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(回答先: 和 投稿者 現在無色 日時 2004 年 4 月 19 日 04:13:04)
現在無色さま
お初です
>主義主張が違うために、いがみ合う人の姿が写っていた。
>和が乱れてしまうと、共に生活すら出来なくなってしまう日本人。
>なぜ意見の違いが、激烈な感情の次元にまで達してしまうのか。
仰せの通りと思います。
そうした姿を今まで幾度目にしたことか。
こういう掲示板でやり取りをされる方というのは、(大抵が)相手の
意見を「まず聞き」そして「理解しようとする」から会話が
成り立つわけですが、世間の対話というものは
あらかじめ「自分の意見」がまずあり、相手の意見はとにかく否定。
こういうようにしか見えません。最初から理解しようとさえしない。
そこにある「自分の意見」とやらがまず問題で
自分が熟慮して形成された「自分の考え」ではなく
テレビとか雑誌とかうわさとかを丸呑みしただけの「偽物」だったりする。
こうした「偽物」の自分の考えというのは、所詮借り物、貰い物なので
相手の意見を聞き、それを修正しようにも、修正しようがない。批判にも耐えられない。
こうして建設的話し合いは成立しない。・・・案外こんなところかもしれません。
話がかみ合わない、相手を理解できない、こういう状態では、必然的に
冷静ではいられなくなり、ついには感情的な対立となってしまうのでしょう。
何故感情的になるのか?といえば、「自己防衛的反応」です。
ヒステリーです。恐怖心、不安感がそうさせるわけです。
元々日本人はそうした民族と言われてきました。
農耕民族特有の思考形態だと。 「隣見百姓」と言われてます。
種まきなど、農作業の時期は暦によることは勿論ですが
実際は「隣の人が種まきを始めた」から自分も始める。
そこに思考、判断はないわけで、
「周りに合わせていれば安全」ということなんでしょう。
村八分のように、とにかく「同じでないものは阻害、拒絶」するのが
日本人のようで、相手を理解し、そこから何かを学ぶということは
苦手のようです。
昔は、こうした現象は都市部と田舎でははっきり差があったように思います。
しかし今ではその差も余り無いような気がします。その原因はやはり
テレビや雑誌の影響でしょうね。
付和雷同的な偽物の「和」はあっても、理解しあえる本当の「和」は
日本ではお目にかかれないのかもしれません。悲しいことです。