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(回答先: Re: 私見 投稿者 調和人 日時 2004 年 4 月 29 日 16:20:14)
私の名が出ていたもので・・・
「(死というものについて)人はその恐怖に耐えられなくなり・・・」
は、宗教が必要になった起源についてですので、万が一私の私見と勘違いされたくなく、私の死についての私見を述べさせていただきます。
人に限らず生物が死ぬのは、自然がそれを許さない、ということです。
死ななかったら人口はどんどん増えていきますよね?
地球という限られた場所で生きていく以上、人口にはどうしても許容量があるのです。
人間の知恵が、自然に逆らいその許容量を増やしていきましたが、やはり限界はあるでしょう。
ではなにゆえ繁殖があるのか?
より強い種を残すため、肉食獣に弱い種を食べてもらうためです。
では知恵を持ち事実上一番強い人間は?
飢えか、争いによって淘汰されるのです。
そして核戦争などで全滅するとしたら?
それは自然がその種全ての存続を拒否したということです。
幼児虐待で幼児が死亡・・・無差別殺人・・・
それは、そのようなキチガイ父母の種を残すことを、自然が拒否しているのです。
そしてそのようなキチガイが生まれた背景には、すでに人口が許容量を超え、自然がそういうキチガイが生まれてくるような社会を作ったのです。
人間の人口が限られている以上、飢えや争いは完全には無くならないと思います。
しかし絶滅の危機を回避するぐらいの知恵(理性)は、人間は持っているではありませんか?
自然は許容量内の人間の生存を、とりあえずは認めているのですから。
人は何故死を恐れるか?
人間の生きようとする生存本能です。ライオンに教われたときと一緒です。
恐れないというなら、それな知能という理性が本能を抑えこんでいるからです。
私自身は死を恐れているか?まだ回答できません・・・かといって宗教にすがるほどには知は暗くはありません。抑えこむ自信が持てないくらいの知の暗さということです。