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(回答先: 国語力=論理的思考力? 投稿者 如往 日時 2004 年 9 月 30 日 12:56:29)
如往さん、大変に懇切でご教示に満ちたレスをありがとうございます。
光学系の機能不全が原因で幼くして失明した人が成人後に「処女開眼手術」を受けた場合には、その人の視覚学習(視力回復のリハビリ訓練)の効果を高める(モノの形や色の区別がつくようにする)ことが極めて困難だそうです。
それは、このようなケースでは、その人なりの一定の「視覚空間世界」が既に完成しているためです。また、この場合にリハビリの効果を高めるため無理強いをすると、その人は形を知るために触覚に頼ろうとするようになり、手を前へさし出したり唇を突き出したりという具合で、目の働きとは無関係な身体動作をするようになるそうです。
このことは、アフォーダンス理論が説明するように“人間(動物)の感覚や認識は環境と一体となって形成される”ものであることを示唆しているようです。
つまり、人間も含めた動物の感覚(認識)には、我われが常識的に考えているような意味での「不変的価値」などというものは最初は無いのかもしれません。むしろ、感覚や認識にかかわる「不変的価値」の核心となるものは、「環境−人間関係−環境」という“ある一かたまりの関係性”のなかで創生されるものだと思われます。
従って、正常な「感覚と論理性」(これが普遍的価値の核心)を身につけるための「幼児期の教育」が最も重要だということになるようです。特に日本の文部科学省には、このような意味での「普遍的価値の核心」についてのシビアな理解が欠けており、周辺知識の伝達作業(暗記中心の作業)だけを偏重しているように思われます。
・・・なにやら無関係なことを連想してしまいました・・・
今後ともよろしく、お願いします。