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(回答先: 「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 17 日 22:20:39)
あっしら様、
再び、お晩でございます。
なかなかハードです。
『残るテーマは、「身体による性的ふれあい」をどう位置付けるかということのようです。』
これまでのやり取りに出てきていた細かな事柄のうち、
まだ意見交換できていないものはあると思いますが、
では、まあ、それらは後にしましょう。
ただ、先に申し上げたように、あたくしにはこの辺りのことは
これまでに書いてきたことにも増して、一般論としては到底語れません。
どれだけ身のあることが書けるか分かんないですよ。
自分の感覚について思いを巡らせ、それについてもまた、
精々朧げな所感が書けるに過ぎない、というレベルになるので、
大変根拠の薄い、頼りない話になります。
そもそも客観的根拠のありようがない、といった気すらします。
歯切れよくお答え出来るとも限らないですよ。
そう出来ないことの方が多そう。
あることについてAであると言った舌の根も乾かぬうちに、
同じことについて、また違った質問を振られれば、
やはりBだのCだの、と言葉を翻すかも知れません。
ですから、矛盾した答えが出る局面があっても責めないで下さいね。
と、予防線を張っておきます。
*
『「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」に“質的”な境界線を付ける意味はないというのが私の考え方です。』
おっしゃることは分かるような気もするのですが、あたくし個人の場合には当たらないように思えています。
この理由を説明しようとすれば、あっしら様のご投稿の最後の問いかけの文
『半端な段階で「身体の掛け合い」に入ると「結果に確信が持てなくなる」と考えられるわけを説明していただければ幸いです。』
に、いきなり入ったほうが、むしろ早いことになります:
言葉、並びに・あるいは、意識での交流には、やはり頭で対処しますよね。
頭で対処するというのは、思考する面とインスピレーションに依る面の両面が含まれます。
多分、いつもよくやるようにブレイン・ストーミングするんでしょうね。
このメソッドを愛用するのは、実際に見聞きしたことの記憶や理知的な思考から出る情報と
直感的なものがスクランブルすることを評価してのことだと思っています。
立体的でダイナミックな分析ができるわけです。
自分の意識の中にランダムに放り込まれた相手の言動や相手と向かい合った時に感じるものなどの情報が
自分が意識的にしろ無意識的にしろ、ずっとこれまで構築し、パーソナライズしてきたフィルターにかかり、
その相手をどう捉えるかについて、自分の個性が反映された判断結果が出るということなんだと思います。
そのマシン(笑)の処理能力における信頼度には、天賦のものとしての脳味噌の質ですとか(笑)
これまでどれだけのことを学習してきたか、勘の冴えはどうか、
といった様々なファクターがかかわって来ると思いますし、
自分のそれが人様のものに較べて計算力が高いとか精密だとか
そういうことを思うわけでは、もちろんないです。
それでも自分のマシンだよ、『自分そのもの』がフィルターになった結論が、取りあえずその時点で出せるよ、
という意味で、思い入れはあります。
自分のことは、自分のマシンでしか判断できません。誰でもそうですよね。
ですから、ある程度時間をかけ、インプットした情報量が相当なものになっていれば、
自分としては結構安心できる判断が出るんですよ。・・・と思うんですよ。
でも、そこで処理にかかるだけの時間がもらえないと、困るわけです(性能のせいかどうかは知りません)。
マシンがまだ処理している最中に身体に触れられちゃったりすると、フリーズします、これは。
ディスクが部分破損して、メモリーも一部喪失しちゃうかも知れません。
ちょっとしたパニックになるでしょ。
その壊れた状態を『落ちた』ものだと自分で錯覚してしまいそうで怖いんです。
取りあえず、それはちょっと乱暴なことなんですよ。
ここまでの説明は取りあえず出来ました。
あんまりいじめないで、考えながら書く時間を下さいね。
*
『ざくっと言ってしまえば、「言葉の掛け合い」を通じて関係性が濃密になろうが、「身体の掛け合い」を通じて関係性が濃密になろうが同じだと思っています。
(もちろん、「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」が同時進行も同じです)』
男性にしてみればそうなのだろうと思いますが、
あたくしに言わせれば、女性にとっては、そういう見方で押し切られることは
あまり親切なことではないかも知れません。
この辺りはおそらく今までにまだやり取りしてきていないファクターも関わって来るところですよ。
如往さまにも書いたんですけど、まず男女では身体の構造が違い、
身体の交流においても、どこかしらメンタルな認知のプロセスが違うんじゃないのかしら、
という疑問をずっと持ってきています。
だから女性がどうしていちいちこういったところで引っ掛かっているのか
殿方には分からないのです。
ここら辺りは、まだ論じる必要が大いにありです。ご存知ないでしょうから。
女性一般のこととして言えるかどうかは分かりませんが、
少なくともあたくしの場合は、意識の交流の段階から身体の交流への移行は
前者の段階が熟していなければ困難で、もしかすると苦痛なものになるかも。
*
『だから、「言葉の掛け合い」だけであれ、「身体の掛け合い」があるにしろ、“不実”かどうかは他の誰かに対する思いで決まると思っています。』
それは、分かるように思います。
『他の誰かに対する思い』の濃密さの度合いということですね。
でもあたくし自身は依然として、それでも身体の交流の有無、触覚レベルの交流の有無という要素は無視できない、
ということにこだわり続けているし、それは変えられないと思います。
自分にとってそうであるからこだわるのであって、それは仕方がないことだと思います。
前の段落に書いた身体の交流の認知プロセスとも関係が深いところだと思います。
突き詰めると、個人差はもちろんあるが、おおむね性差に還元されてしまう、
という如何ともし難い種類の問題なのかも知れません。
*
『「言葉の掛け合い」だけのときはそれほどでもと思っていた相手が、「身体の掛け合い」を経験したことで性的魅力を超えた全人的魅力の対象になることもあるはずです。相互にとって...
(この関係は、「身体の掛け合い」をとっといて「言葉の掛け合い」だけである限り、その域には達しないことになります)』
それは、そうですね。そういうことも大いにあり得るでしょうが、
あたくしの場合は意識の交流の段階でかなりのアフィニティーを感じない限り
その次に進むのにすごい抵抗がありますから、それがネックになりますね。
きっとそれだけ臆病で警戒心も強いんですよ、あっさり言ってしまえば。
あたくしみたいな人を前にすると、フライングは逆効果になる可能性は高いと思います。
逆に、ややフライングはしたけど結果的に身体の交流へ移行してから全てが実にうまくいったよ、
ということになれば、幸いにしてたまたまアフィニティーがあったということなんでしょうけど、
それはちょっとした冒険かも知れません。
ある程度の納得は、やっぱり必要ですよ。
急ぐことはないんじゃないかと思うんですけどね。
意識の交流を充分促進し、完成に近付けるまで待ってもらえた時には、
次の段階への移行に対する受容度は全く違ったものになります。
そういう風に迎える移行は、実に素晴らしいものだと思いますよ。
怖れも不安も抵抗もなく全てを相手に委ね、何もかも忘れて完全な安らぎのうちに交歓することができ、
心ゆくまで快楽を共有できるところへ導かれるわけですもの、夢見心地ですよ。
性行動への没頭や渾身も、それらが肉体だけのレベルのものに留まるうちは、
あたくしにとっては、追求しようというこだわりを持つにはあまりに虚ろなものです。
そこに達しない状態では、認められるかに見える嬌態すら、ただの微温なまがいものに過ぎません。
似て全く非なるものです。
似て非なるものなら、ない方がまし、というのが現時点での気持ちになります。
フェイクで我慢する気はないんです(笑)。妥協はなし。
もちろん、戯れにおいてこそ心ゆくまで官能性を堪能することができるのだ、という女性もいて当然で、
本当はこちらのスレではそういった方々の話を聞けるのが理想的なのです。
でも残念ながら、今お答えしているのはあたくししかいませんからね。
普段から戯れに慣れた女性の中にも、立ち止まって深く思い巡らせたことがないだけで、
本質的にはそういう性質の人たちも少なくない可能性はあると思っています。
あるいは、彼女達は自分にとって最も素晴らしいものにまだ出会っていない、ということなのかも知れません。
*
『逆に、「言葉の掛け合い」だけのときは素晴らしく魅力的だと思っていた相手が、「身体の掛け合い」を経験したことで「言葉の掛け合い」だけの“友人”レベルでいいとさめることもあるはずです。一方だけがそうなることも...』
これも、もちろん分かります。
*
『「身体の掛け合い」から入る関係も「言葉の掛け合い」から入る関係もアリだと思っています。』
前者で全人的な関係性に発展したケースは、あたくし自身経験がないですね。
観念としては、理解できますが、そういうわけで共感できるには至っていません。
*
『もちろん、パートナーを見出す“手続き”を決めるのは一人一人の価値観に基づく判断です。』
これは、当然、そうですね。
*
『「結果に確信が持てなくなるとはお思いになりませんか?」は、どういう“手続き”でも同じだと思います。』
理論的にはそうなんでしょうが、あたくし個人としては、
先にちょっと考えさせてよ、と思わずにいられないでしょうね。
尊重してもらえるんなら、ゆっくり時間はかけてほしいところです。
また、自分がそんなであるからこそ、自分の交際相手がすんなり他の異性と性的な関係性を持って、
それを言葉で『全人的思い入れは微塵もないから不実じゃないよ』と言われたところで
現実味を伴った理解が出来ないのだ、ということでもあるのでしょう。
自分には『全人的思い入れが微塵もない』ならそういう行動には及べないから、
理解しなさいと言われてもしんどいわけです。
・・・ここで、前にお話しした昔の戯れを持ち出して
『あれはどうなんだ、おい!』とはおっしゃらないで下さいね。
もう、ああいうことは今は出来ないんだもの。
子供だった、ということなのです。許して下さい。
依然として平行線なのかな。これでは納得していただけないんですか?
今度はあたくしが玉葱になった気分です。
*
少しあたくしの方からも質問させて下さい。
あっしら様のおっしゃる『“触覚”の重要性と危険性』とはどんなものなのか
分かりやすく説明していただけますか。
ではまた、ごきげんよう。