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(回答先: <「民衆の力」を左右する「国語力」の問題]>の深層 投稿者 鷹眼乃見物 日時 2004 年 9 月 30 日 06:20:02)
鷹眼乃見物さん、こんにちは、横レスにて失礼します。
「レンブラントの眼」をロムしていて、また今回の標題に触発されるものがあり、レスした次第です。
>しかし、このような観点で今の世界を再考すると、アフガン戦争、イラク戦争そしてパレスチナの地獄絵図と地球規模の混迷の源流が「民衆の国語力を弱めつつ世界のリアリズムを支配する」という、いわば「狂信的で邪悪な、しかもきわめて論理的に計算された一つの原理的意識」であることがわかる。
我々の想像を遥かに超えて“彼ら”選民とその下僕による各国民衆にたいする愚民化策が浸透し、かつ奏効している様子を物語るものではないでしょうか。つまり、民衆には自分たちの都合に沿った反応を求めて、同時に民衆の思考力の鈍化を促進している訳です。
>もし、その源流からの流出効果が薄れたときこそ、イランと北朝鮮の危機が現実のものとして踊り出てくる。平和の実現のために、この狂信的で邪悪な意識に抗うことができるのは唯一つ、「ペンの力」(正しい国語力、公正なコトバ)だけである。
その下地になるべき物事を論理的に思考し捉えられるような知的訓練が必要であると痛感しています。
日本の学校教育のあり様を一瞥して、それが十分なされているかというと、甚だお寒い現状であると思います。一方、戦後教育を担って来た日教組の側に、学生に与えるべき如何ほどの論理的スキルがあったかというと、遺憾ながら皆無といっても過言ではないでしょう。他方、校長等の管理職や不確かな伝統を墨守せんと躍起の保守的教育論者は学生の論理的思考の醸成など、誰も全く指向してはいないかのようです。
自身の過去を振り返ってみても、同じことが言えます。小学校、中学校、高校を通じて論理的思考を涵養するようなカリキュラムは不在でした。辛うじて大学の専門課程に入ってから、例えば文科系においては哲学ならば論理学、文学ならば修辞学、経営学ならばマーケティング論というように、しかしインデックス程度に触れるだけでしたし、別にゼミを履修してスキル・アップしないかぎり到底それらは使い物にはなりませんでした。
>★「旧約聖書」の根本、言い換えればユダヤ教のメシア思想の根本は、ダビデの星(メシアの復活)の下に世界中の富(カネと財物)を集めて「新生イスラエル」を創り、そこから「聖戦」(先制攻撃、予防戦争)を仕掛けて世界中の異教徒たちを殲滅し、世界を再統一するという超原理主義的な考え方である。
世界の再統一というよりは一切のゴイムを排撃した後の千年王国の建設が“彼ら”の最終目的であると考えています。“彼ら”の3分の2を失おうとも成し遂げるべき使命であるらしいのです。つまり、教義には“彼ら”3分の2の犠牲とゴイムの全滅は織り込み済のことのようです。
>★そこで、“実はマルクスのコミュニズムと原理的なメシア思想が表裏一体のものであった”と仮説すると、シカゴ大学のレオ・シュトラウスを教祖とするコミュニストからの転向者とされるネオコン一派の過激な「先制攻撃論、予防戦争論」の実像と、彼らがドイツ・フランスなどの「文化多元主義的な世界市民社会論」(国際法重視、国連中心の民主主義世界の確立)を拒絶する意味がリアルに立ち上がる。
マルクスのコミュニズムから民衆の抵抗能力をスポイルしてしまえば、千年王国成立の補完的条件を構成するものになり得ます。また千年王国の成立には、片方では人間家畜牧場の建設が十分条件となるのかも知れません。
踊らされた挙句が柵で囲まれないようにするためにも、“彼ら”の策謀には国語力=論理的思考力を以って対峙していかなければならぬとの主旨には、賛同いたします。また、そうした心得は大いに自己防衛に資するものと考えます。
また、会いましょう。