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(回答先: Re: 死というものについて(全体と個ということの定義) 投稿者 真相ハンターK 日時 2004 年 5 月 01 日 21:03:34)
真相ハンターKさんこんにちは
正直、今日は疲労困憊ですが、真相ハンターKさんの問いに対する私の考えを述べます。
後から書いたhttp://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/564.htmlも参考にして下さい。
>>宇宙全体も遠くからみると、その構成が人間に近いものに思われる。
>との事ですが、同じ様な構成でも、全く違います。たとえば生きてる人と死んだ人の構
>成物質は、ほとんど同じですが、死んだ人は死んだ人です。死亡直後は細胞レベルでは
>生きているかもしれませんが、兎も角、死んでます。よって構成物質が似ている事でそ
>れを生きているとするのは間違いです。
私は、「肉体」(物質)はあくまでも、意思が作り出した道具だと思っています。意思というエネルギーの凝縮されたものだと思っています。生きている人と死んだ人の違いは「意識」「魂」があるかないかだと考えています。(詳細は上記箇所参照)
>更にその直後の・・・
>>人間(生命)に意思があるから、全体にも意思があるはずである。
>は三段論法(それも、ちょっと飛躍しすぎの)の上、間違ってます。まず、人間に意志
>があるので、他の全ての生命(括弧の中)に意志があると言うのが飛躍しすぎの論法で
>す。意志の定義の問題でもありますが、動物にあるのは本能、植物にあるのは反応と私
>は考えます。まあ、人間に近い動物(ほ乳類の一部)等には意志と呼んでも良いかもし
>れないものを持っているものもいますが・・・
私は、全ての全体が、自分を体験する為に全ての要素を創造したのだと考えております。
ですから、全てに意思(石にも植物にも)があり、すべてに分割されたものと解釈しております。(詳細は上記箇所参照)
>更に間違っているというのは、意志というのは脳の中での電気作用と違うのか?と言う
>点です。それは意識であって意志では無いという考えもあるのですが、ここでは、同じ
>と仮定します。そうすると「全体の脳はどこで、どこに電気作用が生まれる?」と言う
>事になります。よって、構成物質が似ているのは生きているには繋がりません
「魂」も「肉体」も「意識」もすべて、全ての全体の意思であると思いますが、「意識」が「肉体」のどの部分にあるのかと言われると、神ではないので難しいですが、脳にあるものではなく体全体(生命のすべて)にあるのではないかと思います。なぜならば、生命の集合体が全ての全体の意思といっているのですから、人間の場合もすべてということになります。脳はそれらの意思を取りまとめる為の道具(肉体)であると考えています。
>私は前から思っているのですが、寝ている間の自分の精神も自由にならないのに、死後
>の精神が自由になるかな?自由という言葉が不適当なら自覚でも良いのですが・・・
寝ている間は、「魂」が肉体の拘束から離れ、一時の開放感を味わっている(もしくは休憩している)ものと思います。
そこに、「意識」がついて行くことは、可能であると認識しています。
事例として、幽体離脱(覚醒夢・明晰夢でも可)というものがいいかもしれません。
有名なロバート・モンローは何度も幽体離脱をしていたそうですし、多くの人の事例もあります。それが事実かは体験しないとわかりませんが、事例として無視する訳にもいきません。ちなみにアメリカにあるモンロー研究所というところでは、それが訓練することにより、幽体離脱は可能であるとし、今でも多くの人が幽体離脱に近い体験をしているそうです。
>仮に魂とか残留思念とかが存在するとして、それがどうやったら物質に影響を与える事
>ができるのでしょう?
この部分については多くの人から批判が来るとは思いますが、ずばり言います。
物質は、自らの「意識」で、作りあげることができます。
なぜならば、物質は意思(エネルギー)の集合体であるからです。
ただ、間違えないで下さい。
魂が肉体的拘束を失えば、それは瞬時に創造することができますが、
物質界(我々の存在するという世界)においては、物質的拘束や時間的拘束を受けます。
また、すべての人の集合意識とのバランスを保たなくてはなりません。そして、その意識が強いほど自らの意識によりそれは物質となります。(その意識レベルによって時間は掛かるかもしれませんが)
>幽体でも思念体でも何でも良いのですが多分、電波かエネルギーの一種だと想像する訳
>ですが、入れ物(肉体)から抜けた時点で霧散するのが物理の法則です。そこに重力の
>ような何らかの引き留める磁場があればあるいは霧散しないかもしれませんが、それな
>ら発見されても不思議はありません、でも発見されません。
物質的物理の法則があてはまるかは別として、肉体の拘束を解かれた魂は自由です。
全ての全体の中にあり、全ての場所(というものはないが)に移動することができます。
> では、幽体とは全く質量を持たない物質でしょうか?そうかもしれません、しかし、
>そうであるならば、そこには何の意識も生まれませんし、生まれても認識できません、
>ましてや、他の物質に何らかの作用は絶対に与えられません。まあ、千歩譲っても精々
>心霊写真に写り込むくらいでしょう。(笑)
幽体と呼ばれるものも、「魂」であり、「意識」であります。どちらかというと、全ての全体の一部であるということ(この表現も適切ではないのですが)をまだ、「意識」が思い出していない状態であると思われます。
ですが、やはり同じものからできている為、他の物質になんらかの作用を及ぼすこともできます。
ただ、全体の目標、分割している意図、それぞれの「魂」の意思をわかっているものは、他に作用することはありませんし、また、自分の「魂」がそれを受け付けません。もしくは、他の「魂」がそれをさせません。
ということで、宜しいでしょうか。
私は今、皆様からみるとインチキ詐欺師か、いってしまった常識ハズレの人間に思われているかもしれませんね。まっ、それもいいでしょう。
すこし、私はゆっくりと投稿(返信)させて頂きます(所用もあるので・・・)