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(回答先: 理屈で惚れるものなのかなあ? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 19 日 22:26:00)
あっしら様、
毎度でございます。
あっしら様の今回お書きになったことは、大体分かりやすいものではありました。
*
『“触覚”の重要性は、男の女の関係にとって不可欠のものというかそれこそが男の女の関係である』
でしょ。だからそれが介在すると不実だという感覚があるのですよ。
*
『と同時に、目に見えない壁を壊し素の相手を感じられるようになるきっかけになることにあると思っています。』
それはそうですね。
*
『現在のところ、パートナーシップには、男と女の関係と共同生活関係が混ぜこぜになっている側面があると思っています。(将来もそうかもしれませんが..)』
同意します。
*
『さらに言えば、性的感覚のすばらしだけを求める関係性もあるはずです。
男と女の関係でも共同生活関係でもなく、セックス関係のみというものです。どのような関係性もロジカルには等価で、どれを重視するかは個人の好みです。』
ロジカルには等価なんですか? 分かりません。
あたくしは性的感覚のみの関係性は排除していますし、
前のレスも含め、今までにその理由に当たることは何度か述べたと思います。
*
『個人的には、男と女の関係と共同生活関係をともに充足できるパートナーシップがベストだと思っています』
その点は共感します。
*
『男と女の関係はあるが共同生活関係はなしだとか、逆に、共同生活関係だけど男と女の関係はなしでもまったく問題ないと思っています。』
前者には共感しますが、後者の方は、もし後になって男女の関係性を持つのに理想的な相手が現れたら、
その時点で解消になる場合もありそう。
*
『共同生活関係だけど男と女の関係はなしの場合は、それぞれが別の時空間で男と女の関係があるというイメージです)』
ややこしいなあ。出来ればあまりややこしい状況は避けたいです。
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『問題は、男と女の関係と共同生活関係のいずれに高い価値性を見出すのかということになります。
私は、男と女の関係性をより重視します。惚れた相手が、共同生活関係に向かないと判断したらそれを避けるか、自分の力で解消できそれを自分がイヤだと思わないのならそうするかたちで共同生活関係に入ります。』
ここには全面的に共感します。
*
『前置きが長くなりましたが、男と女の関係性を重視するのなら、“触覚”を通じてどうなのかを知らなければ始まりません。』
もう既に惚れかけているんなら、そうでしょうね。
あたくしの前回のレスは、相手がまだ自分にとって海のものとも山のものともつかない間を想定したものです。
そういう間柄に入るまでに、相手の信頼性は買えるな、という感覚が持てないと、
気持ちとしては戸惑いだらけの状態のままです。
そうだと、“触覚”を味わおうなどという気分になれるどころじゃなかったりするでしょ。
あたくしも別に、理屈で惚れるわけじゃないです。
でも相手に『自分がどういう人間か精一杯伝えよう』という態度が見えないと、
固まっちゃってダメだと思うなあ。
それはやはり、見聞きしたことや経験的なものから、
身体だけのことと割り切れば、男性がどれほどドライに女性との関係を『消費』できるか知っているからですね。
あたくしの前回のレスの内容は、ですから
そういった段階において自分が持つであろう感覚について書いたものだったのです。
あの内容を理解していただくのはそんなに困難ですか?
*
『また、“触覚”なくして男と女の関係が深まることもないとも思っています。“触覚”だけが目に見えない壁を突き崩すことができる契機だし、“触覚”のときにそれまでは見えなかったものも見えることがあると思っています。
(“触覚”といっても、セックスがいいという意味ではなく、その相手とセックスをするなかで得る感応です)』
『やはり、どういう場かは別にして、会話を交わしたり名前を知っていることが女性に近づくきっかけになります。それを通じていい女だと思ったら、“触覚”に行くしかありません。』
あっしら様の方がその段階に納得して移行できるという状態だから、ということですね。
でも相手がどういう状態か、ということも一応気になさるでしょう?
どうやって判断されますか。
結構強引な人なんですかね?
*
『「言葉の掛け合い」も重要だと思っていますが、それは入り口であり、“触覚”を経るなかで「言葉の掛け合い」もより深みがあるものになると思っています。
「言葉の掛け合い」は、絶対に“触覚”の代わりを果たすことができないものだと思います。
「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」のシンクロこそが男と女の関係の在り様だと思っています。
このようなシンクロ的関係性のなかで生じる感応こそが、惚れるということだと思っています。
そこにおいては、相手が発する言葉も、論理ではなく、相手そのものを感じる媒介物になります。』
こちらは全面的に同意です。
*
『※ そう言えば、あるとき昼飯を独りで食べているとき、一人の女性が私のテーブルに座りました。誰も座っていないテーブルがたくさんあるのにです。こういうときは声をかけるべきかそのまま黙って食べ続けるか迷ってしまいました。そのときの女性の意図はなんだったのか、そういうときは声をかけるべきなのか、どう思います?』
で、その女性はあっしら様の興味を惹くタイプだったんですか?
話してみて興味が惹かれるかどうか、とにかく見てみたいと思われるなら
話しかけてみられたらいいじゃないですか。
あたくしにはその方の意図はちょっと分かりません。独りの食事が寂しかったのかな。
自分からハントするタイプの方だったのかも知れないとは思います。
普通、わざわざ他人が席に着いているテーブルには行きませんよね。大胆ですね。
あっしら様から話し掛けられるかどうか試したかった、というのもあり得るかも。
あたくしがそういう状況になっても、自分からは声はかけないでしょうけどね。
話し掛けられれば、イヤな感じの人でない限りそつなく返事くらいはするでしょうが。
・・・関係ありませんが:
あたくしは一度、まだ発車時間に間があってガラガラの
ロマンス・シート型の特急列車で窓際に座って寛いでいたところ、
一目見て『こいつは痴漢だと顔に書いてある』というおっさんに横に座られ、
退路を断たれそうになったことがあります。
あの容貌はただ者ではなかったです。
恐ろしく鉄面皮なくせに、剥き出しの白目にちっこい黒目がちょん、と乗った、まるで鷹の目みたいな超鋭い目をして、
しかもその白目に無数の脂汗を点々とかいているような(笑)、すっごいギラギラした目付きでしたの。
縮み上がりましたよ、もう。
そのおっさんが座っているそこからこちらに、物凄い思念が伝わるのを感じて、
文字通り全身総毛立つといった感じになりました。
一分とじっと座っていられず、即座にささやかな抗議を試みよう、と
『あのー、そっちにもこっちにもあっちにも、まだ空席ありますよ』と半泣きになって言っても
鉄面皮のまま『ここに座っちゃダメなんですか?』と言ってデンと座ったまま動かないんです。
仕方ないんで、もう泣く泣く席立って移動しました。
悶着している間に込み合ってきて、その時にはもう補助席しか残ってなかった。眠かったのに・・・。
意識の交流が皆無なのに、すわ、身体の交流を強要されるか、という恐怖の一例でした(笑)。
ああ、胸悪い。強姦なんて、考えたくもない。
*
『“触覚”の危険性は、性的感覚の魅惑性と馴れ合いです。
男だけかもしれませんが、性的感覚はそれ自体として魅惑的なものですから、その感覚を味わうために関係性を維持しようという気持ちになります。
馴れ合いは、「身体の掛け合い」を経験したことで、分かり合えた気になれることや、相手が自分のものになったかのように錯誤したり、相手は自分のことに責任をもたなければならないと思うことです。
このような危険性が、結果オーライになることも無数にあるはずです。』
同意です。
ですけど、とにかく、先に書いたように、
気持ちの準備がまだないままに強引に移行させられると、
何やら頼りない気持ちのままで、内面的なカオスに苦しめられそうな気はしますね。
痴漢に迫られる時ほどだとは言わないけど、やっぱり怖いですよ。
女性にとっては、メンタルな意味でもフィジカルな意味でも、
まだその素顔を掴みきれていない男性というのは『侵入者』なのです。お分かりになりますか?
その男性の魅力自体も重要な要素でしょうが、心が見えないうちはだめなのです。
不透明なものを感じるうちは嫌です。
そういうわだかまりをほぐしてもらえた後なら、それは素敵なことだと思いますけど。
そんな警戒心も解いてもらえないような相手だと困るという気もします。
あっしら様のおっしゃる
『「言葉の掛け合い」と「身体の掛け合い」に“質的”な境界線を付ける意味はない』
に、あたくしがすんなり頷けない理由を何とか説明しようとしているのですが、
どうもお分かりいただけないようですね。どうしてだろ。
単に、今まであっしら様自身が、儀礼上の口説きを除いて
一人の女性からも拒まれたことがないからお分かりにならないのだ、
ということなだけかも知れませんが(笑)。
フラれたことってあるんですか?
ではまた、ごきげんよう。
P.S.
都合で、次のレスは火曜日以降かも知れません。
ご了承願います。
良い週末を。