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バルト三国と呼ばれる諸国のうちもっとも北に位置するエストニアのレーヴァル(現在のタリン)で生まれたローゼンベルクは、いわゆる「在外ドイツ人」、つまりドイツ国籍を持ちながら外国で生活するドイツ人の一人だった。エストニアはロシア帝国の版図のうちだったからである。ラトヴィアのリガ、ついでモスクワの大学で工学と建築学を専攻したが、勉学途中で1917年の十月革命が勃発し、彼は郷里のレーヴァルへ帰った。
やがて、ドイツ軍がそこを占領し、エストニアは18年二月に革命ロシアから独立を宣言する。かねてドイツ・ナショナリズムの激越な信奉者だったローゼンベルクは、義勇兵としてドイツ軍に加わる志願をしたものの、これは認められず、やがてドイツの敗戦になった。
かれはベルリンに逃れ、やがてミュンヘンに移った。そして、ちょうど二十七歳の誕生日を迎えたころ、おりから『アウフ・グート・ドイチェ』を創刊したばかりのエッカルトと邂逅したのである。それはまた、バイエルンで「下等人間どもの独裁」、つまり社会主義革命が進行していた時期でもあった。
(つづく)