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(回答先: Re: 死というものについて(全体と個ということの定義) 投稿者 調和人. 日時 2004 年 5 月 01 日 19:31:06)
さて、全ての全体が自分を知り体験するために意思は魂と意識とに分かれたと話しました。ここで、正確には意思は魂と意識とそれを体験する為のアイテムとして肉体(エネルギー体)というものに分かれたのです。
要するに魂と意識と肉体は、すべて、意思(分割された全体の意思)が分割したものであると思われます。
意思は、
「魂」 → 全体であるという自分を知っている
「意識」 → 全体であるという自分を忘れている
「肉体」 → 体験する為の道具。
に分かれたのです。
全ての全体の意思は、自分を知りたい(体験したい)ということでした。
それを知っている「魂」は、自分を知ろうとする(体験しようとする)
善も悪も、愛も不安も、喜びも悲しみも、苦しさも楽しみも、
要するにこの世にあることすべてを知ろうと(体験しようと)する。
全ての全体の意思を知らない「意識」は、全ての全体の意思とは関係なく、意識自らが作り出した(ここはものすごく勘違いされる方が多いでしょう)状況に応じて体験する。
「肉体」はいつまでも、生命として生きる為に最善の努力をします(つまり、いつまでも生きようとする)。
ここで3者(魂・意識・肉体)に働くのは、バランスだと考えます。
「魂」は、全てを知り体験したい為にどうすればいいかを考えました。
しかし、一度の生ではすべてを体験することは非常に難しいと判断しました。
そこで、とった方法が何度も生を作ること。
何度も、その状況を変更し生まれてくること。を思いついたのだと考えます。
ただし、それを知らない「意識」とそれを受け入れない「肉体」は、死という概念に反発をした。
そこで、バランスをとりながら妥協点を見つけ、死という期間を設定したのではないでしょうか。
ただし、「意識」にそのことを内緒にしなければ、人生というゲームを思う存分楽しむ(自分を体験する)ことができません。
そこで「意識」には内緒にしつつも、「魂」が「意識」・「肉体」を観察しつつ、もうこれでいいだろうという時期に死というものを設定し(提案し)、それを実行したのではないでしょうか。
(もちろん、「意識」が、「魂」・「肉体」を無視して(自分勝手に)死を実行するケースもあります。)
また補足として、
ここで大切なのは、死ということで「魂」と「意識」と「肉体」はまた一つに戻る(思い出す)ということです。
分かりやすく言うと、分割された一つに戻り(思い出し)、やがて全ての全体に戻る(思い出す)ということです。
私が、自らの意思で死を選んでいると考えた説明に対しては、この辺りで宜しいかと思われます。
ですが、この部分についての猪突猛進さんの言っておられることも正論です。
「意識」・「肉体」は、「魂」の考えを知らないし受け付けないわけですから、自然(神・全体)の法則と位置付けられても、よく考えると何ら問題はないかと思いました。