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(回答先: 具体的でリアルな「共同体」から抽象的で観念的な「国家社会」へ [オニオンさんへ] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 05 日 16:47:21)
あっしらさんこんにちわ。レスありがとうございます。
>オニオンさんが提示された疑義からは少しズレていますが、やり取りを通じて収斂させていきたいと思っています。
いえ、寧ろ話が理解しやすくなって助かりました。
>「民主主義はすばらしい」と言えるのなら、「独裁政はすばらしい」とも言えます。
どぎつい皮肉ですね(笑)。でも確かに「民主主義はすばらしい」も「独裁政はすばらしい」もそれをアプリオリに言うなら空論であり、単なるスローガン(それも恐らくは他人の受け売りの)でしかないという点に置いては同じことですね。
ただフランス革命及びそれに付随した民主主義に関して言うと、前近代(自然秩序)に対する近代(啓蒙思想)の勝利という見方がありますよね。それは確かにその通りだと思うのですが、それに参加もしくは支持をした大勢の一般庶民には「自らの暮らしを守るために圧政者(注)を倒す!」という現実認識があったのだと思います(その認識の正否は置くとしてですが)。
この他にも古代ローマやギリシャ等で起こった民主制(共和性)も含めて民主主義も始めは空論ではなく確かな現実、他者との関係性の上で起こったものだと思います(この他の自由、平等などの抽象論も始めは確かに存在する他者関係性があったのでしょう。始めはアプリオリではなかったと)。
しかし時が経ち土台が変質したからか、或いは抽象論の実体を無視しその上澄みだけを他所に移植したのが原因かは分かりませんが民衆主義、自由、平等などの抽象論は今では単なる空論となりました。空論とは地に足着かず空に浮いてる論、或いは実体のない空っぽの論という意味でしょうからまさに読んで字の如くという気がします。
しかしこの事は空論化した抽象論も具体的活動や、実生活に絡めての思索によって実(み)を与えれば蘇る可能性があるとも言えそうです。とすると民衆主義や自由、平等などの観念を無批判に受け入れるのはちょっと容認できませんね。
これらの観念をさも自明のことで誰にも否定できぬ真理であるかの如く教える近代の学校教育は確かに「異常」と言って差し支えないかもしれませんね。
(これらの観念が良い悪いと言う話ではなく、一人一人が身心両面からの思索によって観念を血肉化する事こそが大切という話。血肉化の結果その観念を是とするか否とするかは人それぞれ。でも同じ共同体に属するもの同士の間でならそれ程の差異は出ないでしょう。)
この空論の蘇生、或いは抽象論の血肉化の話は理念だけではなく宗教、特にキリスト教やイスラム教等の一神教などにも当てはめられる思います。一神教は教義的にそれをアプリオリとして受け止めなくてはならないのかも知れませんが、教義への盲目的追従よりも教義と現実との間にて悩みを抱えながらもそれを解け合わせ自己の世界を構築していく様の方が好感を覚えます。
まあこれは個人的な趣味の問題かもしれませんが、、。ただ上に上げたような事柄は各人の自己に対してもまた社会の在り様に対しても行われてきたし、これからも行われていくものだと思います(イスラムの無利子銀行など典型的な例かもしれませんね)。
さて今まで抽象論に対して「伝統」とは何か。実はこれが僕にはまだ分からないのです。伝統がただの形式であり、他者(人以外も含む)との関係性の在り様を規定したルール(マナー等もこの表現に収まるでしょう)であるなら上の抽象論と同じように各人が身心両面から血肉化すればよい、という話になります。これなら単に抽象論に具体的な行動様式を付加しただけの話ですからね。
ただこれは先に上げた関係性を現在的なものに限定した場合です。ですが「伝統」と言うとどうしてもその歴史性を意識せずにはいられません。自分とご先祖様たちとの関わり、自分と子孫達との関わり等です。この辺がまだ整理がつきません。
あっしらさんも以前きゃべつさんに対する(Re: Plan Cを受けて
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/453.html)のなかで伝統について語っておられましたが、あっしらさんは「伝統」についてどの様にお考えなのでしょか。ご教示していただけたら幸いです。
(自分で話を振っておいて今回のでさらに横にズラしちゃったかな、、(苦笑)。まあ根本のテーマは変わってない(つもり)のでご勘弁を)