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(回答先: Re: 参上つかまりましてございます。 投稿者 M 日時 2004 年 4 月 13 日 01:54:25)
こんばんは。
この辺になると私の知力ではうまく展開できませんがボチボチやってみます。
■教王経
狭義における「金剛頂経」のことですよね?「こころは東寺にある」と言われた寺の名前が
これに由来するなら、「大日経」「金剛頂経」と相並ぶ真言密教根本聖典中の聖典ということに
なります。少なくても弘法大師はそう考えられていた。
教えてください、「教王経」にはどんなことが書かれているんです?
■後七日御修法
Mさん>由来から考え、伝統を尊重されるならば事実上の国事です。
「国事」が気になってにわか勉強しました。Mさんはともかく、他のみなさんのために
解説文を引用します。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/headline0001.htm
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☆後七日御修法、開白
1月8日、国家の安泰、世界平和を祈る「後七日御修法(ごひちにちのみしゅほ)」が
京都の教王護国寺(東寺)で、高野山金剛峯寺座主のもと、真言宗各派山主により開白した。
宗祖弘法大師が唐の例にならって承和元年(834年)、宮中真言院で「後七日御修法」を
営んで以来、1160年以上続く真言宗最高の大法で、14日までの7日間奉修される。
「後七日御修法」とは、宮中での新年行事の最初の7日間は神式で行われるのに対して、
8日〜14日までの後半(後七日)は仏式(真言密教)で行われることに因んで命名されたもの。
玉衣(天皇が身につけた衣服)を宮中から持参し、これを玉体(天皇の身体)に見立てて、
7日間にわたって加持祈祷を行うものであり、毎年、真言宗各宗派の管長クラスが
輪番(イロハ順)で大導師を勤める。
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http://www.zentsuji.com/general/gyoji/misuho1.html
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<教王護国寺(東寺)資料より抜粋>
後七日御修法は、千百有余年の普から宮中で行なわれた真言宗最高のた法で、
国家の安泰、世界平和を祈る重要な儀式です。
名称は「宮中真言院後七日御修法」とも『真言院御修法』とも、また時期にちなんで
『後七日御修法』などとも呼ばれ、通称『みしほ」と呼ばれています。
もともとは唐の不空三蔵が皇帝のために行なわれた例にならい、我が国でも真言宗の
開祖弘法大師が承和元年(八二四)正月八日より十四日までみ七日間宮中において
行なわれたのが最初です。
これ以降、承和二年(八三五)より毎年の恒例行事とされ、特に、承和元年と翌二年の
二ヶ年は、弘法大御自身が大阿闍梨となって修法されました。
御修法は、堂内東側の胎蔵界曼荼羅と西側の金剛界曼荼羅を一年交替に本尊として
修法します。また、この他に、災厄を払う息災護摩壇と幸運を招く増益護摩壇や
五大尊壇・十二天壇・聖天壇などを設け、特別の法器法具を整えて厳かに奉修される
密教最高の儀式です。
今日までに南北朝の動乱などによって中断された時期もありましたが、宮中において
連綿と厳修されてきました。最近では、明治四年、廃仏毀釈の影響もあり、
一旦は廃止となりましたが、当時の高僧方の努力により、明治十六年正月八日から、
道場を東寺の潅頂院に移して再び行なわれることとなりました。
現在では、真言宗各派総大本山の山主と定額僧(真言宗全体から選ばれた高僧)の
方々が、七日間二十一ヶ座にわたり丹精をこめてご祈念申し上げております。
また開白(初日)には宮内庁より天皇の御衣を奉持し、中日と結願(最後の日)にも
天皇陛下の勅使が道場を焼香参拝されることになっています。
御修法は、弘法大師の教えを実践し、相互供養(たがいに助け合う)と相互礼拝
(たがいに尊敬し合う)の精神で、全ての人が幸せになり、ひいては世界平和に
つながるように、お祈り申し上げるものです。
従いまして、この御修法にお会いになられた方々は、弘法大師のご住房であった
東寺御影堂(大師堂)にぜひご参詣いただいて幸せをお持ち帰りください。
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どこかのページ(URL失念)にはこうもありました。
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東寺は、最も権勢を誇った鎌倉時代から南北朝のころ、西日本を中心に約30カ国
70数箇所に及ぶ荘園の上級領有権を有していた。寺院内各種機関や荘園内部で
作成された仏事・法会の経宮や、荘園の支配・管理にかかわる文書が,
『東寺文書』(総称)として、幾多の災禍を受けながらも今日まで伝来されてきた。
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気になったポイントを抜き出すと、
・宮中での新年行事の最初の7日間は神式で行われるのに対して、
8日〜14日までの後半(後七日)は仏式(真言密教)で行われることに因んで命名された。
・相互供養(たがいに助け合う)と相互礼拝(たがいに尊敬し合う)の精神で、
全ての人が幸せになり、ひいては世界平和につながるように、お祈り申し上げる。
・(東寺は中世以降)権勢を誇り、荘園の上級領有権を有していた。
・堂内東側の胎蔵界曼荼羅と西側の金剛界曼荼羅を一年交替に本尊として修法する。
さて・・・・・
Mさん>現在国宝に指定されて、先般世界遺産に登録済み。
(理由:そういう意味なようです(笑))
だそうですが、「そういう意味」とは、このように「重要な位置」にある寺だからと
解釈していいでしょうか?
神式と仏式、7と7、胎蔵界と金剛界の交互修法を行う。
この対照性が気になります。
ちなみに「修法」とは何か?
http://www.ermjp.com/bukyou/manda/mikyo/mikyo3.html
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密教は、その教理とともに修法という実践的な儀礼を重視する。教理の理解と厳格な
修法(しゅほう)の実践によって郊験(こうけん)を得、悟りに達するのである。
修法は秘法とされ、ほとんどのものについては具体的な内容を我々は知ることができない。
修法とは、特定の本尊を定めて供養物を捧げ、身・口・意の三密行を通して本尊と
同様の境地になり、究極的に本尊と同一となり、種々の願意の実現を祈願することをいう。
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私の言っている「あたま」と「からだ」のうち、後者を厳密に「かたち」にしたものと言えます。
■転輪聖王
後七日御修法では、「玉衣を宮中から持参し、これを玉体(天皇の身体)に見立てて」
加持祈祷するわけですから、日本密教においては「天皇が本尊」と考えられているとも
言えます。転輪聖王が「国事」と言われる重要性がここで認識されてきます。
ちなみに、Mさんの投稿(http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/979.html)には
非常にキーになることが書かれていて、私自身いまだ十分「解読」できていません。
その上でとお断りした上で、Mさんは、転輪聖王について、
「王族生まれのお釈迦さまが王となれば、世界を支配するであろう」
と書かれています。
我々が考えなければならないポイントは、ここに凝縮されていると思います。
俗界には誰しも「転輪聖王」を待望したくなる状況が満ちています。にもかかわらず、
我々には「仏陀」だけが与えられていて、「転輪聖王」は可能性の中にのみ存在して
いると考えられています。あらゆるメディア(阿修羅含む)で飛び交う声は、
そういう評判の増幅装置の役目を担っています。
しかし誰かをヒールに見立てて腹の虫を収めているうちは「成仏」できません。
"彼ら"とは誰のことでしょう?我々は陰謀論を離れて、よく考えてみる必要があります。
Mさんはこうも書かれています。
「勅使の赴く先が(中略)天皇さまのご意志です。」
暴言めきますが、私が「間に合わない」と言っているのは「転輪聖王」も同じ思いだという
推測があるからです。
一つのヤマは2008年までに来るでしょう(オリンピック前)。
次のヤマはその後5年以内でしょうか?
「転輪聖王」は誰か?この問いはとても重いと思います。
Mさん、後をよろしく。