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(回答先: Re: 興味ある話題なので横から失礼します。 投稿者 鼻曲がり 日時 2004 年 5 月 01 日 14:32:19)
鼻曲がり さん こんにちわ レスありがとうございます。
>私自身の死後、魂として残らない。つまり死後個別性を持った存在でありえるのかということから、
>私自身の脳の破壊とともに消えてしまう存在だという観点からです。
魂があるのかないのか?についてのご意見承りました。
まさに常識的で、その通りだと思いますが、そういうふうに簡単に片付けられない問題でも
ありますね、この魂(死後の意識、死後の存在)については後で・・・・・・
ただ一言、鼻曲がりさんも含めて、今の科学的な常識では「脳の活動」そのものが
自己意識であり、脳の停止と共に自己意識は消滅する・・・と言われてますが
私は「それだけではなさそう」と、思っています。
> それからもう一つ別の観点から。最初にこの地球に生命が現れたとき、
>その生命自体がやはり考える力を持っていたと私なりに考えています。
私が、先の投稿で、最後に質問した内容、つまり進化論的な説明を信じますか?という
ことにも関係しますが、まさに、問題はそこです。つまり「最初の生き物」は何だったのか?です。
偶然に、海という有機物スープの中でアミノ酸が合成され、、さらにたんぱく質ができ、そして
生物、単細胞が「偶然」できたとするいわゆる進化論の出発点を私は信じていません。
単細胞を構成できる有機的パーツが全て揃ったとして、それをまた組み立てることが
できたとして、果たしてそれは生き物に成り得るか?と考えたとき、非常に怪しいと
思えてなりません。 それがある「意志」を持って、その意志にしたがって活動をするという
その意志こそが生命そのものであり、細胞を構成する物質群は生命の器に過ぎません。
パーツが揃ったから「たまたま偶然」それが動き始めたとする考えは何かが不足していると
感じます。パーツが先ではなく、「意志」が先にあり、その意志に沿った形で
物質が合成され、結合され、生物ができたと私は思っています。
この点では鼻曲がりさんのお考えと共通点があります、即ち、まず最初にあったのは「意志」であると。
物質が合成され、それが生物となり、活動するうちに学習が「意識になった」とは思えません。
顕微鏡で単細胞生物を観察していると、不思議なんですよ。
細胞膜で仕切られた空間に、細胞を構成する色々な器官、物質がありますが、細胞が動くときというのは
細胞膜で区切られた中の流動物質である「原形質」が流動するんです。
右に動くときは、まず、原形質流動が右に向かって動き始める、そうすることで、結果として
細胞は右に動く。こういう動きはただ単に反射とかの無意識行動かというと、根拠はありませんが、
細胞にも意識はあるという気がします。
>その最初の生命体はこの地球という環境を理解する力を持っていた。
>そしてその中でいかに生きるかという判断力をも持っていた。そこから進化が始まったと考えています。
卵か先か鶏が先か?の話になってしまいますが、その「理解する力=意志」はどの時点で
獲得したのでしょうか?物質以前にまず先に「意志」があったのでしょうか?物質が合成され
生物の構造体が出来た後に、意志が生物に宿る形で後天的にできたものなのでしょうか?
>>「生物」というものは太古の海で、偶然発生し、陸と空に広がり、淘汰と突然変異を繰り返し
>> 適者生存の結果、今の地球上の生き物がいて、そして人間がいるとだと・・本気で考えて
>> いらっしゃいますか?
> 偶然ではないでしょうね、なぜなら同一条件があれば同じことが起こるのではないですか。私は無神論ですが
同一条件というのは物質と物理的環境のことですね?
つまり海の中に生物を合成できる物質の「素」があり、
合成を促す物理的な力(温度とか海流とか圧力とか・・)が揃えば、
同じように生物は誕生するというお考えなんですね?
私は物質、物理的環境などの「条件」が鍵を握っているとは思っていません。
物資を合成して生物を形作ろうとする「意志」こそが先にあったのではと思います。
さらに言えば、物質そのものが、すでに「意志」の形になったものであるとさえ考えています。
難しいことは私にも分かりませんが、不確定性理論でいうと、物質は普遍的恒常的な存在ではなく
平均値として、存在しているように「見える」だけということです。
映画のフィルムの画像は連続してはいません。断続した画像を映すと、私たちには
断続画像ではなく、連続画像として見えるということと似ています。
つまり物質は一定不変のものではなく、在るように見えて、実は錯覚かもしれません。
確かにある「モノ」は物質ではなく、物質を表現している「エネルギー=意志」というわけです。
まさに、生物というのは、生物以前に、生命という「エネルギー=意志」が先にあると、こう思うわけです。
その意志は、生命の誕生と共に、自然的、偶然的に発生したのではなく、元々「意志」が
先にあったと、そんなふうに考えてます。「意志」とは何なのか?は分かりませんが。
長々と書きましたが、要するに、生物の中に「思考」が起こり、「意志」が形成されたのではなく、
「意志」こそが先になり、それが形になった、その形が生物に他ならない・・・ということです。
そこで問題となるのは「意志とはなんぞや?」ということになります。 意志とはなんでしょう?
勿論、「意志が先」とは思いませんよ私は!・・・という方が大半とは思いますが、
仮定の話として、私が考えるように「とにかく意志」というエネルギーがまず存在していた。。と
無理やり考えて、その上で、「意志とはなんぞや?」と考えを巡らしていただければと思います。(無理か(^^;)