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(回答先: すべての事跡と習俗と言葉とが、数字と自然物とに還元されていく凄さ 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 24 日 23:01:36)
婚礼での神酒はミ=女性からキ=男性へ注ぐから神酒と。単純な発想です。しかしこの単純さが一番力を内に秘めているのです。ついでにいうとホツマツタエでみる風水の四神相応は、その対応する色が90度ずれてしまっています。これは"上"を"北"に配する文化と"東"に配する文化の違いから生まれたものであるように思えます。とにかく占いの全ての元になっているのがホツマ文字です。ホツマ研究者はその語感の印象からヒフミを蔑視している節も有りますが、密教色強い神道にみられるヒフミはまったく同一視して構わないものです。密教の本質は仏教とは相容れないものです。しかし上下に繋がります。そのことは興味でた時に調べれば分かる事でしょう。
萌す日頭("キ"ざす東ら)は朝日の白で、尽き煮沈む("ツ"き西ずむ)は夕日の赤です。皆見る南、花栄え("サ"かえ)は草色の「蒼」で(風水では南に緑とする向きは残っている)、ネから来た(北りて)りてネに帰る、の"ネ"は、"ウシトラ"を"鬼門"とするのと一緒で"ネ"(干支でいう"子"(ね)は時計でいうa.m.0:00)は種が土の中に産みつけられる"寝"という意味も。実際は"子(ね)"は月でいえば11月。また、後で書きますが、エト神のエ(兄)神幸命(エノカミサッチノミコト)と被さります。子となる時刻は陰と陽が入れ代わる陰陽半々の意味をもつ動物を配する為に鼠(ネズミ)が選ばれました。前足と後ろ足の指の数が陰数と陽数の為です。他の動物も一部覗いてそうして選ばれています。そして"トラ"は戸を開くという意味。よいもの悪いもの全て出てくると言う意味です。剪定の年としてリストラ元年がまさに六年前の戊寅年でした。このウシトラの時間帯にさしかかる時に、ストーンサークル等の磁場を測定すると数値の逆転現象が起こります。これは「丑三つどき」に霊が騒ぎだすと言われる事に関係しますね。こうして時間そのものにもすべて意味が含まれています。今年は申年ですが、甲申(キノエサル)という漢字の当て字もまたこの国の祖先が作ったと考えて間違いないのですが、芽が殻を破って少し成長する兆しがあるという意味としありますね。そしてサルの意味は木より枝"去る"の意味です。季節で言えば冬の準備。実(巳)の実り、収穫してものはすぐにたべられません。次の年に旨し(午し)となり、未(日熱=ひつち:土を陽に当てて土地を休ませ土壌を整える、物事の意味は「停滞」、物事が動かないという意味。策略があっても表面化しないなど、字に当てられた動物の羊はまさに、陽に当ると座り込んで動かない様子から当てられた、そして指の数、ヒツジとあるのは語言の変化と訛りヂ→ジ)。北(ネ)より来たりて〜の意味はこれこそもちろん神職を知るものならすぐに分かる事です。また時計回り(右回り)に物事は北へまた帰って行きます。北に玄関を配し、西に客間のある家はトミの役職に相応しい家。勿論時計周り動くようにに東を向いてトミの前に座るようになります。東が上なのです。前文で触れたエの神、干支の語源となるエト(兄弟)神はトホカミエヒタメ八神の配置を表す重要な神であり、国作りに重要な八柱神としてあります。非常にト(弟)の神は(配置される月は後述)得に優れた功績を残した為に一番初めに配置されています。エの神は時計板に配置すると10時半から0時迄。実はトラは一月を表します。これは季節でいうと新春、春です。子は時計板では真上に配置されていて、実際は0時としてありますが、間違いです。エの神の配置に被さります。期間はトの神と真逆の十一月半ば(15日)から12月いっぱいまでの配置ということになります。こういったものはすべて農作物、草木、人すべての成長に関連する事柄で表された言葉です。ホツマ伝の内容はあくまでもそうしたものを生み出しつつ書き表したもの、では無く、ホツマ文字やこうした暦等がすでに伝搬されている時代の中で書き残されたものであり、比較的新しい時代のものです。ちなみにトの神は農作業でも一番大変な、五月の中ごろから、つまり時計でいえば五時半から七時手前(六月いっぱい)に配置。この辺りは整理してみると謎ときの一つとして面白いでしょう。
現在書籍等で研究が進んでいるものは御存じの通り、秀眞伝の写しであります。その写しの原本もまた"写し"であります。確実に言えるのは、これも紀記同様、権力の事実関係を大きくねじ曲げて、書き換えられたもの。そういう結論です。そう結論付ける理由をもともと私はもっていましたから言えますが、この書物自体が巨大な魔術の大成で出来ているので、なかなか普通の人にはそれに気づくことはない。そのまま内容を受け入れてしまわれます。もともとそうした意図がハッキリ出ている箇所がありますが、おそらく勘が良いだけでは見つけられないでしょう。ある程度"縁"が無いと無理です。言霊、音霊、風習を学ぶ教科書としては十分に魅力的な書物ですが、その魅力的な部分にだけ捕われて奥へ進んでも、本末転倒です。神々の居た時代の史実そのものが書き記された書物などとは思わないで頂きたいと思います。それに気づくとうんざりするような書物に思えて来ます。どこがどう嘘なのか。それを説明するには違った側面から歴史を見つめる必要が有りますし、そうした文献を紐解く必要があります。そちらの方が実際は今の日本、世界史に直結する部分なのです。そしてこれ以上はあまり言及いたしません。まずこれよりも、フトマニ、ミカサフミの方の研究を優先するべきかもしれません。それと、そうしたより深い所を知りたければ、自分の足を動かす事です。そうしないものが真実を知るのは「無理」です。各地の伝承について研究している方々は多く、鍵となる場所は多数点在しています。
とてもじゃないですが、ホツマ伝そのものは、「正史」と呼べるようなものとして研究の対象にすることは怖い事です。私はこの書物をそうした意味合いで受け入れる事はまったく出来ません。
ただし、このホツマ文字自体は間違い無く本物です。しかし研究材料にされる小笠原氏の書き記した写しでは言葉の表記は一部、意図して入れ替えているのか、それとも写し間違いなのか、力の正しく発揮される組み合わせでは無いのが気になりますが当然かも知れません。
この機会に学ぶ事はついに開かれる神秘のベールの幕開けの一歩です。この事が世界を一つにするきっかけの書物として注目したい所ではありますが、そうしたことから直の事、鵜呑みせず、この書の内容をまず確実なものとして認識する必要があります。賢い方なら、また縁がある方なら、正しい史観を作る鍵を見つけ、つながりを統べて理解出来るのではないしょうか。ヒントをいうとすれば、今の"出雲"はまるで場所が違う、という事ぐらいです。
ともかく、そうした事を考えて行くと、この国に漢字が流入したきっかけや、神道とは何か、日本の仏教とは何かなどはすぐに解明できると思われます。そして視点は突如宇宙へ向けられていくはずです。
日本は漢字流入以前は諸民族、その言葉、地名がすべて入り交じっていた都としての国土だったと思います。ここで良く出てくる破落戸(バラクーダ)などという言葉が今の現代日本語にも残っている事はBABELを連想させます。結局今の米英の祖先が戦火によって侵略→英語圏拡大で、言霊、音霊の正しい力が世界を包まなくなったという事で、今の地球が大きくバランスを崩していることなども確かだと言えると思います。言霊文字、所謂ホツマ文字の素晴らしさは知れば知る程、明解にそうした欠如した部分を補ってくれる点に尽きます。音霊も理解する事で、日本のこの言葉の文化が全ての言語の基本だという事も理解出来ると思います。今それを復活させる事は、崩壊しかけた世界にバランスと安定を取り戻し、様々な世界の謎を一気に紐解く為の合い言葉になってくれましょう。世界に対してのわだかまりが少しずつ消えると同時に、世の中のものの見方も少し変わってくるかも知れません。しかし、結局は自分の足で歩かないと何も得る事は出来ません。縁もその一つです。愛する人達とあちこち歩かれると良いでしょう。
健闘を祈ります。
いやいや本当にこうして話しするだけで身体が暖まってきます。実際は楽しい世界なのです。戦争を生むものさえ無ければ。
なおホツマを研究するものの中には戦争を切り離せないまま漢字に当て字してさらに困惑を深めようとする人間もおります。ひとつ信念をもたないと真実は再び隠されてしまいます。十分御注意を。
それと、いつぞやはスミマセンでした。