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(回答先: 7日の「長官銃撃で逮捕状」のニュースから時系列でその他各社記事記録(40本)。 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 7 月 12 日 19:29:39)
警察庁長官銃撃事件 長期化招いた『公安部』捜査【東京新聞】
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040708/mng_____tokuho__000.shtml
警察庁長官銃撃事件で七日逮捕された元警視庁巡査長が「長官を撃った」と供述したのは、一九九六年五月だった。それから約五カ月間、供述は警視庁公安部内で隠ぺいされた。匿名の告発により表面化するが、川に捨てたとされる短銃の捜索は遅きに失した。「供述を裏付ける捜索をなぜ急がなかったのか」。刑事部からは憤りが漏れた。捜査長期化の「原点」から見えてくる警察組織の問題点は−。
「捜査に時間がかかったのは、警察庁長官が狙われるという事件自体の特異性と同時に、警察内部の確執があったためでもある」
警視庁に深いパイプを持ち、オウム問題にも詳しいジャーナリストの高尾昌司氏はそう指摘する。
殺人をはじめとする凶悪事件を担当するのは本来は刑事部の捜査一課だ。しかし長官が狙撃されるという前代未聞の事件は、警備・公安にとっては大失点となった。しかも現場近くから北朝鮮のバッジが見つかったこともあって、公安部が捜査の前面に出てきた。
高尾氏は言う。「一連のオウム事件は地下鉄サリン事件発生以降、捜査の方針を決める『御前会議』なるものがあった。出席者は警視総監、副総監のほか刑事部長、公安部長、警備部長ら警視庁首脳だった」。部の壁を打ち破り重大事件に当たるのが狙いで、当初はうまく機能していたといわれる。だが、長官銃撃事件では、「主導権を握りたい刑事部の意向を退け、井上幸彦総監の裁断で公安部主導に移っていった」。
南千住署に設置された捜査本部の指揮をとったのは当時の桜井勝公安部長で、公安部約三十人の捜査員が主体となる。公安捜査の密室性が露呈したのが、今回逮捕された元警視庁巡査長小杉敏行容疑者の「長官を銃撃した」という供述を隠し通し、警察庁にも報告しなかったことだ。この供述の存在は、五カ月後の九六年十月になりマスコミ各社に送られてきた匿名の告発文で明らかとなった。
■「河川清掃」でカムフラージュ
当時の捜査関係者はこう振り返る。「『JR水道橋駅前の神田川で短銃を捨てた』など具体的な供述があったのだから、刑事部の捜査員らは『われわれなら裏付け捜索をすぐに行い短銃を見つけていたかもしれない』と憤慨していた。公安部は裏付けの捜索をやり情報が漏れることを嫌っており、公安幹部は『河川清掃目的』でカムフラージュして捜索することを考えていたようだ。どのみち遅きに失したという批判は逃れられなかった。短銃は見つからず、立件に至らなかったのだから…」
こうした「身内による犯罪に関する供述」を隠ぺいしていた公安部の失態により、桜井部長は更迭され、井上総監も辞職した。
公安部も刑事部も同じ警察で、素人目には互いに協力して捜査活動に当たっているように見えるが、「公安、刑事合同の捜査は不可能」(高尾氏)とまでいわれる。一体どこにそんな大きなミゾがあるのか。
オウム事件にかかわった捜査員は「そもそも公安は情報を取るのが仕事で、集まった情報をいちいち裏取りはしない。元巡査長の供述がぶれていることもあり、公安は最初から信用していなかった節もある。立件に向けて一つ一つ詰めていく刑事と違う」と説明する。
前出の高尾氏も「刑事部の捜査は地道に現場の聞き込みをして犯人を割り出していく。公安捜査は、あらかじめスジを想定し、それを証拠立てる情報を収集しスジを補強していく。ときにはメディアを使って意図的な情報操作を行うという手法も取る」という。
警察取材の長いジャーナリストの大谷昭宏氏は、こんな見方を示す。
「オウム教団を捜査する上で、今回逮捕された容疑者らは公安に泳がされながらスパイをしていたのではないか。そんな情報収集が公安警察の手法だ。大阪府警では、公安部門は刑事部門などほかのセクションとは離れて動く“別格本団”とも呼ばれていた」
■「治安」に自負心 エリート意識も
刑事は聞き込みなどを通じて外部との接触が多く、その分、情報が漏れる恐れがある。公安は警戒対象とする組織を日常的に監視し秘密保持を何よりも大切にする。公安部からみれば、刑事部に情報を渡せば外に漏えいするだけだという根強い不信感があるようだ。
「刑事部門では広域捜査を除けば、都道府県警が情報を共有し合うことは少ない。これに対し公安部門は横のつながりが強い。警視庁と大阪府警の公安部門は同じ情報を共有し合っている」(高尾氏)。この団結力が「世界一の治安を担っているのは自分たち」という公安一流のエリート意識につながっている。
こうした公安部と刑事部の確執が警視庁でピークに達したのが、一九七〇年代の連続企業爆破事件だ。警視庁は公安、刑事両部を含む合同捜査体制を敷いたものの、公安部は「別動隊」を編成。七五年五月に犯人グループを一網打尽に逮捕したが、主導したのはこの別動隊で、情報はすべて公安部が握り、刑事部は完全に蚊帳の外に置かれた。以来、水と油の関係は受け継がれているようだ。
長官銃撃事件でも、供述の隠ぺいを告発した匿名文書には、国家公務員〓種試験合格者(キャリア)を意味する「有資格者」や「当庁」など一般になじみの薄い言葉が使われていた。このことから、告発の主は公安部主導の捜査に反発する刑事部の捜査員ではないかとも言われている。
公安と刑事の確執が取りざたされることについて、元警察庁警備局長の三島健二郎氏は「県警本部長も務めたが、両部を同じように使いこなして捜査した。双方の体質の違いゆえに、捜査が失敗することはない。失敗するとしたら指揮する側に問題がある」と話す。
だが関東圏の県警公安畑のベテラン捜査員は、確執は警視庁だけのものでないと明かす。「刑事と公安は警察内でずっと主導権争いをしていた。公安は天下国家のために働いているという自負心を持っていた。どこか刑事部を見下しているところがあった」
■情報収集のため事件棚上げに?
冷戦終結後は、公安警察が軽視されるムードもあったが、ここに来て国際テロへの対応に迫られており、むしろ増強されていく傾向にある。そうした中で九年ぶりに、長官銃撃事件の捜査が進展したわけだが、その意味について、前出の大谷氏は、こう読み解く。
「公安の“オウムからの情報収集”という独自の論理で、最高幹部である長官の銃撃事件の容疑者逮捕が棚上げにされたままだったとしたら重大問題だ。冷戦終結で公安警察は縮小ムードだったが、米中枢同時テロで公安が再び注目されだした。地下鉄サリン事件は日本が直面した最大のテロ事件で、今回の立件は、公安警察が復権への一里塚を目指したともいえる。公安警察強化が今後、どう進められるか。注視していかなくてはならない」