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(回答先: Re: ローゼンベルク (5) 反ユダヤ主義の根拠 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 5 月 22 日 01:25:18)
かれはユダヤ人団体のリーダーたちがユダヤ人の利害のみを重視する基本姿勢を指摘したのち、ユダヤ人虐殺(ポグロム)に対する非難への反論に移っていく。かれの論点の第一は、世界大戦でドイツに占領された諸地域や同盟国の領土内だった地域―ポーランド、ウクライナ,ガリツィア、ハンガリー―で起こったとされるポグロムそのものが事実無根であるか、さもなければ誇大宣伝である、ということになる。そして、第二の、いっそう本質的な論点は、ユダヤ人への同情を喚起しようとするポグロム宣伝の真偽はさておき、反ユダヤ主義とユダヤ人迫害には正当な理由がある、という主張に他ならない。
では、その根拠たる社会的構造とは何なのか。ローゼンベルクによれば、それは、ユダヤ人が現在のような位置を占めるのを許している社会の構造にほかならない。そしてユダヤ人にそれが許されているのは「かれらがほしいままにしているはかり知れない富」のゆえであり、「全能の黄金」のゆえなのであって、もしそれがなければ、「世界の政治を操縦し、あらゆる国々の政治家たちをユダヤ人の操り人形のように動かすこと」も、『平板化や分裂という害毒がそれ固有の本質を持ってヨーロッパ人の心の中に沈殿し、さまざまな精神をユダヤ人にとって好都合な気分に保っておくこと』もおよそ不可能だったろう。ユダヤ人迫害の根拠はここにある、とローゼンベルクは言う。
そしてユダヤ人迫害は、これをあらかじめここで言っておかなければならないのだが、腫瘍には、暴利のしこくを打破するために繰り返し新たに企てられる試みなのである。そのしこくが、人種的に異質な、宗教および倫理的に敵対する不法侵入者に由来するものであってみれば、なおさらのことである。ドイツの反ユダヤ主義者たちの仕事は、ユダヤ人の飽くことを知らぬ強欲がドイツ民族に対する支配の中でもはやこれ以上ない頂点に達したときに必ずや生じるであろうこの非常な必然性に対して、ひとつの合法的な打開の道を斡旋することなのであり、それはユダヤ人が、法律に基づいてすべての国家的職務から遠ざけられることを要求することによってなされる。
「汝らの内面を妨げるものを、汝らは許容してはならぬ」と、ゲーテは言っている。キリストは両替商のユダヤ人を鞭で宮から追い出した。ドイツ人もまた、自己が持つ最善のものを、自己の精神と自己の歴史とが、管理されるべき財産として伝えてくれた最善のものを、必要な場合には鞭によって防衛しなければならないであろう。ドイツ帝国は、長い時間のあいだに、再びドイツの国にならねばならぬのであって、解き放たれたユダヤ人の権力欲の遊技場になどなってはならないのである。
反ユダヤ主義理論は、彼にとって、単なる思想上の理論ではなかったのである。ボルシェヴィズムの中に最新の、もっとも恐るべきユダヤ主義の具体的な顕現を見ざるを得なかったように、かれはにとって反ユダヤ主義は、ドイツの将来を賭した闘いの問題、もうひとつの革命に抗しテ自己の陣営による革命を貫徹する闘いの問題に他ならなかった。そしてこの闘いを、かれが始めて開始することができたのが、ディートリッヒ・エッカルトのもとでのことだった。
(続く)