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(回答先: 長文御免 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 24 日 21:50:57)
という、ぷち熟女さんに挑発的なタイトルを付けてみました(笑)。
(今回の書き込みは、中断したままになっているテーマの復活の意味も少し込めています)
私自身は、エンセンさんも見抜いたように、どうしようもないほどの性的快楽追求者です。
うまい食べ物と気持ちいいセックス(雨露をしのぐ住まいもですが)さえあれば、それに優る幸せはないと思っています。
ぷち熟女さんの言わんとされることは理解しているつもりですが、性的不実にこだわっていることにちょっと違和感を覚えます。
生殖目的が消えたセックスって、語らいや遊戯と変わらないものではないのですか?
若いときは、自分の行状は棚に上げて(笑)、恋愛関係や夫婦関係にある相手が他の男と寝たら即縁を切ると固く決意していました。
幸か不幸か、自分の不実はあっても、相手の不実はなかった(知らなかった?)ので、そのような決意を試す機会はありませんでした。
何がイヤでそう考えたのかと言うと、愛するひとのアソコに別の男のナニが入ることがたまらなくイヤだったのです。それにより、愛するひとのアソコに拭い切れない刻印が付けられてしまうという気持ちがありました。
(女性が、愛するひとのナニが別の女のアソコに入ることにこだわるがあるのかや、他の男性が同じように考えるのかはわかりません)
このような気持ちですから、愛するひとが別の男性と性的関係をもつに至った動機は関係ありませんでした。(強姦されたとしても同じです)
「愛するひとのアソコに別の男のナニが入ること」へのこだわりはある時期にすっかり消えました。
「生殖目的が消えたセックスって、語らいや遊戯と変わらないものではないのですか?」という問いを投げ掛けたのは、相手に不実を感じるのは、誰かとの性的関係そのものではなく、誰かとの語らいなど非性的行為で“性的快楽”を得ているとわかったときです。
“性的快楽”というのは誤解されやすいというかわかりにくいかもしれません。
それは、セックスを通じて得る快感ではなく、“性的ときめき”といったほうがいいかもしれません。外的刺激を受けて神経や感覚で感じるものではなく、相手の存在性に感じるものと言えるかもしれません。
ですから、私の判断では、セックスをしてその物理的刺激で快感を得ても不実ではないが、語らいをしただけでも相手に“性的ときめき”を覚えたら不実ということになります。
(もちろん、快感を得るためにセックスをした相手に“性的ときめき”を覚えるようになったら不実です(笑))