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(回答先: Re: 「自分が首を切った」 加害女児が救急隊員に説明(共同通信) 投稿者 ome 日時 2004 年 6 月 28 日 13:31:14)
ome さん、ご指摘ありがとうございます。
投稿すべてが非常に大事なヒントを与えてくれたことに、今頃になって気づきました。
−−−−−以下、ome さん投稿−−−−−−−−−−−−−
最後の
> 隊員が「水を飲むかい」と聞くと「飲みます」と答えた。
の部分には、何か意味があるのでしょうか? 記事として、重要な記述には見えないです。何かの暗号?
例えば、 "水を飲む キリスト" で検索すると、以下のような一文がたくさん引っかかるのですが、
> 「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
> わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
「水を飲む」という語には、何らかの契約の意味が含まれている、という見かたもできるということなのでしょうか?
−−−−−−−−−−−−引用以上−−−−−−−−
考えてみれば、三名の救急隊員は、救急車の要請を受けて学校に到着したときには、まだ教頭だか擁護学級の先生だかが脈を取っている最中だったはずです。
そこで救急時における必須「七項目」が守られることなく被害者を放置して、駆けつけた父親にすでにさとみちゃんは死んでいるなどと告げたのであろう、救急義務違反を犯し、病院への搬送をやめてしまった。そして、あろうことか佐世保警察署へ「遺体」として搬送してしまった。これでは救急隊員による被害者の謀殺である。
この一連の「くさい」行為の中、トラウマ(PSD)にかかった隊員も居る(教頭から事前に、電話で二度も凄惨な状況であることを知らされているのに、おかしな話だ)というのに、一人だけ落ち着き払った隊員が居たということになる。
先生たちのパニックのことよりも救急隊員の不可解な行動をこそ問題にするべきである。
以下毎日新聞
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/727.html
より:
> 長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件の発生前後の詳細な状況が判明し、教師たちがパニックに陥って、駆けつけた救急隊員に状況を説明できなかったため、殺害直後の鑑定留置中の女児(11)に説明させていたことが分かった。隊員はこれで、初めて事件を把握した。こうした状況の一部は25日の佐世保市議会でも取り上げられ、学校側の対応に批判の声が出ている。
−−−−−問題は学校側の対応ではなく消防署のほうが怪しい。
おかしな言葉がぼんぼん飛び出してくる。毎日新聞も事件直後の現場をリアルに描こうとして苦労したんだろうが、うさんくささが増すばかり。事件発生後の日数がたてばたつほど疑惑が濃化する。この点で神戸少年事件と同じだ。
やれ、「殺害直後の鑑定留置中の女児(11)に説明させていた」などと勝手に救急隊員を警察官に仕立て上げてしまった。どこに「留置」したというのか?なぜ救急隊員が救急活動(これが職業だろう)をしないで「鑑定」せねばならぬのか?
記者の突っ込んだ質問に対して救急隊員が次々と虚構を崩されてゆく過程が読み取れる。
>12:43 119番通報
教頭「子供がカッターでちょっと首なんかを切られたようです」
消防「状況は」
教頭「血がどろどろ出ています」
消防「まず止血をしてください。どうして切ったんですか」
教頭「その辺はまだ分かりません」
12:46 救急車出動
−−−被害者の「状況」は、頚部や手首などの「外傷」により出血多量の瀕死の状態だったのだろう?先生が脈を取っていたというのだからまだ脈があったわけで、一刻も早く止血すべきである(消防署へ「けがをしている」から救急隊を要請したんだろうが)。パニックに陥っていたらしい教頭の要請は二度にもおよんでいるそうじゃないか。
>12:50 再度119番通報
教頭「まだですか」
消防「状況をもっと聞かせてください」
教頭「危険ですね。危険です」
消防「どの付近を切っていますか」
教頭「個所は分かりません。血まみれになっていますから」
消防「どんなもので切ったんですか」
教頭「カッターで切ったみたいです」
消防「自分でですか」
教頭「自分じゃないみたいです」
消防「どういう状況ですか」
教頭「そしたら状況を聞いてきます」
−−−−−−ここから見える救急隊の対応は「時間稼ぎ」。
第一報において、12時46分に「救急車出動」などと記録だかなんだか訳のわからぬコメントが入っているが、これ自体おかしい。毎日新聞が勝手に書き込んだのだろう。消防署だって新聞と組んで時間あわせはできる。
教頭は「まだですか」とたずねているのに、消防が救急車を出したとの返答をしていない。「状況をもっと聞かせろ」と、本来の救急活動とは無縁の対応をしている。教頭の言葉から輸血の必要性も当然予見できているのだから、被害者の血液型などを聞いて輸血用の血液を確保し、医師を待機させる措置こそ必要であろう。
本来ならば第一報で現場へ急行して、それなりの設備のある重傷患者の搬送先まで手配しておくべきはずなのだ。
>教頭「危険ですね。危険です」
と事態が切迫していることを伝えているのに、消防は破廉恥な対応に終始している。
「血がどろどろ出ている」ので「危険です」と教頭が判断していることは生命反応があったわけである。
>消防「自分でですか」
教頭「自分じゃないみたいです」
消防「どういう状況ですか」
教頭が「そしたら状況を聞いてきます」と現場に戻ったはずだから、この時点でも本当はまだ救急車は出動していなかったのではないか。
そして、「通報」は二度ではなく、なんと「三度」だったことになる。三度目は状況の説明のためのものだろうが、
>約1分後
教頭「手の甲をバァーッと切っています。首からすごい出血です」
消防「誰がけんかをしたんですか」
教頭「その辺は分かりません」
−−−−−−−−このやりとりはまったく不自然である。通話記録があるのだろうが、こういう緊急事態について、教頭に対して消防署が適切な救命措置を訓示していない。
「状況の説明」と「救命行為」(止血行為と被害者の病院への搬送と輸血の手配)とは無関係であり、救急隊員の任務放棄である。こんなことではこれから重傷を負った虫の息のけが人は救急隊によって殺されてしまうよ。「状況の説明」など警察の仕事だろう?いつから救急隊員が捜査官になったのか?
救急隊員もトラウマ(PSD)にかかったといいながら、やけに落ち着いて「加害女児」に尋問する、この矛盾はどう説明するのか。
都合の悪いことは「トラウマ」で逃げ、でっちあげをやるためには「状況の説明」を求めたなどと、加害女児とされる女児を犯人として特定させようとする。やれ「7項目があることなど知らなかった」(確かこう発言していた)などとごまかすことからもこの事件の冤罪が疑われているのだ。
>「詳しいことを知っている人はいませんか」と救急隊員が呼び掛けたところ、3階の階段付近で血だらけの女児を見つけ、1階の保健室に連れてきた教師が「います」と言って、その後移された隣の事務室に案内。女児が「私がカッターで切りました」と話し始めた。この教師もこの時初めて、女児が切りつけたことを知ったという。
阿比留教頭は「当時、何が起こったのか分からなかったので、結果的に女児に説明させることになってしまった」と話している。
−−−−−そして、「週刊文春」なみの女児の犯行説の作り話。
いつ「血だらけの女児」になったのか?救急隊員も「見てきたような嘘」を言い。
これまでの報道では、女児は、は脳時刻は零時20分で、その後「死んだ」のを確認して、その上で「ハンカチで手についた血をぬぐっ」て、しかもこのハンカチかどうか知らないが、ハンカチにカーッたーナイフ(しかもこれは切りつけたときに刃が折れてしまったらしいので首など切れなかったはず)をくるんで6年生の教室の前の廊下に立ったはずじゃなかったか?
毎日新聞自体が「だぶだぶのずぼんの裾に大量の血がついていた」とのみ報道していたのではなかったか?
消防当局は、こまごまと事件の直後の様子を描いて女児が犯人であるというシナリオを作り上げたいのだろうが、対応のおかしさと矛盾に満ちたものであり、到底信用できない。
なぜなら、救急隊の到着とともに、佐世保署も到着しているからである。女児への現場(学校の保健室。毎日では消防が「事務室」で鑑定留置したそうだから驚く)での尋問をなぜ捜査員ではなく消防が行ったのか?
いったい警察は何をしていたのか?
拳(こぶし)が入る(当然大人のものとして表現したのだろう)ほどぱっくりと開いた傷口の大きさに驚いていただけなのか?
救急隊員の証言と報道記事(警察のリーク)とに大きな乖離が見られる。
しかも、である。毎日の記事には出ていないが、共同通信ではまたもや「目隠し」報道が繰り返されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/728.html
より:
>救急隊員が「大丈夫か」とたずねると、女児は「自分が目隠しをしてカッターナイフで首を切った」と説明。隊員が「水を飲むかい」と聞くと「飲みます」と答えた。
はてさて、日数が経つにつれて「目隠し」説は立ち消えていったはずだが。
以下、過去の報道を検証すべきかも知れないが、私の記憶で欠かせてもらいます。
阿修羅においても「目隠し」は不自然であることが証明されている。報道においても二つの説にわかれてきていた。
「タオルで(このタオルはどこからもってきたのかも不明)目隠ししようとしたら嫌がられた」ので「手で目隠しをした」。しかし手(たぶん左手)で目隠しするならば、片方の(たぶん右手)にカッターナイフを持っているのだから、その状態は、さとみちゃんの両目に対して左手の手のひらを当てる程度しかできない。しかもその態勢からでは、驚いたさとみちゃんに手ではらわれてしまうし逃げ出す余裕を与えてしまう。そうであれば左手の「腕」全体で、左肘を折り曲げてさとみちゃんの目の部分を含んだ顔面(首を切るためには首を絞めることは不可能)をぐいと抱き寄せて、そとみちゃんの後頭部を女児の胸元におしつける動作が必要だろう。
これは「目隠し」ではない。押さえつける行為である。「顔または頭を押さえつけて」などと表現すればリアルになるが、「手」では説得力に欠ける。
女児も表現は厳密なはずで、さとみちゃんの目に手のひらを当てた、と言っていたはずだから、文房具としての小型のカッターナイフなど手ではらうだけでもパチンと折れてしまう代物なので、「目隠し」説は不可能になったはずである。
そこで、別の説(報道)が出たのだ。
それは、なんにも話もせずに椅子に座らせて、いきなり後ろから切りつけた、という報道に変わった。
それでさとみちゃんは、この第一撃に驚いて椅子から立ち上がり(このときの傷は浅かったのだろうから、立ち上がることができたのだ)、女児に対して正対する格好で振り返り、カッターで襲い掛かる女児から身を守るために、両手でカッターを振り払った。そのときに手の甲に骨まで見える傷ができた、と説明されていたはずである。
このときにはすでにカッターの刃など根元から折れていただろうし、文房具として普段から使用していたものだから切れ味などたかが知れている。この時点で、すでに切り口の長さ10センチ、深さ10センチなどという首の傷をつけることは不可能であることがわかる。
そこで二人は追う者と追われる者の死闘を演じたはずだから悲鳴や大音声を聞いた者(三年生の教室が廊下をはさんで学習ルームの反対側にあるし、零時20分の犯行時刻だというのなら、廊下の往来があったわけである)が一人も居ない。
(これに色をつけたのが、商業主義デマ週刊誌の「週刊文春」である。私も読んだ)
以上のことから、事件の異様性が浮き彫りになってきた。
消防および救急隊の不可解な行動、担任教師の突然の2ヶ月の療養(担任はキーパースンだと思う)、ほか井上喜一有事担当大臣発言、谷垣財務相発言、安部官房長官の事件発生当日の佐世保滞在(偶然であはあるまい)、など、謎が多い。
実はしばらく発言を控えてきたのだけれど、イラクで再び斬首事件(韓国人の金鮮一氏(33)の斬首ビデオあり)が発生したので、ビデオを見てみた。
これから書くことは佐世保事件の謎を解く上で、不謹慎の謗りはまぬかれないけれど、そして金さんの冥福を祈るものだけど、あえてここで書き込みさせていただく。
このビデオはまさしくアメリカ人ニック・バーグ氏の斬首現場で撮影したものと同じである。床の色がバーグ氏の場合は紫色の絨毯が敷いてあり、画面の右には映像を追ってゆくと壁が、床をさえぎっている。
こちらのビデオではあきらかに米軍の制服を着た者が画面右側に背中半分ほども見せている。そして How will it be done?やI'll be back という言葉を発している。
オレンジ色の囚人服は金さんの場合も同じである。
それゆえ金さんの斬首も謀略だと思う。
金鮮一氏の場合の斬首時の大きな違いは何か。
しかもこのビデオには佐世保の「首切り」事件にヒントを与えるものがある。
つまり、金鮮一氏は、斬首時に目隠しをされているのだ。ニック・バーグ氏はおそらく斬首直前には絶命していたようで、目隠しの必要がなかったのだろう。
金鮮一氏は、イラク語(アラビア語)も話せたそうだが、目隠しをされ、斬首を迎えるときには英語で絶叫している。しかも金氏が一応アピールをし終えたと判断できる時点で、背後にいる男が剣を腰から抜いた(不思議なことには首切り担当者は英語がよくわかっていたのだろう)。
そして目隠しをされた金さんをおもむろに押し倒し、手際よく首を切り放し、目隠しをされたままの金さんの頭部をうつぶせになった金さんの背中に乗せている。犯人グループは目隠しは首を切断後もはずしていない。目隠しをされたままの金さんの頭部が胴体の上にこちらを向いて据え置かれた。
首の切断に使用されたのは、チェチェンのビデオでも、バーグ氏のビデオでも、今回のビデオでも同じ、非常に鋭利な剣なのだろう。手馴れた者が人質の(生きたままでも)首を切断しやすいように床に(あるいは地面に)押し付けてゴリゴリと切る。最初の刃を入れたと思われるときには金さんの悲鳴も聞こえた。
このようなビデオを何度も見なければならないところに非常な苦痛を感じ私は怒りを感じるしものすごく不機嫌になっている。
だから毎日でも共同でもいいかげんな報道をすると、いろいろ調べる癖がついてしまっているらしく現在ネット中心にデータを漁っている。もとはといえば神戸少年事件からであろう。
そこで深さと切り口が10センチといえば、小学六年の女児ならば、首は大人ほど太くないし、それゆえほんの骨のみを残してほぼ切断に近い状態に切られているであろうと思う。それでも脈を取るべきだ、止血すべきだというほど生体反応があったのはどういうことなのか?
そして目隠しについてである。
金さんは目隠しをされた状態でたぶん韓国軍の撤退をアピールしていたところだろう。その時点では斬首されるとの恐怖があったかどうかは不明であるが、とにかく韓国政府・国民に対して軍隊を撤退させよと懸命にアピールしていたのだ。そこで一段落したことを英語のわかる犯人がおもむろにおさえつけて首切りに入った。
それでは佐世保の事件では、加害者とされる女児はどのようにさとみちゃんに対して忍ばせてもっているカッターナイフで首を切ることを知らせずに、椅子に座らせる余裕を与えたのだろうか。
金さんはおそらく上半身の腕などは自由を拘束されていたはずである。その場合は恐怖に満ちていたとしてもこれからどのような行為が自分に加えられるかは未知であったと思う。おそらく韓国軍の撤退を叫べ、そうでないとお前の首を切るぞと脅迫されていたに違いない。
さとみちゃんは、タオルで目隠しをされるのを嫌がった、という報道がある。
それなら左手で目隠しをしたならば納得したというのか?そんなはずはなかろう。
HPの中傷をめぐる対立から学校でも喧嘩(口論)をしている間柄で親密な行為は、二人きりの学習ルームでは取れない。
この疑問は矛盾を突いたもので、報道は次にそういう事実では説明できなくなり、いきなり後ろからカッターナイフで切りつけたという報道が出るようになった。
この様子からは、これまでの斬首ビデオから見てわかるとおり、首切り行為は儀式であり、また、プロパガンダでもある。それゆえ神戸少年事件もプロパガンダである。
それではなぜ加害者とされる女児がプロパガンダを行う必要があったのか?首を切るという意図が本当にあったのか?それは誰かに対する見せしめでなければならないはずである。クラスの全員に対してか?
酒鬼薔薇聖斗は「学校殺し(school kill)」という語句をつけて挑戦状を発したではないか。
首切りは、真昼間の学校で、しかも密室なのかわからない一般小学生用の学習ルームにおいて「こっそり」やる必要があったのか?
しかも小型の学用品(文房具)としてのカッターナイフで首を切り落とせると思ったのか?
それならば彼女がファンだったと報道されているホラービデオやバトルロワイヤルなどで使用されるはずの銃器やサバイバル用のナイフなど使用しないと首は切れないはずとの認識はなかったのか?
カッターナイフが実に簡単に折れる(小型ほどもろい)という事実も経験上知っていたはずだ。
犯罪にカッターナイフが使われたのは過去、カミソリのような鋭利さがあるために切り裂き魔などが、スカート切りや顔面への傷つけ程度に用いられただけである、と記憶する(週刊文春ではカッターナイフで「刺し殺した」などとでたらめの作文)。
加害者とされる女児は「私がやりました」と救急隊員に語ったそうだが(怪しい限り)、この告白からは首を切るという行為のプロパガンダが見て取れない。
むしろ、担任の突然の入院加療なども含めて、もうひとつ広い視野から見た場合にこそ事件のプロパガンダ性が見て取れるのである。
ついでに言えば、担任は松川事件における佐藤金作のような存在ではなかろうか。
世にも不思議な3大(謀略)事件
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/3daijiken.htm
参考
韓国人金金鮮一氏の斬首ビデオも追加−−−−なぜこんなものが入手できるのかも不思議であるが。
http://dolby.dyndns.org/foo/
以上、長くなりましたが、この事件はいろいろ追っているところです。