った全能の存在とされ、それが「新約聖書」ではキリストである。
★「旧約聖書」の根本、言い換えればユダヤ教のメシア思想の根本は、ダビデの星(メシアの復活)の下に世界中の富(カネと財物)を集めて「新生イスラエル」を創り、そこから「聖戦」(先制攻撃、予防戦争)を仕掛けて世界中の異教徒たちを殲滅し、世界を再統一するという超原理主義的な考え方である。
★そこで、“実はマルクスのコミュニズムと原理的なメシア思想が表裏一体のものであった”と仮説すると、シカゴ大学のレオ・シュトラウスを教祖とするコミュニストからの転向者とされるネオコン一派の過激な「先制攻撃論、予防戦争論」の実像と、彼らがドイツ・フランスなどの「文化多元主義的な世界市民社会論」(国際法重視、国連中心の民主主義世界の確立)を拒絶する意味がリアルに立ち上がる。
★また、このような観点から約50年に及ぶ「米ソ対立の冷戦時代」を振りかえると、現代史の新たな側面が浮かび上がってくる。
★しかも、このように考えると、ネオコンが「新保守主義者」(Neoconservative)と呼ばれるのは悪い冗談のようにさえ思われてくる。
★それは、保守主義(伝統文化尊重主義)とネオコンが取る立場(多元文化破壊主義)は、月とスッポンか水と油の違いの如く全くの別物だからである。
★この点については、“伝統保守主義”の評論家・西部遭氏が、いつかどこかで語っていたように思われる・・・要するに゛サヨク(超革新)だの、ウヨク(超保守)だの”という議論は、フランス革命の時の国民公会で、たまたまどちら側に座ったのかということなので、「そんなことは大した問題ではない!」ということになる。
★ただ一つ言えることは、意図的に育て上げた「貧弱な「国語力」の一般民衆」を誑(たぶら)かすためには、これで十分だという訳である。
★そして、このような観点から考えると「ネオコン(ユダヤ原理主義+コミュニズム)+キリスト教原理主義+ユダヤ教右派」という狂信(カルト)的な「原理主義三派」の結託によって、その「先制攻撃論、予防戦争論」が頑強に方向付けられている「ブッシュ政権の危険性」が恐ろしくリアルに見えてくるはずである。
<参考URL>
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://blog.goo.ne.jp/remb/