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(回答先: そうですね。 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 3 月 17 日 20:44:12)
ぷち熟女さん、レスありがとうございます。
残るテーマは、「身体による性的ふれあい」をどう位置付けるかということのようです。
あっしら:『「言葉で口説いて下さいね。触っちゃダメですよー」には少々異議を唱えます(笑)
触っちゃうことで相手がふらつくこともあります。
言葉だけで口説いている限り、ふらつくこともないまま終わってしまうこともあります。
このような関係性のアヤが、“触覚”の重要性と同時に危険性を如実に示していると思っています。』
ぷち熟女さん:「だからダメだって言っているんでしょ(笑)。
言葉だけで相手を瀬戸際に追いつめる前に触れちゃうと、
結果に確信が持てなくなるとはお思いになりませんか?
触れるのはダメ押しに、一応肩から上に限る、ということにしておいて下さい。
(つまり、肩から上だけでもきっと充分ですよ、と申し上げているわけです。)
その先は落ちてからのこと、というのが正道、という個人的意見です。」
「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」に“質的”な境界線を付ける意味はないというのが私の考え方です。
ざくっと言ってしまえば、「言葉の掛け合い」を通じて関係性が濃密になろうが、「身体の掛け合い」を通じて関係性が濃密になろうが同じだと思っています。
(もちろん、「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」が同時進行も同じです)
だから、「言葉の掛け合い」だけであれ、「身体の掛け合い」があるにしろ、“不実”かどうかは他の誰かに対する思いで決まると思っています。
「言葉の掛け合い」だけのときはそれほどでもと思っていた相手が、「身体の掛け合い」を経験したことで性的魅力を超えた全人的魅力の対象になることもあるはずです。相互にとって...
(この関係は、「身体の掛け合い」をとっといて「言葉の掛け合い」だけである限り、その域には達しないことになります)
逆に、「言葉の掛け合い」だけのときは素晴らしく魅力的だと思っていた相手が、「身体の掛け合い」を経験したことで「言葉の掛け合い」だけの“友人”レベルでいいとさめることもあるはずです。一方だけがそうなることも...
「身体の掛け合い」から入る関係も「言葉の掛け合い」から入る関係もアリだと思っています。
もちろん、パートナーを見出す“手続き”を決めるのは一人一人の価値観に基づく判断です。
「結果に確信が持てなくなるとはお思いになりませんか?」は、どういう“手続き”でも同じだと思います。
半端な段階で「身体の掛け合い」に入ると「結果に確信が持てなくなる」と考えられるわけを説明していただければ幸いです。