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「クズ」の考察A_読む「吉野葛」 ←「読解力ゼロのクズ」と言う前に日本文化を顧みる
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/1013.html
投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 11 月 21 日 22:32:13:ayjHlPlEsGXTU
 

(回答先: 「クズ」の考察@_食べる「吉野葛」 ←「読解力ゼロのクズ」と言う前に日本文化を顧みる 投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 11 月 21 日 22:28:26)

2チャンネルやネット掲示板で多用されている「クズ」について多角的に再考したく、次に、文豪・谷崎潤一郎の中期の代表作『吉野葛』の紹介です。

谷崎は明治19(1886)年、東京・日本橋人形町に生まれ、関東大震災後に関西へ移住し、昭和3(1928)年の『蓼食ふ虫』を転換点として古い風俗習慣の残る関西文化に傾倒し、『吉野葛』『芦刈』『春琴抄』など、独特の重層的構造と古典的文体の物語文学を完成させました。
前年、親友の佐藤春夫に10歳年下の妻・千代を譲った谷崎は、満州事変:柳条湖事件(1931年9月)直前の昭和6年5月、再婚直後の22歳年下の妻・丁未子と供に和歌山県伊都郡高野町の宿坊寺院・竜泉院内に滞在します。この体験は、母性思慕の情感が吉野の風物や伝説と溶けあって清冽な抒情性を湛えた『吉野葛』に結実します。

崇拝とも蔑視とも取れる谷崎特有の女性観を表した中期以降の作品には、再婚の5年前の昭和元年に芥川龍之介の宿で出逢い、再婚の翌年から半同棲し、再婚の4年後に再々婚した17歳年下の妻・松子の面影が強く反映されていると言われます。
谷崎・初期の作品『痴人の愛』は、始めの妻・千代の義妹・せい子との交際から生まれたと言われます。せい子は女優となり、芥川龍之介や今東光と親交がありました。

谷崎の3人目の妻・松子は、船場の有名な綿布問屋の一人息子・根津清太郎の夫人でしたが、谷崎よりも芥川に憧れていたと言われています。芥川が自殺したのは、金融恐慌のあった昭和2(1927)年のことです。
なお、松子が始めの夫・根津清太郎との間に設けた娘・恵美子の夫は能の観世栄夫(1927年生れ)で、映画化された『鍵』(監督・神代辰巳)や『昭和二十年八月十五日−終戦日の荷風と潤一郎』(監督・森崎東、監修・松本清張)に出演しています。



引用: 谷崎潤一郎『吉野葛』(「中央公論」昭和六年一〜二月号)_上越教育大学・小埜研究室

あらすじ

 私が大和の吉野の奥に遊んだのは、すでに二〇年程前、明治の末か大正の初めのことである。私は南朝の自天王の事跡について歴史小説を書きたいと思っていたが、一高時代の友人津村の親戚が吉野の国栖にいたので、津村と一緒にその親戚を訪ねた。吉野の「国栖」は手漉き紙の産地である。津村の親戚昆布氏も製紙を生業としていた。私はそれまで二度吉野へ行ったことがある。一度は母に伴われ、一度は高等学校時代に。妹背山の芝居の舞台を見ながら、母に「あれがそうだ」と教えられた。今でも私はそのことをなつかしく思いだす。二度目に来たときは、亡母を偲んだ。

 菜摘の里にある静御前の初音の鼓の話を津村がした。「静御前が親狐の皮で張った鼓を鳴らすと、忠信狐が姿を現すというあれだね」鼓をもっている大谷家を訪ねると、初音の鼓は皮は無く、胴ばかりであった。主人は正直に言い伝えを信じていた。主人の頭にあるのは古代を象徴する、高貴な女性である。津村は大谷家を辞したあと、初音の鼓を慕う心は狐に勝る。あの鼓を見ると、親に会った気がすると言った。津村の両親ははやくに没していた。津村は初音の鼓と彼自身にまつわる因縁、彼が今度の旅行を思い立った動機、目的を話した。

 「四つか五つの時、島の内の家で琴を弾いていた上品な婦人の姿を覚えている。婦人が弾いていた生田流の「狐カイ」のことも覚えている。この曲が母狐が秋の夕暮に機をおり、寝ている我が子に「恋しくは訪ね来てみよ和泉なる」と障子へ書き残す、浄瑠璃の葛の葉の子別れの場に基づいていることは分かった。自分は信田の森へ行けば、母に会える気がして行ったこともあった。私が常に恋い慕ったのは母であった。母を恋うる気持ちは「未知の女性」への憧憬となった。過去に母であった人も、将来妻となる人も、等しく「未知の女性」であった。」

 津村は千本桜の道行を好んだという。自分を忠信狐になぞらえ、親狐の皮で張られた鼓の音に惹かれながら、吉野山の花の雲をわけいって静御前の跡を慕っていきたいと思ったという。「だがそれだけではない。自分は本当に初音の鼓に引き寄せられてきたのだ」津村の母は吉野の人だった。津村の母は二十九歳で亡くなった。津村家に縁付いたのは十五のときだが、それ以前は狭斜の巷にいた。暮らし向きに困って娘を金に替えた。祖母が死んだあと、母の実家から母に宛てた手紙が出てきた。津村は祖母の百日日が済んだ後、手紙の住所をたよって母の実家を訪ねたという。長い間夢に見てきた母の故郷の土を踏んだ。昆布家では十七八になる娘が紙を漉いていた。昆布家には母の姉おりとがいた。末娘が津村の母おすみであった。母の形見の琴があった。母のかぼそい指がはめたなつかしさに堪えず、琴爪を自分の小指にあててみた。

 津村の旅の目的は、伯母の家を訪ねたときに出会った十七八の娘に結婚の申し込みをするためであった。お和佐さんというその娘は、もう一人の伯母おえい婆さんの孫であった。面差しが母の顔に共通するところがあった。私は「それが君の初音の鼓か」と聞いた。「ああ、そうなんだ。今度の旅行に君を誘ったのも、ぜひ会ってもらって君の感想を聴きたいと思ったからだ」翌朝、津村と私はしばらく別行動を取ることにした。津村は昆布家で大切な話をまとめるために、私は歴史小説の取材のためにそれぞれの場所へ向かった。津村は取材の後は、柏木のお和佐さんの家に立ち寄ってくれと言った。私は入の波まできた。柏木まで一里の道程だ。温泉があるというので行ってみると「おーい」を呼ぶものがいる。見ると、津村が多分お和佐さんと一緒に吊り橋を渡ってくるところだった。私の計画した歴史小説は材料負けの形で書けずにじまいに終わったが、この時に見たお和佐さんが今の津村夫人であることは言うまでもない。だからあの旅行は私よりも、津村にとって上首尾をもたらしたわけである。

問題点

1) 二十年以上前に津村と一緒に行った吉野の体験を「私」が語る必要はどこにあったのか。結末に「私の計画した歴史小説は、やや材料負けの形でとうとう書けずにしまつた」とあるから、「私」の吉野行の目的は十分果たされなかった。「此の時に見た橋の上のお和佐さんが今の津村夫人であることは云ふ迄もない。だからあの旅行は、私よりも津村に取つて上首尾を齎した訳である」とあるように、津村がお和佐さんと一緒になったことが本作の眼目となっている。吉野は「私」にとっても亡き母をしのぶ場所であったことは言うまでもない。「私」はそのことを表立っては語らない。「私」の思いは津村の体験によって代弁されているかのようである。父はおろか母のこともわずかにしか覚えていない津村の薄幸は、生前の母を記憶している「私」以上である。その津村が「未知の女」という形で、母の形代ともいえるお和佐さんを嫁に迎えるために吉野へ行き、その願いを成就させたことは、「私」の母恋いの思いをも満足させるものであった。二十年以上前の体験は、それが津村のものであったにせよ、「私」の体験と思わせるほど渾然と記憶のなかで融合されていったのであろう。

2) 本作はまことに物語らしい物語である。「自天王の御事跡を中心に歴史物語を組み立ててみたい」と思っていた「私」は、物語を組み立てていくに十分な材料を得る。だがそれが「やや材料負け」となり、書かれることがなかったことからすると、あまりにお誂えむきの好材料はかえって物語とはなりにくいのかも知れない。本作は、そうした内実さえも物語内容の中でメタ的に語りながら、津村の話を中心に、その内容を種々な語りのテクニックで変奏させ、しかも豊富な古典文献を下敷きにして語っていく。エピソード相互が連想的に関わりを持たされていることも本作の特徴であろう。「私」の直接の体験ではなく、津村の体験として間接的に語っていくこと、直前の体験ではなく、二十年前の体験として間接的に語っていくことも、本作の特徴である。その間接性は体験そのものを純化する役割をになっている。

3) 永井荷風「狐」、志賀直哉「小僧の神様」、正岡子規「一日物語」との対照。漱石「彼岸過迄」の須永の語りとの対照。



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