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(回答先: 理性的判断力が豊かとは想像力が旺盛なことであり、「自然の法則」と「超自然的なしるし」はイコールである。 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 12 日 13:46:07)
子魚骨さん こんにちは 別スレでのレスありがとうございます。投稿制限がありますので、先にこちらにレスさせて戴きます。
>たかだかの存在でしかない人間の認識結果を、自然(存在)の内在的法則(実在ないし本
>質)であるかのように考えるドゥルーズは、自然を恐れぬ愚者である。
確かにたけ(tk)さんの引用された部分だけでは凡庸な啓蒙思想と取られてもしかたありません。蛇足かとは思いますがドゥルーズの名誉?のために若干補足します。
平凡社ライブラリだとp.24です。
「つい先頃の解釈者(フォイエルバッファのこと バルタン注)もこの『神学,政治論』の真の独創性は、宗教を一個の結果−効果として考察した点にあると述べることができた。単に因果関係という意味でのそればかりではなしに、光学でいう効果と言う意味での結果として、宗教をとらえることである。---たけ(tk)さんの引用部分--- 宗教を相手にしてもスピノザはレンズを−産み出される効果と、その効果を産み出す法則とを明らかにしてくれる思惟のレンズを磨いたのであった。」
フォイエルバッファの見解かドゥルーズのそれか判然としない所もありますが大意としては宗教的仮象批判と言う文脈であると思います。
これからは私のスピノザ=ドゥルーズ的「曲解」ですが例えば夜空に轟く雷鳴や稲妻の閃光は人を恐怖させます。その原因を知ることで人は宗教的仮象(「神の怒り」)から自由になるかもしれない、しかし啓蒙によって恐怖と言う感情(身体=自然)を克服することは出来ません。
「無知だなぁ あれは只の放電現象だよ」
「えーっ余計怖いじゃん、どこ落ちるかわかんないし」
スピノザもエチカで「定理7 感情はそれと反対かつ強力な感情によってでなくては抑制されることも除去されることもできない。」で言ってます。(ドゥルーズがエチカを読んでいないというのは無いでしょう)
ではスピノザ的にその恐怖という感情と「反対で強力なもの」とは何かと考えると雷鳴や稲妻に子魚骨さんの言う「自然の偉大さや自然の背後に存在するもの偉大さ」を感じること=サプライム(崇高)という感情ではないかと思います。ご承知の様にサプライムが「不快を快に転換する」(「判断力批判」)ことによって得られるものですが、その件については本題とずれるので割愛します。(実は私の手に余るので)