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(回答先: 急転:10年目の長官狙撃事件/上(その1) 解けた教祖の呪縛−−小杉容疑者【毎日】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 7 月 12 日 19:14:27)
7日の「長官銃撃で逮捕状」のニュースから時系列でその他各社記事記録(40本)。
警察はそのトップがやられたと言う面子のゆえにモタモタしたと同じく、その面子のゆえにたとえこじつけても、"犯人"を挙げて"解決した"ことにしたいと言う強い動機がありありだと思います。
と言うことで、たとえ犯人にたどり着いたのか、またはそうでないのかにかかわらず、また、記事からという制約はあるにしろ、出来るだけ漏らさず記録を残しておくことは大切だと考えています。
で、7日の「長官銃撃で逮捕状」のニュースから時系列でその他各社記事記録(40本)です。時間的には降順です。
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元巡査の小杉容疑者、「自分は撃たなかった」と供述(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040710i214&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、殺人未遂容疑で逮捕されたオウム真理教元信者で警視庁元巡査長の小杉敏行容疑者(39)は、「自分が撃った」とした1996年当時の供述について、逮捕後の警視庁の調べに、「8年前は、『警察官なのに重大な事件に関与した』と思っているうちに、だんだん自分が撃ったと思うようになっていった。頭が混乱していた」などと供述していることが10日、わかった。
狙撃事件当日の行動については、「現場近くにいて、住民に声をかけられた際、警察手帳を見せ、不審がられないようにする役だった。自分は撃たなかった」などと供述している。
一方、宗教学者の自宅マンション前に時限式発火装置を設置したとして、爆発物取締罰則違反の疑いで逮捕された教団元「法皇官房」幹部の石川公一容疑者(35)は、これまでの調べに、容疑の一部を認める供述を始めているという。
[読売新聞:2004年07月10日21時35分]
北朝鮮バッジ、ロシアで入手か=オウム早川被告、直前モスクワで-長官銃撃事件(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_10X109KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、現場に残されていたのと同じ北朝鮮のバッジについて、オウム真理教元幹部早川紀代秀被告(54)=坂本堤弁護士一家殺害などで死刑判決・上告中=が事件直前、モスクワを訪れた際、入手を図っていたことが10日、警視庁南千住署捜査本部の調べで分かった。
捜査本部は早川被告がバッジを持ち帰り、実行グループが捜査かく乱を狙って現場に残した疑いがあるとみている。
[時事通信:2004年07月10日21時16分]
事件直後、近接署に出勤=捜査状況把握目的か、小杉容疑者-長官銃撃(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_10X020KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、殺人未遂容疑で逮捕された元警視庁巡査長小杉敏行容疑者(39)が事件直後、当時応援要員として派遣されていた築地署ではなく、元来の所属先の本富士署に出勤していたことが10日、分かった。南千住署捜査本部は、現場に近い本富士署で緊急配備など捜査の状況を把握するためだった可能性があるとみて捜査している。
[時事通信:2004年07月10日16時15分]
事件のビラ作成認める=石川容疑者、「尊師の指示」-銃撃への関与追及・警視庁(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_09X979KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件に絡み、爆発物取締罰則違反容疑で逮捕されたオウム真理教の元「法皇官房」幹部石川公一容疑者(35)が警視庁の調べに対し、逮捕容疑となった学者宅爆破事件の現場で発見されたビラの作成を認めていることが9日、分かった。銃撃事件翌日にまかれた別のビラの作成も認め、いずれも「尊師から言われた」と、教団元代表松本智津夫(麻原彰晃)被告(49)の指示だったと供述しているという。
ビラやその原稿として石川容疑者が書いていたメモには、事件内容を正確に知っていないと書けない可能性がある部分もあり、警視庁は内容を詳細に検討。松本被告の側近だった同容疑者が銃撃事件に関与した疑いがあるとみて追及している。
[時事通信:2004年07月10日06時15分]
小杉容疑者と端本被告似の男、狙撃直前2回落ち合う(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040710i201&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁に殺人未遂容疑で逮捕されたオウム真理教の元信者で警視庁元巡査長の小杉敏行容疑者(39)が、狙撃役と見られている元教団「自治省」所属、端本悟被告(37)=坂本堤弁護士一家殺害などで死刑判決、上告中=に似た男と、事件当日だけでなく、直前にも2回落ち合って行動を共にしていたことが9日、警視庁の調べでわかった。
小杉容疑者は逮捕後の調べに「下見や事件当日に警察手帳を持参するように言われた。教団に利用された」と供述している。
これまでの供述で、小杉容疑者は事件5日前の1995年3月25日、元教団「諜報(ちょうほう)省大臣」の井上嘉浩被告(34)に渡されたポケットベルで呼び出され、女性幹部の指示で都内の地下鉄駅で端本被告似の男ら2人と待ち合わせ、東京・荒川区にある国松長官の自宅マンション周辺の下見に行ったことがわかっている。
その後の供述で、狙撃事件前日の3月29日午後にも、小杉容疑者は井上被告にポケベルで呼び出され、端本被告似の男と都内で落ち合ったことが判明。一緒に都内にある小杉容疑者の義兄宅を訪ねてワゴン車を借り、端本被告似の男に貸した。その日のうちに返されたという。義兄は警視庁に「確かにワゴン車を貸した」と証言した。
さらに、小杉容疑者は狙撃事件があった30日朝もポケベルで呼び出され、教団用意の車で事件現場に向かう途中、端本被告似の男に「コートを貸した」と供述した。
小杉容疑者が端本被告似の男と会った3回とも、井上被告に渡されたポケベルで呼び出されており、警視庁は教団が警察官の小杉容疑者を巧みに利用したと見ている。
[読売新聞:2004年07月10日03時20分]
捜査かく乱狙い北朝鮮軍バッジ、露で物色?…長官狙撃(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040709i205&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、東京・南千住の現場マンションから見つかった北朝鮮の人民軍バッジを、オウム真理教の元「建設省大臣」早川紀代秀被告(54)=坂本堤弁護士一家殺人事件などで死刑判決を受け、上告中=が、事件直前に訪れたモスクワで探し歩いていたことが9日、警視庁の調べで分かった。
モスクワでは店頭で北朝鮮バッジが売られており、警視庁は早川被告が同じタイプのバッジを探していた事実に注目している。
人民軍のバッジが見つかったのは、国松長官が1995年3月30日朝に狙撃された直後。現場となった荒川区南千住のマンション「アクロシティ」Fポートの南東側の植え込みに韓国の10ウォン硬貨とともに落ちていた。
目撃証言などから、この植え込みには狙撃犯が潜み、東隣のEポートの通用口から出てきた国松長官を狙撃したとみられている。
人民軍バッジについて警視庁南千住署の特捜本部が調べたところ、朝鮮人民軍の幹部などが付ける真正品で、日本国内では市販されていないものの、中国やロシアでは、横流し品などがマニア向けに売られていることが分かった。
早川被告は当時、教団内で武器の調達担当で、狙撃事件直前の95年3月17日から22日にかけてロシアを訪れていた。
特捜本部では捜査員を現地に派遣、早川被告と行動を共にしていたロシア人数人から任意で事情を聞いたところ、「(早川被告は)モスクワ市周辺の露店などで、『朝鮮人民軍バッジを売っているか』などとしきりに尋ねていた」「実際にバッジを販売している店に入って行った」などという証言を得た。
早川被告は、3月22日にロシアから帰国すると、山梨県上九一色村の教団施設「第6サティアン」に滞在していたが、狙撃事件当日の朝には、現場から約3キロ離れた墨田区内の高層マンションの前にいるのが目撃されていた。
このため特捜本部は、早川被告が、捜査かく乱のために現場にバッジや硬貨を置くことを発案した可能性もあるとみて調べている。
一方、Fポートの南東側の外壁には、狙撃に使われた拳銃から飛散した微粒物も付着していた。
特捜本部は96年春、警視庁元巡査長の小杉敏行容疑者(39)(殺人未遂容疑で逮捕)が「自分が撃った」などと供述した際、小杉容疑者のコートを鑑定したが、硝煙反応などを確認できなかった。
しかし昨年春になって、このコートを兵庫県三日月町の大型放射光施設「スプリング8」で再鑑定した結果、微粒物がコートのすそ部分から検出された。これが、Fポートの外壁に付着していた微粒物と一致したため、特捜本部は「コートの微粒物が、狙撃に使われた拳銃のものと矛盾しない」と結論付けている。
[読売新聞:2004年07月09日15時10分]
警察手帳で検問突破狙う(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__kyodo_20040709ts004&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、殺人未遂容疑で逮捕されたオウム真理教元信者の警視庁元巡査長小杉敏行容疑者(39)が、警視庁の調べに「実行犯と逃走中に職務質問されても、警察手帳を見せれば怪しまれないと思った」との内容の供述をしていることが9日分かった。事件の際、小杉容疑者は銃撃の実行行為に一切加わらず、現場近くに止めた車中で待機しただけだったことも判明。
[共同通信:2004年07月09日07時39分]
井上被告が「協力」指示=小杉容疑者に事件前-国松警察庁長官銃撃・警視庁(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_08X784KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、逮捕された元警視庁巡査長小杉敏行容疑者(39)が、オウム真理教元幹部井上嘉浩被告(34)から事件直前、教団に協力するよう指示されたと供述していることが8日、分かった。指示は長官銃撃に関する具体的なものではなかったとされるが、小杉容疑者はこれに従う形で現場の下見などをしていた。
[時事通信:2004年07月09日06時15分]
高層マンションで目撃=オウム早川被告、逃走メンバーと連絡か-警察庁長官銃撃(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_09X817KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、オウム真理教元幹部早川紀代秀被告(54)=1、2審死刑、上告中=が事件直後、現場から約3キロ離れた東京都墨田区内の高層マンションの廊下で目撃されていたことが9日、分かった。警視庁南千住署捜査本部は同被告が現場指揮者だったとの見方を強めており、事件後、それぞれの経路、手段で逃走した実行グループと連絡を取り合っていた可能性があるとみて調べている。
[時事通信:2004年07月09日06時15分]
「女性幹部に下見頼まれた」小杉供述大きく変化(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__yomiuri_20040709ic01&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件の殺人未遂容疑で逮捕された警視庁元巡査長の小杉敏行容疑者(39)が、警視庁の調べに次々と新しい供述を始めている。1996―97年当時は、元教団「建設省大臣」の早川紀代秀被告(54)=坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決、上告中=の名を挙げ、「その指示で事件にかかわることになった」と説明していたが、最近は「教団女性幹部に頼まれた」と説明を一変させた。マインドコントロールは3年ほど前に解けて精神状態も安定しており、警視庁は以前と大きく変わった供述を重視し、慎重に裏付けを進めている。
最近の供述によると、小杉容疑者は、狙撃事件が起きる5日前の1995年3月25日、元教団「諜報(ちょうほう)省大臣」の井上嘉浩被告(34)から「女性幹部に電話をかけてほしい」と電話で指示されたという。
小杉容疑者が女性幹部に電話をかけると、「教団を陥れようとしている勢力を調べている。協力して欲しい」と頼まれた。
東京都内の地下鉄駅に言われた通りに出向くと、元教団「自治省」所属の端本悟被告(37)に似た男らが待ち構え、向かった先が東京・南千住の国松長官の自宅マンション周辺。下見が目的だったという。
96―97年当時の任意の聴取に対しては、「早川被告から『教団が弾圧されている。尊師が期待している』と指示された」と説明していた。
新たに裏付けが取れたのはコートのクリーニング。小杉容疑者は、端本被告にコートを貸し、クリーニングに出すように言われて東京・文京区の寮近くの店に出したと供述したことが明らかになっているが、店員からきちんと裏付けが取れたという。
96―97年当時は、「自分が(国松長官を)撃った」「狙撃の際、井上被告から無線で『撃て』などと指示された」と供述したが、最近は「現場付近にとめた車の中で待機し、うとうとしていた」などと供述している。
また、現場にいたメンバーについての供述も一変。以前は、井上被告、早川被告、元教団「科学技術省次官」の林泰男被告(46)、元教団「防衛庁長官」の植村(旧姓・岐部)哲也容疑者(49)、逃走中の平田信容疑者(39)らの名を挙げていたが、今は早川被告に似た男、端本被告に似た男、植村容疑者などに変わった。
警視庁は、時間が経過してマインドコントロールが解けた小杉容疑者が、家族らに心を開くようになり、精神状態が安定、事実に即した供述を始めるようになったと見ている。
小杉容疑者については、狙撃事件前の95年3月23日、滋賀県警が逃走中の信者から押収した光ディスクの分析で教団信者であることが判明。井上被告も警視庁の調べに小杉容疑者の存在を明かし、警視庁は同年4月に小杉容疑者を捜査から外し、翌96年4月から事情聴取を始めた。
小杉容疑者は同年5月、「自分が撃った」などと国松長官を狙撃したことを供述。東京地検は97年6月、その信用性について「重大な疑問を抱かざるを得ない」としたが、警視庁はその後も定期的に事情を聞いていた。
◆マインドコントロール=暗示や薬物で人を惑わせたり、不安に陥れたりして、行動や感情を思うままに操ること。オウム真理教は、異常な集団生活や幻覚作用のある薬物を利用して信者の正常な判断力を奪い、地下鉄サリン事件など凶悪事件に加担させていた。
[読売新聞:2004年07月09日03時20分]
元巡査長「教団用意の車使った」…国松長官狙撃事件(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040709i101&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁に殺人未遂の疑いで逮捕されたオウム真理教の元信者で警視庁元巡査長の小杉敏行容疑者(39)が、「現場には教団が用意した車で向かった」などと供述していることが、8日わかった。小杉容疑者は、元教団「諜報(ちょうほう)省大臣」の井上嘉浩被告(34)=地下鉄サリン事件などで死刑判決、上告中=に渡されたポケットベルで呼び出されて車に乗せられており、警視庁は教団の組織的な犯行とみて解明を進めている。
供述によると、小杉容疑者は狙撃事件が起きた1995年3月30日の午前7時半ごろ、かねて井上被告に渡されていたポケットベルが鳴り、当時住んでいた東京・本郷の警視庁独身寮から、ベルに表示された番号に電話をかけた。
すると、井上被告ではない男が電話に出て、「今、本郷に来ている。手伝って欲しい。大きなコートを持って来てくれないか」と指示されたという。
小杉容疑者が濃いグレーのトレンチコートを手に寮を出ると、近くで白い乗用車が待っており、小杉容疑者は助手席に乗った。車内には、坂本堤弁護士一家殺害などで死刑判決を受けた元教団「自治省」所属、端本悟被告(37)(上告中)に似た男が後部座席に座り、かつらと付けひげで変装していた。運転席の男は、見たことのない若い男だったという。
車が南千住にある国松長官の自宅マンション近くに到着すると、端本被告に似た男は小杉容疑者に「何かあったら警察手帳を見せろ」と指示、小杉容疑者のコートを着て出ていったという。
端本被告に似た男は戻ってきた後、車の後部座席に乗り込んだが、約2キロ離れた台東区入谷の路上で、小杉容疑者と座席を入れ替わった、と同容疑者は供述しており、警視庁は目撃情報をかく乱しようとしたとみている。
[読売新聞:2004年07月09日03時10分]
頼まれコート貸した=小杉容疑者、端本被告似の男に-警察庁長官銃撃事件・警視庁(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_08X707KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、逮捕された元警視庁巡査長の小杉敏行容疑者(39)が現場近くで事件直前、オウム真理教元幹部端本悟被告(37)=1、2審死刑、上告中=に似た男に頼まれ、自分のコートを貸したと供述していることが8日、分かった。コートからは銃を発射した痕跡が見つかっており、警視庁南千住署捜査本部は端本被告が実行役だった疑いが強いとみて捜査している。
調べによると、小杉容疑者は事件があった1995年3月30日の朝、ポケットベルで呼ばれた。電話をかけると、端本被告とみられる男から「これから迎えに行く。コートを貸してくれ」と頼まれた。
小杉容疑者は着用した自分のものとは別にトレンチコートを1着、寮から持ち出し、車内で男に渡した。現場近くに着くと、教団元幹部早川紀代秀被告(54)らが待っていた。小杉容疑者は現場から数百メートル離れた地点の車の中で待機し、居眠りしていると、男が慌てて車内に戻り、そのまま現場を立ち去った。
男は「クリーニングに出しておいてくれ」と言い、小杉容疑者にコートを返却。同容疑者は寮に帰宅した後、近くのクリーニング店にコートを出した。捜査本部は、男が硝煙反応を消そうとしたとみている。
[時事通信:2004年07月08日22時15分]
「オウム石川は何度も…」美人運転手が証言(夕刊フジ)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__fuji_320040708040&csvname=1207962269
「石川は何度も現場を下見した」。国松孝次警察庁長官銃撃事件の関与が濃厚なオウム真理教の元幹部、石川公一容疑者(35)。実は事件当時、オウム幹部らの美人運転手として注目された元信者の女性が、夕刊フジに「石川の運転手として事件前、私は現場付近に何度も出かけた」と打ち明けていた。「絶大な力のあった石川がなぜ逮捕されないの?」とも。石川容疑者の背後でちらつく大物政治家の影。美貌の女性が明かした「教団NO.2」の石川容疑者の裏の顔とは−。
「長官が撃たれる少し前、私は石川の指示で、何度か南千住周辺に連れて行ったり、迎えに行きました。近くに教団の施設があったわけでもなく、どうしてかなと思っていた。脱会した後に長官銃撃のためだったのではと思ったのです」
こう語っていたのは、平成7年当時、上祐史浩広報部長(現代表)ら教団幹部が乗るクルマの美人運転手として、その美貌が話題ともなった元信者の女性だ。教団を脱会後、現在は陶芸家として静かな日々を送る。
平成12年に夕刊フジの取材に応えた美貌の女性は「石川は麻原の側近中の側近、教団内で絶大な力のある権力者だった。彼が南千住に行ったのは下見と銃撃の計画を練るためでしょう。そんな石川が、普通に暮らしているのが許せない」と強く訴えてもいた。
徳島県で生まれ、灘高から東大医学部に進みオウムに出家した石川容疑者。麻原被告に「前世で俺の息子だった」などと寵愛され、筆頭秘書といえる法皇官房の長官にまで登り詰めた。
その実力は、当時、教団が覚せい剤やLSDなどで信者に幻覚を見せていたイニシエーションも、「石川が取り仕切っていた」(法廷での井上嘉浩被告証言)といわれたことでも分かる。
平成6年に入信した美貌の女性は、出家後しばらく教団内で反抗的な態度を取り、独房に閉じ込められるなど様々な罰を受けたという。
「私は石川の指示で薬物の投与もされました。裸にされて幻覚に苦しむ私を、石川や麻原たちが覗き込んでいた。私はなぜか『メロンパンが食べたい』と口走っていました。いわば人体実験をされたんです」
一連のオウム裁判では、地下鉄サリン事件を計画した、いわゆる「リムジン謀議」に、石川容疑者もいたことが明らかにもなった。
有印私文書偽造容疑で一度は逮捕された石川容疑者だが、結局、何のお咎めもなく釈放。中央大法学部を卒業し、九州大医学部に入学を拒否されると、都内で平然と暮らしていた。
美貌の女性は「彼と車に乗っていて警察官の職務質問を受けたとき、彼は大物政治家の名前を出して凄んだことがあった。石川の実家は大きな開業医で、父親は大物政治家の有力後援者だというのです。もし、おかしな圧力で自由になったのならば本当に許せない」とも憤っていた。
オウムに詳しいジャーナリストの有田芳生氏は「石川容疑者も捕まえたのは教団の指揮系統を考えた際に、実行犯らと麻原を繋ぐ人物が必要だったからではないか。石川メモなど新たな証拠もあるとは聞くが、石川本人が否認している以上、立件はそんなに簡単ではないかもしれない」と懸念している。
“オウムのすべてを知る男”と呼ばれた石川容疑者の闇は、どこまで解明されるのだろうか。
[夕刊フジ:2004年07月08日17時20分]
早川が現場指揮・銃調達、端本が実行か(夕刊フジ)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__fuji_320040708007&csvname=1207962269
オウム真理教による国松孝次警察庁長官銃撃事件で、現場を指揮したのは、元教団「建設省」大臣の早川紀代秀被告(54)=死刑判決で上告中=で、狙撃犯は端本悟被告(37)=同=の疑いが強いことが8日、警視庁南千住署捜査本部の調べで分かった。
捜査本部では、麻原彰晃被告(49)=1審死刑で控訴中=の指示を石川公一容疑者(35)=爆発物取締罰則違反容疑で逮捕=が受け、早川被告らに伝達したものとみて追及する。
調べだと、早川被告は銃撃事件当日、現場となった東京都荒川区南千住の国松長官の自宅マンションから数キロ離れた場所で目撃されていた。事件前日にも教団所有の車で現場付近の首都高速を走行していたことが判明している。
端本被告も、犯行時間帯に銃撃地点付近などで似た人物が目撃されていた。
早川、端本両被告は、平成7年3月20日に起きた地下鉄サリン事件で警察当局の強制捜査が始まることを察知し、着手日の22日に急遽、ロシアから同じ航空機で帰国していた。
捜査本部では、端本被告はロシアで射撃訓練を積み、早川被告は海外で長官銃撃に使われたコルト社製の38口径「パイソン」を入手したとみている。
早川被告は平成元年11月、麻原被告らと共謀し、坂本堤弁護士一家3人殺害などに関与したほか、サリンプラント建設や合成麻薬LSD製造にも関与した。
端本被告は坂本弁護士一家の殺害を実行。6年6月には、長野県松本市でサリンを噴霧し、住民7人を殺害した。
[夕刊フジ:2004年07月08日17時20分]
早川被告も目撃されていた…狙撃事件、犯人は5人?(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040708i208&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、オウム真理教の元「建設省大臣」、早川紀代秀被告(54)=坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受け、上告中=が事件当時、現場から約3キロ離れた地点で目撃されていたことが8日、警視庁南千住署特捜本部の調べで分かった。
元信者の警視庁元巡査長、小杉敏行容疑者(39)は、特捜本部の調べに、「自分が待機していた車は、見たことのない若い男が運転していた」とも供述しており、狙撃事件当時、現場周辺に教団幹部ら少なくとも5人が集まっていたことが判明した。
調べによると、早川被告とみられる男が目撃されていたのは、現場となった東京・荒川区のマンション「アクロシティ」から南東に約3キロ離れた地点。事件が起きた1995年3月30日朝、隅田川沿いの墨田区役所そばの高層マンション前に立っているのを、近所の住民が見ていた。
付近に早川被告の立ち寄り先はなかった。早川被告は事件前日にもアクロシティ周辺で目撃されている。
また、教団への一斉捜索が始まった3月22日、早川被告は、特捜本部が狙撃の実行役とみている元教団「自治省」所属、端本(はしもと)悟被告(37)=坂本弁護士事件で死刑判決を受け、上告中=とともに、モスクワから同じ航空便で帰国していたことも新たに分かった。
2人は帰国すると、すぐに山梨県上九一色村の教団施設「第6サティアン」(当時)に向かっており、特捜本部は、同サティアンで狙撃の謀議が行われた上で、事件当日には、早川被告が無線などを使って狙撃の指揮を執っていたとみている。
これまでの小杉容疑者の供述によると、狙撃事件当時、小杉容疑者は警察手帳を持って現場に向かい、住宅街に止めた車の中で待機していた。小杉容疑者は「コートを貸した端本被告に似た男が、事件後、車に乗り込んできた」などと話しており、端本被告が現場から自転車で逃走後、車に乗り込んだ疑いがある。この車を運転していたのは「若い男」で、小杉容疑者は「名前などは知らない」などと話しているという。
現場周辺ではこのほか、元「防衛庁長官」の植村(旧姓・岐部)哲也容疑者(49)が南千住署の前を自転車で往復する姿が警察官に目撃されており、実行役の逃走を支援する“ダミー”役を果たしていたとみられている。
事件を巡っては、現場周辺に集まった5人以外に、元「建設省」幹部の砂押光朗容疑者(36)が、犯行後にテレビ局にオウムへの捜査中止を求める電話をかけていたことが判明している。
[読売新聞:2004年07月08日15時10分]
綿密に下見繰り返す=小杉容疑者、現場周辺で-松本被告の関与解明へ・警視庁(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_08X633KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、逮捕された元警視庁巡査長、小杉敏行容疑者(39)が同長官の自宅マンション周辺の下見を繰り返していたことが8日、警視庁南千住署捜査本部の調べで分かった。元オウム真理教幹部早川紀代秀被告(54)=死刑判決受け上告中=が同マンション近くで複数回、目撃されていたことも判明。捜査本部は同被告の関与の有無について慎重に調べを進める。
当日は実行役や逃走を助けるダミー役など、複数の元幹部らが関与していることから、捜査本部は、教団による一連の事件と同様、元代表松本智津夫(麻原彰晃)被告(49)が指示した疑いがあるとの見方を強めている。
捜査本部は8日、関係先8カ所を家宅捜索した。埼玉県八潮市の教団施設や東京都世田谷区南烏山の本部施設のほか、早川被告の妻の自宅や松本被告の妻の自宅、狙撃を実行したとみている元教団幹部(37)宅なども捜索対象としており、事件の全容解明を目指す。
[時事通信:2004年07月08日13時15分]
長官狙撃事件、教団総本部など8か所捜索(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040708i204&csvname=1207962269
国松長官狙撃事件で、警視庁南千住署の特捜本部は8日午前、殺人未遂容疑で逮捕した砂押容疑者が住民登録をしていた東京都世田谷区南烏山の教団総本部など、8か所に捜索に入った。
[読売新聞:2004年07月08日11時10分]
早川被告が小杉容疑者に言葉(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__kyodo_20040708tk001&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、警視庁元巡査長小杉敏行容疑者(39)が、事件当日現場近くで、オウム真理教元幹部早川紀代秀被告(54)から「おまえの力を借りたい」などと言葉を掛けられたと供述していることが8日、警視庁の調べで分かった。捜査本部は早川被告が実行部隊の指揮を執ったとみており、小杉容疑者が早川被告の指揮下で動いていたことを裏付けるやりとりとみている。
[共同通信:2004年07月08日07時49分]
国松長官狙撃、銃弾などの詳細をノートに…石川容疑者(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040708i201&csvname=1207962269
警察庁長官狙撃事件に絡み、爆発物取締罰則違反の疑いで逮捕されたオウム真理教の元「法皇官房」幹部石川公一容疑者(35)が、事件当時に所有していたノートに、狙撃に使われた銃弾の特徴や射撃距離などの詳細を書き込んでいたことが7日、警視庁南千住署特捜本部の調べでわかった。
特捜本部は、狙撃の計画を事前に知らないと、こうした書き込みができないとみて、狙撃事件についても同容疑者を追及している。
ノートは1995年4月、石川容疑者が有印私文書偽造などの容疑で警視庁に逮捕された際、同容疑者が持っていたカバンの中から見つかり、押収された。
特捜本部で調べたところ、ノートの一部に、信者らが狙撃事件翌日の3月31日午後、八王子市内で配布した「警察庁長官撃たれる」と題するビラの原案が書き込まれていた。このため、遅くとも31日午前中までに書かれたとみられている。
このビラの原案には、「弾が何かおかしい」などと狙撃事件で特殊な弾が使われたことを示唆する記載があった。実際、狙撃に使われたのは、殺傷能力を高めるために体内で弾頭部分が広がる「ホローポイント」と呼ばれる特殊なマグナム弾で、この銃弾の特徴は、事件から2日以上過ぎた4月1日までは、どの報道機関も報じていなかった。
また、石川容疑者のノートには、狙撃距離について約20メートルなどと記載されていた。犯人が拳銃を発射した地点から、長官が撃たれた現場までの距離は20・92メートルだったが、事件直後の報道では「30―40メートル」などと誤って伝えられていた。
石川容疑者は当時、教団代表だった松本智津夫被告(49)の側近で、特捜本部は、このノートが、石川容疑者は長官狙撃の計画を事前に知っていたことを示しているとみている。
[読売新聞:2004年07月08日03時10分]
国松長官狙撃現場に端本被告似の男…元巡査長供述(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040708it01&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁に殺人未遂の疑いで逮捕された警視庁元巡査長の小杉敏行容疑者(39)が、「事件の日、端本悟被告に似た男に自分のコートを貸した」「コートは(殺人などを意味する)『救済』に使ったと聞いた」と供述していることが、7日わかった。
小杉容疑者は現場に、端本被告に似た男のほか、元教団「防衛庁長官」の植村(旧姓・岐部)哲也容疑者(49)=殺人未遂容疑で逮捕=、坂本堤弁護士一家殺害などで死刑判決を受けた元「建設大臣」の早川紀代秀被告(54)=上告中=がいたとも供述、警視庁は目撃証言と合致する端本被告が狙撃の実行役だったと見て、役割分担の解明を進めている。
警視庁によると、小杉容疑者は国松長官が狙撃された1995年3月30日の行動について、「自分は、警察手帳を持って(国松長官の自宅マンションの)近くにいた」と、事件への関与を認めているという。
その際の状況について、「朝、現場近くに行くと、端本被告に似た男から『コートを貸してくれ』と頼まれた」と説明。持参した濃いグレーのトレンチコートを渡したところ、その男から、マンションから西に約400メートル離れた住宅街に駐車した車の助手席で待つよう指示されたことを明らかにした。
「車内で待っていると、バタバタと大きな音がして、複数の男が後部座席に乗り込んできた」とも説明し、端本被告に似た男に「後ろを振り向かないで」と言われたことも証言した。
その後、現場から約3・5キロ離れた東京・本郷の東大付属病院近くで車を降ろされ、端本被告に似た男から「『救済』に使ったので、クリーニングに出して」と言われてコートを返されたという。教団は「魂を解脱に導くこと」を「救済」と呼び、殺人を指す意味でも使われていた。小杉容疑者は同夜、言われた通りに文京区内の店でコートのクリーニングを頼んだという。
警視庁は96年4月にコートを押収したものの、当時の鑑定では硝煙反応などは検出できなかった。しかし、コートのすそ部分に拳銃を発射した際に飛び散った火花でできる「溶融穴」とみられる跡が見つかり、最新の施設での再鑑定で犯行に使われた銃弾と同じ火薬成分が検出された。
「溶融穴」は、小杉容疑者が拳銃発射の実行役の近くに潜み、発射時の火花を浴びてできたと見られていたが、同容疑者の供述から、コートを狙撃役に貸していたことが判明した。
小杉容疑者の供述は、96年ごろは揺れ動いて信ぴょう性に乏しかったが、3年ほど前から精神的に安定し、詳細な供述をするようになったという。
[読売新聞:2004年07月08日03時10分]
下見、ダミー、脅迫電話=国松警察庁長官銃撃事件グループ(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_07X582KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、逮捕された元警視庁巡査長小杉敏行(39)、オウム真理教元幹部植村(旧姓岐部)哲也(49)両容疑者らは役割を分担。事前に現場を下見したり、ダミーとして実行役の逃走を助けたりしていたことが7日、南千住署捜査本部の調べで分かった。
調べによると、小杉容疑者は事件前に東京都荒川区の長官の自宅マンションを下見していたと供述。当日も現場にいたことを認めており、狙撃実行役を支援していたとみられる。
植村容疑者は事件当日、レインコートに白マスクを着用。実行役と似た服装で、現場近くで自転車に乗って待機していた。実行役が長官を銃撃した後は、実行役とは別の方向に逃走。わざわざ現場から南に約500メートル離れた南千住署前を通っていた。
また、教団元幹部の砂押光朗容疑者(36)は事件から約1時間10分後、報道機関に「オウムに対する捜査をやめなさい。そうしないと、国松(長官)に続き、大森(義夫内閣情報調査室長)、井上(幸彦警視総監)らがけがをする」と電話をかけた。
[時事通信:2004年07月07日21時15分]
早川被告が銃調達の可能性=別の元幹部が狙撃実行か-長官銃撃事件(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_07X589KIJ&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)が1995年3月に銃撃された事件で、狙撃に使用された拳銃は、元オウム真理教幹部早川紀代秀被告(54)=死刑判決を受け上告中=が調達した可能性があることが7日、警視庁南千住署捜査本部の調べで分かった。
銃撃を実行したのは、坂本弁護士一家殺害事件などに関与したとされる元教団幹部(37)=同=である可能性が高いことも判明。捜査本部は、早川被告が海外で入手した銃が元幹部に渡った疑いがあるとみて、教団内の役割解明を急いでいる。
[時事通信:2004年07月07日21時15分]
銃撃事件、「端本被告」に酷似(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__kyodo_20040707tk013&csvname=1207962269
国松孝次警察庁長官(当時)銃撃事件で、警視庁の南千住署捜査本部が実行犯とみているオウム真理教元信者端本悟被告(37)について、警視庁元巡査長小杉敏行容疑者(39)=殺人未遂容疑で逮捕=が「実行犯に似ている」と供述していることが7日、分かった。事件現場のマンション周辺で、端本被告に似た人物の目撃情報が複数あり、捜査本部は実行犯の特定などを急いでいる。
[共同通信:2004年07月07日19時14分]
狙撃犯は死刑判決男…空手の達人、馬乗り凶行(夕刊フジ)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__fuji_320040707020&csvname=1207962269
実行犯は空手の達人−。国松長官狙撃事件で警視庁南千住署捜査本部が狙撃犯との疑いを強めているオウム真理教の元男性信者(37)。坂本堤弁護士一家殺人事件や松本サリン事件などにも実行犯として加担し、昨年9月、東京高裁での控訴審で死刑判決(上告中)を受けた。「学歴偏重」の教団の中で高卒でのし上がったのは、次々と凶悪事件に手を染めた腕力の“なせる技”だった。
「被告の行為はあまりにも残虐・非道だ。厳しく刑事責任を問うのはやむを得ない」
平成12年7月、元男性信者の一審判決。坂本弁護士事件での被告の行為について、裁判長はこう断罪した。
元男性信者は東京都内の高校を卒業後、高校の同級生の影響を受けてオウム真理教に入信し、出家した。空手を習っていたため、麻原彰晃被告(48)にかわいがられ、身辺警護を担当する警備班に。平成元年11月の坂本弁護士事件の実行犯にも選ばれた。
犯行は極めて残虐−。坂本事件では、自宅アパートに入るや、就寝中の坂本弁護士に襲いかかり、馬乗りになって拳で顔面を立て続けに殴りつけた。その後、妻の都子(さとこ)さんの腹部に膝落としをして抵抗を封じた。一家3人を殺害後、遺体を別々の山中深くに埋める隠蔽(いんぺい)作業にも従事した。
6年6月の松本サリン事件では、サリン散布車を運転するなど重要な役割を担い、7人を死亡させ、百数十人に中毒症を負わせた。また、山梨県上九一色村の教団施設でサリン量産プラントの稼働にもかかわった。
一連の公判で、松本サリン事件に関しては、麻原被告の直接指示を証言している元男性信者だが、坂本弁護士事件については、検察側主張に反論して「警備班」の総責任者の早川紀代秀被告(55)から指示を受けた、と語っている。
麻原被告は元男性信者の来世について、「巨人のエース」と予言。元男性信者は「ハルマゲドン(世界最終戦争)の後も、巨人はあるのかと思った」とも語っていた。
合計10人の殺人に関与している元男性信者。自身の凶悪極まる犯行について、「ずっと疑問を感じていた。退(ひ)くも勇気だった」と反省の言葉を口にしながら、「坂本さんの事件をやったことと(交際中の)女性(信者)がいたことで、縁を切れなかった」と語る。
国松長官狙撃事件について、彼は何を語るのか。
[夕刊フジ:2004年07月07日17時20分]
国松長官銃撃…共犯オウム4人逮捕、狙撃犯も特定(夕刊フジ)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__fuji_320040707008&csvname=1207962269
平成7年3月、当時の国松孝次警察庁長官(67)が東京・南千住の自宅マンション前で銃撃された事件で、警視庁南千住署捜査本部は7日、殺人未遂容疑でオウム真理教(アーレフに改称)元幹部ら3人を逮捕した。関与の疑いが強い別の幹部1人は、宗教学者宅を狙った爆破事件の爆発物取締罰則違反容疑で逮捕した。4人は事件の下見や狙撃犯の逃亡を手助けした共犯で、捜査本部は4人を追及、特定した狙撃犯の裏付けを急ぐ。麻原彰晃被告(48)=一審死刑で控訴中=の指示も追及する。警察トップを標的にした前代未聞のスーパーテロは、事件発生から9年で一気に動きだし、「オウムの底知れぬ闇」が再浮上した。
【麻原側近も】
銃撃事件の共犯で逮捕されたのは、警視庁元巡査長、小杉敏行(39)=地方公務員法違反容疑で書類送検、起訴猶予▽元教団「建設省」幹部、砂押光朗(36)▽元教団「防衛庁」長官、岐部哲也(49)−の各容疑者。
爆破事件で逮捕されたのは、元教団法皇官房、石川公一容疑者(35)。石川容疑者は麻原被告の「側近中の側近」で、石川容疑者は銃撃事件に関し、麻原被告から指示を受け、実行犯に「伝達」していたとみられる。
捜査本部の調べだと、小杉容疑者らは銃撃の実行犯と共謀、平成7年3月30日午前8時25分ごろ、出勤のため荒川区南千住の自宅マンションを出た当時の国松長官を短銃で狙撃、4発中3発を腹などに命中させて重傷を負わせた疑い。
【下見や逃走ダミー役】
小杉容疑者は「現場のマンションを下見に行った」と容疑を認めているという。
岐部容疑者は事件直後、現場のマンション敷地内をママチャリで走り回り、実行犯のダミー役を演じて逃走を手助けしていたとみられる。
砂押容疑者は、事件後に都内の報道機関に「オウムへの捜査をやめろ」とかかってきた脅迫電話と、声紋が一致しているという。
【一撃必殺を狙う】
短銃は米コルト社製の38口径回転式で、銃弾はホローポイント型マグナム弾が使われていた。ホローポイントは銃弾の先端にくぼみがあり、殺傷力が極めて高い。
現場から自転車でマンションの間を縫うように逃走する大柄な男が目撃されていた。現場には北朝鮮のバッジが落ちていたが、捜査本部では捜査撹乱(かくらん)を狙って実行犯が北の工作員を偽装したの見方を強めていた。
【石川は爆破事件にも関与】
石川容疑者は公証役場事務長拉致事件以降、教団の疑惑が一斉に報道されたことから、捜査を撹乱させるために地下鉄サリン事件前日の7年3月19日夜、杉並区に住む宗教学者、島田裕巳宅へ時限爆弾を仕掛けて爆発させた疑い。
島田氏は当時オウム寄りの発言をしており、石川容疑者はオウムへの捜査の目をくらます目的の自作自演の爆破事件を起こし、犯行声明を作った疑いも持たれている。
爆破事件では、公証役場事務長拉致の逮捕監禁致死容疑でオウム信者、平田信容疑者(39)=特別手配中=にも同罰則違反容疑で逮捕状が出ている。
【兵站部門を担当】
捜査本部では狙撃犯については周辺捜査から特定したが、有力な物証に乏しいとして、4人を厳しく追及、裏付けの供述を得る方針。
小杉容疑者らは銃撃事件で、下見や武器などの調達、逃走手助けなど“兵站(へいたん)部門”を担当していた。
事件前日には、砂押容疑者が所属する教団建設省の最高幹部が、高級車のセンチュリーで浅草方面から現場近くの首都高速を走行していたのを、Nシステム(自動ナンバー読み取り装置)で捕捉されていたことも判明していた。
捜査本部は麻原被告の銃撃指示とも合わせ、事件の全容解明を急ぐ。
【再聴取が突破口】
捜査本部はこれまで、銃撃事件が地下鉄サリン事件や教団への一斉捜索の直後に起きたことなどから、教団による犯行の可能性があるとみて捜査してきた。
この結果、小杉容疑者ら4人が犯行に関与した疑いが強まった。
小杉容疑者は8年、警視庁の調べに「4発撃って、3発が当たった」「銃は神田川に捨てた」などと供述。だが、供述に矛盾点が多く、神田川の捜索でも短銃が見つからなかった。
東京地検は、供述には基本的な部分で不可解な変遷があることなどを指摘。「信用性に重大な疑問がある」として銃撃事件の立件を見送り、捜査はいったん「振り出し」に戻った。
警視庁は元巡査長の供述を「現場に行かないと分からないほど詳細。何らかの関与があったのは間違いない」とする一方、「意図的なウソを交えている」として、洗い直しに全力を挙げてきた。
捜査本部は今年に入り、極秘で小杉容疑者の再聴取を開始。薬物の影響や精神的な疾患がないことに加え、初聴取から8年がたっても供述が一貫していることから容疑性が強いと判断して、強制捜査に踏み切った。
【警視総監が引責辞任】
小杉容疑者の供述をめぐっては、警視庁がこの事実を警察庁に報告していなかったことが発覚。当時、捜査を指揮していた警視庁公安部長が九州管区警察局長に更迭され、警視総監も引責辞任している。
小杉容疑者も地方公務員法違反(秘密漏えい)容疑で書類送検されたが、起訴猶予処分となっていた。
■警察庁長官銃撃事件
平成7年3月30日朝、東京都荒川区南千住の自宅マンション前で、国松孝次警察庁長官(当時)が迎えの公用車に乗り込もうとしたところを銃撃された。背中から腹部を貫通するなど3発の銃弾を受け、約3カ月半、入院する重傷を負った。使われた銃は米コルト社製の38口径回転式「パイソン」、弾は殺傷力を高めたホローポイント型マグナム弾とみられる。警視庁は南千住署に捜査本部を設置し、公安部を中心に約100人態勢で捜査を継続していた。
[夕刊フジ:2004年07月07日17時20分]
小杉8年前に詳細供述、美人幹部証言で明るみ(夕刊フジ)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__fuji_320040707018&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件の関与が明らかになった警視庁元巡査長、小杉敏行容疑者(39)。現職警察官による犯行の発覚は当時、警察組織を激震させた。小杉容疑者とは−。
「私が長官を撃ちました」
小杉容疑者の衝撃供述が明るみに出たのは事件発生から約1年半後の平成8年10月。教団東信徒庁の美人幹部の供述からだった。
「彼(=小杉容疑者)は私が指導した信者でした。警察官なのでいろいろ頼みました。国松長官の自宅も調べさせましたし、長官宅の警備体制や出勤時間なども聞いてもらった」
小杉容疑者は静岡県出身。物静かな性格で高校卒業後、上京して昭和62年に警察学校に入学。翌年、本富士署に配属されたが、ほぼ同時に「ヨガをやりたい」とオウムに入信した。
美人幹部の供述を元に追及した結果、小杉容疑者は犯行を自供。警視庁は同年10月、神田川を大捜索したが結局、短銃は発見できなかった。
教団内で投与された薬物の影響か、小杉容疑者の記憶や供述にあやふやな部分があり、一時、容疑者を催眠状態にして証言を引き出したビデオが、催眠術を施したカウンセラーからテレビ局に流出して話題になった。
東京地検は当時、立件を見送ったが、捜査関係者は「供述は極めて詳細。どういう形にせよ、小杉が事件にかかわっているのは間違いない」として、執念の捜査を続けてきた。
[夕刊フジ:2004年07月07日17時20分]
国松長官狙撃の実行役、端本被告か(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040707it04&csvname=1207962269
国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁南千住署の特捜本部は狙撃の実行役について「氏名不詳の被疑者」としているが、坂本堤弁護士一家を殺害したなどとして死刑判決を受けた元オウム真理教幹部、端本(はしもと)悟被告(37)(上告中)が現場付近で目撃されていたことがわかり、同被告が実行役との見方を強めている。
また、同事件などで死刑判決を受けた元教団幹部、早川紀代秀被告(54)(同)も現場にいたことも判明、特捜本部は早川被告が現場で指揮を執っていたと見ている。
一方、殺人未遂容疑で逮捕された植村容疑者が、事件直後、2度にわたって南千住署前を走り抜ける姿を署員に目撃されていたことも判明した。わざわざ警察官の目に付くような動きをしており、特捜本部は警察官に植村容疑者の姿を印象付け、実行役の端本被告の逃走を助けようとしたと見ている。
[読売新聞:2004年07月07日14時55分]
オウム元幹部ら逮捕「全容解明信じる」…国松元長官(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__yomiuri_20040707ic06&csvname=1207962269
国松孝次元長官(67)は7日朝、読売新聞の取材に応じ、「犯人が逮捕されたからといって何か申し上げるのは難しい。(警察庁長官だったという)自分の立場もある。長い経緯のある事件で、何か話すのにはまだ早すぎる」と語る一方、「事件の全容を解明してくれると信じており、しばらくは行方を見守りたい」と警視庁の捜査に期待を寄せた。
[読売新聞:2004年07月07日14時55分]
国松元長官狙撃、元巡査長・オウム元幹部の3人逮捕(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040707i105&csvname=1207962269
1995年3月に国松孝次・警察庁長官(当時)が東京・荒川の自宅マンション前で狙撃された事件で、警視庁南千住署の特捜本部は7日朝、96年に「私が撃った」と供述し、関係ないとされた警視庁元巡査長ら、オウム真理教の当時の信者が捜査かく乱目的で犯行にかかわったと断定、元巡査長を含む3人を殺人未遂容疑で逮捕した。
元巡査長のコートに残る火薬成分が、狙撃事件で使われた銃弾のものとほぼ一致した。また、教団元「法皇官房」幹部も爆発物取締罰則違反の疑いで逮捕、狙撃事件についても追及する。発生から9年余り、全国を震かんさせた警察トップへのテロ事件の捜査は解明に向けて動き出した。
殺人未遂の疑いで逮捕されたのは、警視庁の元巡査長で会社員の小杉敏行(39)(静岡県相良町堀野新田)、教団の元「防衛庁」長官、植村(旧姓・岐部)哲也(49)(高知市朝倉)、元「建設省」幹部で、埼玉県八潮市の教団施設で暮らす砂押光朗(すなおし・みつお)(36)の3容疑者。爆発物取締罰則違反の疑いで逮捕されたのは元「法皇官房」幹部の石川公一容疑者(35)(東京都渋谷区元代々木町)。
小杉ら3容疑者の逮捕容疑は、95年3月30日午前8時30分ごろ、荒川区南千住6のマンション「アクロシティ」1階通用口前で国松長官に向けて回転式拳銃4発を発射、3発を腹部などに命中させ、全治1年6か月の大けがをさせた疑い。特捜本部は3容疑者は「他数名と共謀」、拳銃発射の実行役は「氏名不詳の被疑者」と発表した。石川容疑者は、地下鉄サリン事件の前夜、東京都杉並区の宗教学者の自宅マンション前で時限式発火装置を爆発させた疑い。砂押、石川両容疑者は容疑を否認している。
特捜本部は、犯行の10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生、同22日にオウム真理教の教団施設の一斉捜索が行われたことから、教団が、捜査のかく乱を狙ったテロ事件の可能性が高いと見て捜査を進めていた。その後の調べで、小杉容疑者が事件当日に着ていたと見られるコートに、拳銃を発射した際に飛び散った火花でできる「溶融穴」とみられる跡が見つかった。押収したコートはクリーニングに出されていたが、昨春、兵庫県の大型放射光施設「スプリング―エイト」で最新の鑑定方法で再鑑定したところ、「事件で使われた銃弾の火薬成分と矛盾しない」との結果が出た。
特捜本部は、植村、小杉両容疑者は現場周辺で実行役の逃走を支援し、砂押容疑者は事件直後に「捜査をやめろ」などとテレビ局に電話をかけていたことから、事前に犯行を知っていたと判断。小杉容疑者は拳銃発射の実行役の近くに潜み、火花を浴びたと見ている。
小杉容疑者は96年春、特捜本部の調べに「私が撃った」「4発撃って、初めの3発が当たった」「銃は神田川に捨てた」などと供述したが、東京地検は97年6月、「実行役であることには重大な疑問を抱かざるを得ない」として立件を見送った。
[読売新聞:2004年07月07日14時55分]
オウム関与、執念の捜査で突破口…国松長官狙撃(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__yomiuri_20040707ic04&csvname=1207962269
当初からオウム真理教の関与が疑われながら、真相は闇に包まれていた国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件の捜査が7日朝、大きく動いた。発生から9年3か月余り。警視庁南千住署の特捜本部が3人の元信者らの逮捕に踏み切った決め手は、事件当時の目撃情報と、捜査線上から1度は消えかかった元警察官小杉敏行容疑者(39)の新たな供述、そして最新鋭の大型放射光施設「スプリング―エイト」を使った鑑定の結果だった。実行役は元教団幹部の端本(はしもと)悟被告(37)なのか。そして首謀者は――。今回の強制捜査を突破口に、特捜本部は事件の全容解明を進める。
国松長官狙撃事件をめぐり、警視庁の現職警察官だった小杉敏行容疑者が「自分が撃った」と供述したのは1996年春。しかし、同容疑者を狙撃の実行役とするには矛盾点も多く、「下見役」として今回立件するまで約8年間を要した。
警視庁本富士署に勤務していた小杉容疑者は、95年3月に地下鉄サリン事件が起きて特捜本部が築地署に設置されると、応援要員として派遣された。
ところが、逃走中の信者の車から押収されたフロッピーの分析から、小杉容疑者が信者と判明。警視庁では、小杉容疑者を事情聴取して特捜本部から外す一方、免職などの処分は行わないまま江東運転免許試験場に配置替えした。
しかし、教団幹部が「捜査に関する情報をもらっていた」と供述したため、警視庁は再聴取に踏み切り、96年5月ごろに「自分が撃った」との供述を得た。
供述は具体的で、「犯行直前、狙撃場所近くにいるところを男性に目撃された」など、現場の状況と矛盾しないものもあったが、一方で裏付けの取れない供述も複数あった。さらに凶器の拳銃を捨てたと供述した神田川を54日間にわたって捜索したが、拳銃は見つからなかった。
警視庁は同年10月下旬に報道されるまで警察庁に供述内容を報告していなかったため、公安部長が報告義務を怠ったとして更迭され、同年12月には当時の井上幸彦警視総監も辞任に追い込まれた。
警視庁は翌97年1月、狙撃事件での立件をいったん見送り、教団幹部に警察内部の情報を漏らした地方公務員法違反の容疑で小杉容疑者を書類送検。しかし、東京地検は同法違反容疑について起訴猶予処分としたうえ、狙撃事件についても「狙撃犯であることには重大な疑問を抱かざるを得ない」として同年6月までに捜査を打ち切っていた。
◆具体的証拠示さず◆
この日午前9時30分、警視庁9階の会見室で、松田則幸南千住署長とともに姿を見せた永井力公安1課長は、厳しい表情で、「警察庁長官狙撃事件の被疑者逮捕についての記者会見を行います」と切り出し、手元の資料に目をやりながら、容疑者の氏名や逮捕容疑を読み上げた。
しかし、狙撃の実行犯については「氏名不詳の被疑者」。具体的な証拠も明らかにしないまま、いったんは立件を見送った小杉容疑者を今回、逮捕した理由について、「当時はめまぐるしく供述が変わり、矛盾する点を含んでいた。現在になって供述だけではないが、関与が明らかになった」と言葉を選ぶように説明した。
また、「実行犯は特定できていないのか」「3人は実行犯ではないのか」と聞かれても、「まだ明らかではない。3人を含め捜査する」と答えるにとどまった。
◇
警察庁の佐藤英彦長官は7日、「治安に対する挑戦というべき重大な事件で、警視庁の長期間にわたる粘り強い捜査の結果、強制捜査に至った。懸命の捜査が続けられるものと考える」とのコメントを発表した。
[読売新聞:2004年07月07日14時50分]
トラブル相次ぎ、在阪TV2社が一時放送中断(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__yomiuri_20040707i406&csvname=1207962269
7日午前1時53分から58分間にわたって毎日放送テレビ(大阪市北区)のアナログ放送が中断した。大阪、奈良府県境の生駒山頂にある送信所の電源がダウンしたため。
また、よみうりテレビ(大阪市中央区)も同3時1分から12分間、中断した。国松孝次・元警察庁長官狙撃事件のニュースを約5分間放送後、通常放送に戻そうとした際、コンピューターが正常に作動しなかったという。
[読売新聞:2004年07月07日14時10分]
厳正に対処を…オウム元幹部ら逮捕で細田官房長官(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tp__yomiuri_20040707ia02&csvname=1207962269
細田官房長官は7日午前、国松孝次・元警察庁長官狙撃事件で、オウム真理教元幹部らが逮捕されたことについて、「極めて喜ばしい。今後の取り調べなどで厳正に対処してほしい」と述べた。
オウム真理教の活動に関しては、「新しい情報が上がってきているわけではないが、どういう動きを示すか十分に見守っていきたい」と語った。
[読売新聞:2004年07月07日14時10分]
小杉容疑者コートから火薬成分(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__kyodo_20040707tk009&csvname=1207962269
長官銃撃事件で オウム真理教元信者で警視庁元巡査長小杉敏行(39)容疑者が犯行当時に所持していたコートを兵庫県にある大型放射光施設「スプリング8」で分析したところ、事件で使われた銃弾と同一の火薬成分を検出するなど新たな物証を得たことから逮捕に踏み切った。銃撃事件は、95年3月30日午前8時半ごろ発生。東京都荒川区のマンションを出た国松長官が、背後から銃撃された。
[共同通信:2004年07月07日13時04分]
長官銃撃でオウム元幹部ら逮捕(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__kyodo_20040707tk007&csvname=1207962269
国松孝次元警察庁長官が長官だった1995年3月、銃撃され重傷を負った事件で警視庁は7日、殺人未遂容疑で、以前「犯行」を供述したオウム真理教元信者で警視庁元巡査長小杉敏行(39)、教団元幹部植村(旧姓岐部)哲也(49)、現役信者砂押光朗(36)の3容疑者を逮捕。また95年の宗教学者宅爆破事件の爆発物取締罰則違反容疑で松本智津夫被告(49)の側近だった元幹部石川公一容疑者(35)を逮捕。
[共同通信:2004年07月07日12時59分]
「今は何も言えない」=国松元警察庁長官(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_07X459KIJ&csvname=1207962269
国松孝次元警察庁長官(67)は7日午前、顧問を務める証券会社の秘書を通じ、「今の時点では何も申し上げることはできません」とだけコメントした。
[時事通信:2004年07月07日11時15分]
長官銃撃で元幹部ら逮捕=オウム、捜査かく乱目的-実行犯は別に・警視庁(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__jiji_07X422KIJ&csvname=1207962269
1995年3月、国松孝次元警察庁長官が自宅マンション前で銃撃され重傷を負った事件で、警視庁南千住署捜査本部は7日、オウム真理教(現アーレフ)の元幹部ら3人が関与していた疑いが強まったとして、殺人未遂の疑いで逮捕した。
警察トップが狙われるというテロ事件は、発生から9年余りで急展開した。捜査本部は銃撃実行犯は別にいるとしており、今後3人を追及し、事件の全容解明を目指す。
逮捕されたのは教団の元「防衛庁」長官植村(旧姓岐部)哲也容疑者(49)=高知市朝倉丙=、元「建設省」幹部砂押光朗容疑者(36)=住所不詳=と、信者だった元警視庁巡査長小杉敏行容疑者(39)=静岡県相良町堀野新田=。
ほかに学者宅に対する爆発物取締罰則違反容疑で「法皇官房」元幹部石川公一容疑者(35)=東京都渋谷区元代々木町=を逮捕。長官銃撃事件との関連についても調べる。
砂押、石川容疑者は容疑を否認しているという。
調べによると、植村容疑者ら3人はほか数人と共謀。教団に対する捜査を中止させ、かく乱する目的で、国松元長官の殺害を企て、95年3月30日午前8時半ごろ、東京都荒川区南千住の自宅マンション前で、元長官が出たところを氏名不詳の容疑者が拳銃4発を発射、うち3発が元長官の腹部などに当たり、1年6カ月の重傷を負わせた疑い。
[時事通信:2004年07月07日11時14分]
有力容疑者逮捕喜ばしい(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tp__kyodo_20040707tp001&csvname=1207962269
細田博之官房長官は7日午前、国松孝次元警察庁長官銃撃事件でオウム真理教元幹部らが逮捕されたことについて「有力な容疑者が逮捕され極めて喜ばしい。今後は取り調べがあるので厳正に対処してほしい」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。オウム真理教が名称を「アーレフ」と変えて任意団体として活動を続けていることに関しては「関係当局が十分ウオッチしている」と指摘した。
[共同通信:2004年07月07日10時49分]
警察庁長官銃撃で4人逮捕(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__kyodo_20040707ts003&csvname=1207962269
国松孝次元警察庁長官が長官当時の1995年3月、自宅マンション前で銃撃され重傷を負った事件で警視庁は7日、殺人未遂容疑で、犯行を供述したオウム真理教元信者の警視庁元巡査長と教団元幹部計3人を逮捕。逮捕したのは、警視庁元巡査長小杉敏行容疑者(39)ら。また銃撃事件に関与の疑いがあるとして、95年の宗教学者宅爆破事件の爆発物取締罰則違反容疑で教団元幹部石川公一容疑者(35)を逮捕。
[共同通信:2004年07月07日09時34分]
「何も話すことはない」元長官(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=ts__kyodo_20040707ts004&csvname=1207962269
自らが被害者となった銃撃事件でオウム真理教元幹部らが逮捕されたことに対し、国松孝次元警察庁長官は7日早朝、東京都世田谷区の自宅マンションで「今の段階では何も話すことはありません」と厳しい口調で話した。国松元長官はインターホン越しに、詰め掛けた報道陣と短くやりとりしたが、警視庁の捜査を気遣ってか終始言葉少な。
[共同通信:2004年07月07日09時34分]
長官銃撃で逮捕状(共同通信)
http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=tk__kyodo_20040707tk001&csvname=1207962269
国松孝次元警察庁長官銃撃事件で警視庁は7日、犯行を供述した警視庁元巡査長(39)と、オウム真理教元幹部(49)ら4人が事件にかかわった疑いが強まったとして殺人未遂容疑などで逮捕状を取った。
[共同通信:2004年07月07日07時24分]