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(回答先: Re: 感情はそれと反対かつ強力な感情によってでなくては抑制できない。(スピノザ) 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 13 日 00:17:42)
あっしらさんでしたか....まずは復活を喜びたいと思います。
>ドゥルーズについては、ガタリとの共著『アンチオイディプス』と『ニーチェ』
>は読んでいますので、表現した言葉通りの愚者だとは思っていません(笑)
やはり余計なお節介でしたか(汗)
>『アンチオイディプス』は「そうだよ。でも、ふにゃふにゃ思弁的に反省して
>(哲学的意味)、ただ言葉を紡ぐような言説をしてもたいして意味はないだろ」
確に「千のプラトー」にしても異郷的なイメージや果てしなく自己差異化する概念と「華麗な」レトリックの饒舌さに辟易して投げたくなります。むしろあの奇妙な概念を定立してしまえば書いてあること自体は仰有るように実に他愛もないことなのかもしれません。なぜあんな奇妙なものを書くのか。実は「箱の中には必ず中身があると思ったら大間違い」「深み、本質などない」というはぐらかしにあるように思えてきました。真面目に読んでたらオチョクられるような悪意はロマン派のイロニーと紙一重かもしれませんが、彼らが何かを突き崩そうとしていたことは確かです。それはおそらく彼らが西欧形而上学の擦切れた概念やメタファー、フランス語(印度、ヨーロッパ語)という「言葉の牢獄」にいることと切り離せないものであり ある種「切実な」ものであろうと推察するのみで
す。(単に思い過ごしかも)木田元氏ほどの碩学がいまだに日本(語)において哲学を語ることの滑稽さ、すわりの悪さについてこだわっておられることにも関係しますが、彼らが書いたようには読めていない、読むことはたぶんできないだろうということです。
フランスの思想家が大きな物語を否定し左翼を批判したのはさしせまったぬ理由もあったのであろうと思います。共産党=CGT(労働総同盟)が文化領域においても無視しようのない強力なヘゲモニーを有していたこと抜きにアルチュセールのあのぐずぐずと煮え切らない態度は理解出来ません。その背景に「対独レジスタンスを担ったのは共産党だけ、あとは皆対独協力者」というトラウマがあり、それを公言していたサルトルの「自虐史観」はひたすら目障りな存在であり論議の中身はともかくその呪縛から逃れるためにサルトルを批判せざるを得なかったとすれば、これも「ナチスの呪い」かもしれません。
さて、我が日本です。既にソ連は自壊し、まともなブルジョアやコンサバもいない、村の世話役程度が「デージン」になるような日本に、歴史的文脈と切り離され形式化された「ポストモダン」が「先端の思想潮流」として降り立ったとき、それがいかにウソ寒いものであったかということです。「ポストモダン左旋回」が、それが途方もなくバカバカしいものであるのに気が付いたということなら、まだなにがしかの救いがあります。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/151.html
近代を完成できなかった、さびしい日本 愚民党
日本においてはモダンに徹しない限りポストモダンの夜明けは遠い?のではないでしょうか。猫に虎の着ぐるみを着せてタコ殴りにしても後味の悪さだけが残ります。そうした
「遊び」は人の精神を腐食させます。
別スレの件ですが中川某のあまりに憶面のない「西欧中心主義」にキレてしまいましたが「思想が悪いから殺し合いになったという視点も重要」という事については異議ありません。ロシア革命の結果として生まれたロシアマルクス主義が如何なる惨禍を世界にもたらしたかを抜きに20世紀を語ることはありえません。しかし「思想が革命を起こした」というのもスピノザ的な「光学的効果」であることもご理解願えると思っています。
「釘と金槌」というのは単純に「仮象矛盾」というつもりで書きましたが、詳しく考察していただき恐縮です。恥をかくのはいつものことですが、あっしらさんのお考えの一端を知ることが出来、「書いてよかった」と思っています。