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「クズ」の考察C_訪ねる「九頭神」 ←「読解力ゼロのクズ」と言う前に日本文化を顧みる
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/1020.html
投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 11 月 22 日 07:32:58:ayjHlPlEsGXTU
 

(回答先: 「クズ」の考察B_訪ねる「吉野国樔」 ←「読解力ゼロのクズ」と言う前に日本文化を顧みる 投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 11 月 21 日 22:35:33)

2チャンネルやネット掲示板で多用されている「クズ」について多角的に再考したく、4番目に、国樔人の神である「国樔神」、「久須斯(くすし=薬師)」、「九頭神」または「国津神」の歴史を探訪します。


引用: 上宮神社・國樔神社_神奈備

由緒


吉野郡吉野町入野(しおの)の國樔神社 鳥居、社域

 創祀・由緒は不明。
 入野集落には國樔神社が津風呂湖東端の勝光寺の付近に鎮座していた。この下宮の神社に対して当社は上の宮と呼ばれていた。なお下宮の国樔神社は当社へ合祀されている。上宮も下宮も創祀・由緒は不明。
 上宮も下宮も国樔神社であり同じ神を祀るようであるが、下宮の神は女神でありえらい神様だと見なされていたと云う。(吉野町史)
 国樔の神を女神とするのは、水神であると云うことだろうか。

上宮神社 平成祭礼データから


社殿(春日造素木一間社檜皮葺)

 入野峠の北方に鎮座する旧村社で、国栖人の祖神・石穂押分命を祀る。石穂押分命は『記』『紀』神武天皇の条に出る神武天皇が吉野川流域に入られた節大石を押し分けて奉迎した国栖人の祖で、国栖地方にこの神を祀る社が数社ある。本殿は春日造素木の一間社。社頭に文政十三年(1830)のおかげ灯籠の外、紀元二千六百二年五月高井敏雄・森本金作寄進の石灯籠がある。

参考書 『平成祭礼データCD』、『吉野町史』


引用: 久須斯神社_神奈備

由緒


吉野郡吉野町三茶屋の久須斯(くすし)神社 鳥居

 創祀・由緒不詳。久須斯神を祀ると云う。『吉野町史』によれば、九頭神と同義で、水神、河神とする。
 一方、社頭説明では少名毘古那神としている。 クズ神が元来水神であるだろうことは、その立地分布から推測される所である、また少名彦名神も大地国土の神である大国主神とペアで国造りをしたと云うことは、土と水とで水耕栽培の稲作が成立する所から、水神である。この神は高皇産巣神の掌から落ちてしまったと云う、こぼれ落ちたのなら水、また薬神であるのは、鉱脈の間を流れてきた水には微量な金属分が含まれており、効能があった水もあったのは現在の飲む温泉水の存在でも言えること、同時に朝露となって葉の上できらきら光っている水滴には神が宿っているように感じた人も多いのではないだろうか。

社頭掲示 久須斯神社と三茶屋の集落


久須斯神社 社殿

 この神社は久斯之大神を祀る三茶屋集落に住む人々の氏神です。大井の大水上之神と笛吹の天照国照日子火明之命の二柱を合わせて祀って、俗に三社大明神と呼ばれています。
 久斯之大神は少名毘古那神とも呼ばれ、大国主之神とともに国造りをした神とされています。また、古来より医薬の神とも、酒造りの神としても信仰されています。
 この神社の前を通る道は伊勢街道と呼ばれ、伊勢参詣の人々が往来した古い街道で、それを示すように、社前には文政十三年(1830)の銘がある大神宮おかげまい詣りの石灯籠が建てられています。
 また、この神社がある三茶屋の集落は、東西に走る伊勢街道と、南北に通じる宇陀・吉野を結ぶ街道の交差点に位置し、古来より交通の要衝として発達したところです。かって、この集落内に上茶屋、中茶屋、なかやと呼ばれる三軒の茶屋があって、紀州徳川候が参勤交代のおり、ここで中食をとるところと定められていたことから、三茶屋と呼ばれるようになったといわれています。 吉野町文化観光商工課

お姿


久須斯神社 社殿(神明造一間社)

 遠目からでも神域の杜らしい様子がよくわかる。 境内は大きい杉の木々が聳えており、石積壇上の朱色の本殿とのコントラストが面白い。

参考書 『奈良県史5』、『吉野町史』


引用: 九頭神社_神奈備

由緒


宇陀郡大宇陀町牧の九頭(くず)神社 鳥居

 創祀・由緒不詳。久須斯神を建御名方神として祀る。
 覚恩寺の鎮守。この寺の由緒は不詳だが、平安時代の木像薬師如来像や鎌倉時代の阿弥陀如来像を安置する。薬師如来像は近くにあった法楽寺の本尊だったと云う。

『吾妻鑑 腰越状』から
 義経身体髪膚を父母に受けて、幾時節を経ず、故頭殿(源義朝)御他界の間、みなし子となりて、母の懐中に抱かれ、大和国宇多郡龍門の牧に赴きしより以来、一日片時も安堵の思いに住せず、甲斐なき命の許に存りといへども、京都の経廻難治の間、諸国に流行せしめ、身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖となして、土民百姓等に服仕せらる。

 どうやら常磐御前の生まれ故郷だったようだ。

『平成祭礼データ』参拝のしおり


九頭神社 社殿

 当社は、宇陀郡大宇陀町牧に鎮座しており、建御名方神(久須斯神)をお祀りしている旧村社。
 境内社は天押雲神社(天押雲根命)と春日神社(天児屋根命)大山祇神社(大山祇命)である。境内地の南側地続に、覚恩寺跡がある。小さな堂宇と、石造十三重塔があり、国の重要文化財に指定されている。当社の東南方に「今城」という城跡があり南朝方の牧氏居城であったと伝えるが、当社は覚恩寺の鎮守、城郭の鎮守として祀られていたのでないかと考えられる。以上

お姿


白塗りの本殿 白竜を思わせる

 神域の木々は周辺との際だった違いを見せているのは大抵の神社がそうだが、山また山の中でもやはり異彩をはなつ。 本殿は白塗りであり、このような神殿を見るのはめったにないこと。

参考書 『奈良県史5』、『寺院神社大事典 大和紀伊』


葛、国樔、国栖、九頭、国津と漢字表記される「クズ」とは国津神の子孫、即ち、この国の先住民であり、焼き畑農耕、狩猟、金属採取の生活を営み、それぞれ他の地域と物資の交換を行っていたものと思われます。
また、葛の民は山地を聖地として磐座信仰のネットワークを全国的に張り巡らしていたものと思われます。
彼らが倭民族に征服される過程で、早々と帰順した吉野では一定の地位を与えられたものの、あくまでも倭民族に抵抗した他の地域では「クズ」=無価値で唾棄すべき屑という意味の蔑称に貶められたようです。
これを現代に置き換えれば、多くの白人がアラブ人にテロリストのレッテルを貼る行為のアナロジーで考えることができます。

つまり、一面識もないネット上の他人に向かって「クズ」という言葉を、「読解力ゼロのクズ」などという蔑称の文脈で使用することは、「自分は勝ち誇る倭民族の一員であり、一面識もない他人は滅びて当然の先住民である。」と、勝手に宣言していることになります。
しかし、一面識もない他人は、果たして先住民なのでしょうか?あるいは倭民族なのでしょうか?また、先住民はどのような文献について「読解力ゼロ」なのでしょうか?

言葉を使うときは、重層的な背景の文化に思いを馳せつつ使ってほしいものです。

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