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桃の節句と婚礼のはなし:平明で深遠な秘教の公開
万葉集はご存じの方が多いと思うので、
しばらくは「ホツマツタヱ」をご一緒に読んでみましょう。
私が読んだのが昭和63年。
怪しい本をたくさん出している八幡書店から初版を買いました。
もちろん際物だと思っていたのですが、
読み進むうちに引き込まれてしまいました。
今読むとますます引き込まれます。
それでははじまり。
今回は桃の節句と婚礼の話だよ。
(天七代(アメナナヨ)、床御酒(トコミキ)の紋(アヤ))
婚礼の起源を語る場面です。
(かな) (当て字)
マサカキノ ウヱツギヰモニ 真榊の 植ゑ継ぎ五百に
ミツルコロ ヨツギノヲカミ 満つる頃 世継ぎの男神
ウビチニノ スビチオイルル ウビチニの スビチお納るる
サイアイノ ソノモトヲリハ 幸(サイアイ)の そのモトヲリは
コシクニノ ヒナルノタケノ コシ国の 日成るの岳の
カンミヤニ キノミオモチテ 神宮に 木の実お持ちて
アレマセバ ニワニウヱオク 生れませば 庭に植ゑおく
ミトセノチ ヤヨヰノミカニ 三年のち 弥生の三日に
ハナモミモ モモナルユエニ 花も実も 百なる故に
モモノハナ フタカミノナモ 桃の花 両神の名も
モモヒナギ モモヒナミナリ 桃雛木 桃雛実なり
ヒナハマダ ヒトナルマエヨ 雛はまだ 人なる前よ
キミハソノ キノミニヨリテ 君はその 木の実によりて
ヲカミハキ メカミハミトゾ 男神はキ 女神はミとぞ
ナツキマス ヒトナルノチニ 名つきます 成人なる後に
ヤヨイミカ ミキツクリソメ 弥生三日 御酒造り初め
タテマツル モモトニクメル 奉る 桃下に酌める
ミキニツキ ウツリススムル 御酒に月 映り勧むる
メカミマズ ノミテススムル 女神まず 飲みて勧むる
ノチヲカミ ノミテマチワル 後男神 飲みて交わる
トコミキノ ミアツケレバヤ 床御酒の 身暑ければや
アスミアサ サムカワアビル 翌三朝 寒河浴びる
ソデヒチテ ウスノニココロ 袖濡ちて 多小の和心
マタキトテ ナモウビチニト マタキとて 名もウビチニと
スビチカミ コレモウビニル スビチ神 これも初生似る
フルコトヤ オオキスクナキ 故事や 多き少なき
ウスノナモ コノヒナガタノ ウスの名も この雛形の
ヲハカムリ ウホソデハカマ 男は冠 大袖・袴
メハコソテ ウハカツキナリ 女は小袖 上被衣なり
コノトキニ ミナツマイレテ この時に 皆妻入れて
ヤソツツキ モロタミモミナ 八十続き 諸民も皆
ツマサタム アマナリミチノ 妻定む)
(丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。
四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、
この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最愛の妻としました。
この両神(ふたかみ)の美しい物語が雛祭の由来となり、
男女の結婚制度の始まりともなりました。」
君はここまで一気にお話になると、一息つかれて、
間もなく迎えるタクハタチチ姫との生活(くらし)に思いをいたし、大層和まれたご様子でした。
「むかし昔、コシの国(越前)のヒナルノ岳(現・日野山、越前富士)の神の宮(日野神社、福井県武生市)で、
木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。
その種を庭に植えておいたところ、
三年目の三月(やよい)の三日
に、百(たくさん)の美しい花が咲いて
初夏になると香りの良い実が百(たくさん)なりました。
花も果も百(モモ)に付いたので、
この花をモモの花と名付け、実をモモの果と呼び、モモの木といいました。
この若い両神(ふたかみ)の名前もモモの木と実にたとえて、
男神の名をモモヒナギと名付け、女神の名はモモヒナミと名付けました。
因にヒナ祭のヒナの意味は一(ヒ)から七(ナ)までで、
まだ人(成人、一から十、ヒからト)になる前の若者のことです。
君と呼ぶのは、桃の木(キ)と実(ミ)のことで、
この時から男神の名前には木(キ)、女神には実(ミ)と付けるのが習わしになりました。(例:イサナギ、イサナミ)
モモヒナギとモモヒナミが人(ヒト)として立派に成人されたある年の弥生三日のことでした。
この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。
このお酒を造った神はイノクチという所のスクナミ神で、
庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見ているうちに、
ふと閃いて、籾を醸してにごり酒を造り、
桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に、竹筒に入れて献上したところ、
モモヒナギの神は大層このお酒をお誉めになり、
スクナミ神にササナミという神名を新たにくだされました。
このササナミ神は後にササケ山に祭られて、サケの語源となりました。
この両神に捧げたお酒を、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(ミキ)と名付けました。
時は春、満開の桃の花の下で盃に酒を酌み、先ず男神が女神にすすめて女神が先に、
逆さに写った月影をそおっと飲み、後に男神が飲んで
お二人は床に入られ交わりました。
これを、トコミキ(床神酒)と言います。
お二人の愛の交わりは大層熱く、
室に閉じ籠ったまま三日目の朝ようやく姿を現わしました。
たぎりつきせぬ情熱を冷まそうと清流で寒川(さむかわ・氷川)を浴びた時、
二人の情熱は完全に燃えて昇華していきました。
その折に、袖を大(ウ)そう濡らしてしまわれたのが男神、少(ス)々濡らされたのが女神。
それ以来、男神の名をウビチニ(大きくちびる)、女神をスビチニ(少しちびる)と名付けました。
(ちびるは濡れるということ)
このウビチニとスビチニ神の愛の炎は高く天に昇って、
これも古い伝えにある天地創造の頃のウビが煮えたぎる様を彷彿させるものでした。
この様に多い(ウ)少ない(ス)を表わすウ・スのお名前の両神の美しいお姿は、
男神は冠(かむり)をかぶり大袖を召し、袴をはいていました。
女神は小袖に上被衣(うわかつぎ)を召して、
二人立ち並ぶお姿(立ち雛)は雛形(ひながた)として、永く今日まで伝えられています。
この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。
この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました。
三年後の弥生の三日を記念して、ここに三三九度のしきたりがうまれました。
この日の宵に花の下でお神酒を酌み交わした盃に、月が逆さに写り映えるのを楽しんで飲みほしたところから
盃(さかずき・逆月)の言葉もうまれました。
人々はこのサカズキを生んだ両神をヒナガ岳の神として末永く称えました。」
お読みの通り、婚礼、雛祭りの起源を述べています。
とても分かりやすく、現実的ですね。
しかも、おそろしく深い意味を述べているような気がしてなりません。
ロマンティックで、情に溢れている。
こういう結婚をしたいものですね。
(アルファンドさん。 読んでる? 結婚しましたか?)
しかし、それと同時に、まるで半導体部品のような精密さを感じませんか?
形式が厳密であることが大きい。
それと共に、内容もきわめて厳密です。
このごくごく短い文章に、
桃、雛(ひな)、君(きみ)、神酒(みき)、3月3日の節句
雛祭り、甘酒、笹、床神酒、さかづき、酒といった言葉と、
それに関連する習俗がすべて書き込まれています。
この厳密な記述は只事ではありません。
しかも、主要な言葉が互いに密接に関連していま様子がよく分かるでしょう。
この短い文章に、
「やまとことば」
の神髄があるような気がしてならない。
そして、これらの習俗は、すべて非常にありふれたものです。
このようなごくありふれた庶民的な習俗に、
このような深遠ないわれがあり、
しかも神話的ではなく、ただの普通の人間の話,
ただし霊性きヒトの話として読める。
ことばと習俗と昔の出来事とが、
これほど不可分に絡み合っている。
このような文章を他の聖典や古典で見たことがありません。
これは何なのでしょう?
(来週後半までレスできないかもしれませんが悪しからず)
次は、イザナギとイザナミの婚礼の様子です。
これは訳文がいま見つかりませんが、だいたい分かると思います。
ケタツボノ ツサノツクバノ ケタツボの 西南のツクバの
イサミヤニ ウナヅキアミテ イサ宮に 頷き相見て
イサナキト イサナミトナル イサナキと イサナミと成る
フタカミノ マヂワルトキニ 二神の 交わる時に
トコミキヤ トコハトホコニ 床御酒や トコはトホコに
コオモトム ササケハトヨケ 子お求む 笹気はトコヨ
イノクチノ スクナミカミノ イノクチの スクナ御神の
タケカフニ ススメガモミオ 竹株に 雀が籾お
イルオミテ ミキツクリソメ 入るお見て 御酒造りそめ
ススメケリ モモヒナキヨリ 勧めけり モモヒナキより
ササナミト ナオタマフヨリ ササナミと 名お賜ふより
ナモササケ ソノカミイマス 名もササケ その神います
ササケヤマ ココノクミトハ ササケ山 九の酌人とは
ヤヨイミカ サカツキウメル 三月三日 サカツキ生める
カミノナモ ヒナガタケトゾ 神の名も ヒナガタケとぞ
タタユナリケリ 讃ゆなりけり