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死というものについて(全体と個ということの定義)
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/544.html
投稿者 調和人 日時 2004 年 5 月 01 日 14:19:04:YeUEew8g6.9hA
 


http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/538.html(Re: 死について)という白亜さんの意見に対して、
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/541.html(Re: 死について)という私の考えを述べました。
その後に
猪突猛進さんより、すばらしい考えをいただきました。

皆さんと共感(意見交換)できればと思い、強引にスレを立てました。

http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/542.html(興味ある話題なので横から失礼します。)よりすべて転載

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こんにちわ 少し前から読ませていただいてます。 猪突猛進といいます。
お二人が「無神論者」と表明されていて、そのうえでの発言なので
興味深く読んでいました。
私の感じたことを少し・・・
> >人に限らず生物が死ぬのは、自然がそれを許さない、ということです。
> >死ななかったら人口はどんどん増えていきますよね?
> >地球という限られた場所で生きていく以上、人口にはどうしても許容量があるのです。
> >人間の知恵が、自然に逆らいその許容量を増やしていきましたが、やはり限界はあるでしょう。
>
> わたしの考えでは、自然がそれを許さないのではなく、自らがそれ(これ以上の人口増加)を
>欲していない。そして、ある時期が来ると自らが進んで死(肉体の死)を選んでいる。と考えております。
以前、不老不死は可能かもしれない・・・という発表がありました。
細胞が一定周期で分裂をするのだけれど、その回数が予め決められている。
その「回数制限を解除」するという方法が見つかり、それをすると
寿命が延びたと。つまり、「有限」というプログラムが施されている・・というだけ。
その「有限」というプログラムは、結局は生態系という全体が、そうした有限プログラムを
個々の生物が持った方が全体の調和が得られるということで、施されるようになったと思われます。

DNAのレベルで、こういったプログラムが施されています。

白亜さんの考え、つまりは、生態系というものも自然なわけで、全体として
制御が働く(つまりはガイア論)の方が無理がない。
調和人さんのいう「自ら進んで」は少し違うと思います。

また、生命とは何ぞや?と考えたとき、例えば人間とかの「多細胞生物」というものは
多くの細胞が寄り集まって「1人」という個の意識を持っています。
「私は・・」というように、一人というものは単数なので、1個と思ってしまいそうですが、
実は多くの細胞たちが有機的に連携して活動しているその総和なわけで、単なる代表にすぎません。
また、この多細胞という生物は、細胞同士が直接的に(つまり、神経やホルモン、血管などで機能的に)
結ばれているだけでなく(髪の毛や爪や皮膚も自分の一部)、間接的結合もあります。
即ち、大腸菌などです。大腸菌は私たちとは間接的関係で、厳密には「寄生」しているわけで
私たちそのものではないように感じますが、この大腸菌が必要不可欠な存在という意味で
生命体としての必要な一員です。
このように、直接的であれ、間接的であれ、生命という営みは常に「連携する全体」こそが
意味があるわけで、全体こそが「個」という生命の本質であると思います。
つまり、「個」などというものは現実には存在しないものであって、錯覚であると私は思っています。
一つの細胞を眺めてみても、それは単なる一個の生物とは言えないと言われています。
映画などで有名になった「ミトコンドリア」などの器官も、もともとは別の生物だったものを
取り込んで、自分の機能の一部を担わせていることから言って、一つの細胞にしても
実は複合生命体なわけです。機能的合体はミトコンドリアに限りません。
また、蟻とか蜂の社会を見てみると、女王、作業専門、兵隊専門など分業がはっきり分かれて
いますが、これなども、一つの蟻の集団、蜂の集団が一個の生物と等価と言えなくもありません。
だからこそ、地球上の生態系を構成している生物の集合が「地球」という一つの生命体そのものと
等価である思います。
ですから、「私」などという意識は錯覚に過ぎず、純粋な「個」は存在しません。

生物の死というものは、決められた細胞分裂の回数によって決められるように有限ではありますが、
それはたとえて言えば、「皮膚は新陳代謝をする」のと同じ意味で、個々の皮膚細胞は「死」が訪れても
全体としては単なる新陳代謝に過ぎない。
地球上の生物の「死」も地球という生態系そのものの新陳代謝に過ぎないと私は思っています。
ただ、人類だけは、少し、違うんですね。 やはりどう考えても癌細胞としか考えられません。
> 事実上、一番強い人間はなぜ、淘汰されるのですか?今現在、一番強い人間は飢えか、争いで淘汰されていますか?
>
> >そして核戦争などで全滅するとしたら?
> >それは自然がその種全ての存続を拒否したということです。
>
> 私は、種自らがその道を選択したのであって、自然のせいではないと考えています。

私は映画マトリックスのなかでエージェント・スミスが語っている「人間とは・・・」が
真実ではないかと思っています。即ち「人類は地球上の癌細胞」であると。
地球という生態系の調和を無視し、自己中心そのものの増殖をし、母体である地球を傷つけ
破壊し、結果、自らも生き続けることが困難になり、いずれは破滅する。
地球が凄いのは、こうした癌細胞たる人類が出現し、生命がほぼ絶滅したとしても、
長い時間の後に、また幾多の生命で溢れる生命の地球に復元するということです。

人類についてさらに言うと、人類という種は何故、地球という生態系を無視して
調和できないのか?というその理由ですが、正常細胞が変異した奇形としての
不完全細胞たる癌細胞ということだけではなく、元々が地球という生態系の一員では
ないのかもしれないということです。
> >しかし絶滅の危機を回避するぐらいの知恵(理性)は、人間は持っているではありませんか?
> >自然は許容量内の人間の生存を、とりあえずは認めているのですから。
>
> その通りです。
そうは思いません。
人はよく「分かっている」と安易に口にしますが、「分かっちゃいるけど止められない」のが
実態で、実は本当には分かっていないともいえます。
そんな「知恵、理性」は絵に描いた餅に過ぎません。
絶滅を回避する知恵、理性を本当に持っていれば戦争は起きません。
つまり「分かっている」と錯覚している「わかっちゃいない存在」それが人間だと思います。
ただ、個々の意識レベルには差があって、分かっている人も確かにいます、
そしてそれ以上に分かっていない人達が多く居て、さらにまずいのは
大きな権力の座にいる連中というのが「分かっていない」連中で大半が占められているということです。
よって、極少数の覚醒した人、分かった人が居たとしても、「全体」として考えれば
やはり人類は分かっていないということになり、いずれは破滅することになるのでしょう。
悲しいことです。
ところで、無神論者の方々にお聞きしたいのですが、
[生物」というものは太古の海で、偶然発生し、陸と空に広がり、淘汰と突然変異を繰り返し
適者生存の結果、今の地球上の生き物がいて、そして人間がいるとだと・・本気で考えて
いらっしゃいますか?
 猪突猛進(膝枕)


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