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(回答先: では、今日は質問の日にしましょう。 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 27 日 19:56:15)
ぷち熟女さん、どうもです。
Q1:当初、あたくしが『性的不実にこだわっていることにちょっと違和感』がおありだとおっしゃっていましたね。
その、あっしら様にとってあたくしが『性的不実にこだわっている』ように見えたことの具体的内容が、
あたくしには明快に分かっていなかったのですが、
それはそれまでのあたくしの記述のどの辺りだと思われていたのでしょうか。
A1:“更迭”の基準になる行為が他の誰かとのセックスだと読み取ったからです。
たまらくセックスもしたいんだけど、それは一線を超えることになるからと、手をつないで飲食を共にするのはかまわないが、同じ情念を持ちながらセックスをしたら“不実”=“更迭”というところに違和感を持ちました。
私にとっては、セックスがあろうがなかろうが、“性的ときめき”を感じたことで両行為はイコールです。
Q2:あたくしからのレスをお読みになっても、あたくしがまだ『性的不実にこだわっている』というご感想はお持ちですか。
並びに現時点で、あたくしは、殊、何にこだわっていると見ておられますか。
これは洞察力のテストです。
しかし、その答えはあたくし自身にも明快には出ないかも知れないとは申し上げておきます。
A2:今日いただいたレスで、「えっ、愛するひとが誰かとセックスしたからといって即“更迭”ではないんだ」と感じました。
でも、その後ろ(質問の前部分)を読んで、「不倫=誰かとのセックス=不実=更迭」とも受け止められるなと思っています。
イマイチはっきりわからないのは、「感情の好悪を天から地までの振幅で揺さぶる」誘因が、「愛する人が他の誰かとセックスしてしまったこと」なのか、「愛する人がセックスの相手をたぶらかしていること」なのか、「愛する人がセックスの相手の心をズタズタにしたこと」なのか、「愛する人が他の誰かとセックスすることを得意げに思うこと」なのかがです。(最後の一つはともかく、それらがない交ぜになったものかもしれませんが..)
まったく好ましい感情がないままセックスをするとは思えない(一般論ではなく愛する人について)ので、セックス行為が発生したらアウトという思いがあるのかなとか、セックスをすることでそれまでなかった相手に対する思いも湧き上がるはずだからアウトなのかとも思っています。
※ 私の行状を正当化する意図でも男一般を代弁するわけではありませんが、ひととしての魅力・性的魅力・性的ときめきを感じない相手ともセックスができます。
(自信をもって、セックスができる許容範囲は広いと言えます(笑)。ある時期以降は、したいと思わない相手を口説くという気はなくなりましたが、相手が是非ともと言えばできます。少年時代は、ほぼ誰とでもしたいと思っていました(笑))
えげつない例になりますが、ストリップショーを見に行ったとき、強く目が惹きつけられるのは、乳房であり性器周辺です。顔とは言いませんが、その女性が醸し出す存在性は相当レベルで捨象されます。(もちろん、身体バランスも込みですが、いい女と感じる相手のそれらにはより強く惹きつけられます(笑))
きれいな乳房はそれそのものとして魅力を感じるし、性器周辺の特徴が好みであればそれそれものとして魅力を感じます。
そして、つまらないオチになりますが、いろんな女性の裸体を見たい、いろんな女性の性器周辺を見たいと思っています。それは、この女性(この性器)とセックスをしたら、どんな感じなんだろうという誘惑にも駆られます。
そこにおいては、失礼な物言いになりますが、その女性の実存性は捨象され、その女性特有のものであるはずの性的機能をこの身で実際に確認してみたいという意識があるだけです。
念のため、これは、相手をセックスの対象としてしか見てないことは確かですが、相手の人間性を認めないわけではありません。(生身の個性ある人間だからこそ持つ欲求です)
Q3:あとですねえ、あたくしが『性的不実にこだわっていることにちょっと違和感』がおありだとおっしゃったということは、
あたくしがそんなことにこだわるはずがなさそうな姐さんに見えていたとかいう意味じゃないですよねえ。
たとえそうだったとしても、そうでなかったとしても、
それに気を良くしていいのか悪くしていいのかもわからないですが(笑)、
あたくしがそれにこだわっているとすると、何故それがあっしら様に違和感を惹起するわけでしょう?
A3:こだわるひとだと思っていましたし、こだわって欲しいとも思っていました。
違和感を提示したのは、最初の切り出しで書いたようにある種の挑発です。
前に書いたように、自分自身がこだわっていた時期があり、それが違うこだわりに変わっていったという経緯があります。
セックスは相手に対するそれなりの感情(情念)があって行うべきものだとか、誰かのアソコに入れたナニが私の身体に触れるのは我慢ならないほどおぞましいというのであれば、私にとってはすごくわかりやすい“アウト”の理由です。
(そう思っているのなら、それは控えようかとも思います)
セックスした相手(女性)の心を云々というのは、理屈としてはわかりますが、素直にはうなづけないのです。
このような思いで、違和感を提示し挑発しました。
Q4:ところで、こういった一連のやり取りをなさる場合、
以前と以後で、対話相手の人物評価が多少変わったりするのですか?
A4:コアの評価が変わるやり取りもありますし、勝手に思い込んでいたイメージを修正するやり取りもあります。
論理ではなく、情念に関することでは、イメージの膨らみにつながるだけのような気がします。
愛するひとに「“性的快楽”を追求してガンガンしまくっていいわよ」と言われると、うれしさよりも、そんなこと言わないでくれよと思うはずです。(言われたことはありません(笑))
「私とだけ身体のつながりは持ってね」と言われたほうがずっとうれしいですね。
(支離滅裂と思われることを書いているようですが、情念に属することはそんなもんだろうと思っています。ここで、このようなことを書いたのは、やり取りで変わる人物評価にも通じるものがあるとおもったからです(笑))
Q5:また、『性的不実にこだわらない』方とはどういう方のことでしょう?
またその方は、嫉妬もしなければ潔癖性でもなく、独占欲もないの三要素の全てを含む人ということになるのでしょうか。
あっしら様は『性的不実にこだわらない』方ですが、それでもあたくしより嫉妬深くて潔癖性なのでしょうか。
だったら嫉妬深さというのはどういう状況で発現するわけですか。
A5:『性的不実にこだわらない』方を、性的行為を即不実としない人と置き換えて応えさせてもらいます。
そうだからといって、嫉妬もしなければ潔癖性でもなく、独占欲もないの三要素の全てを含む人というわけではないと思っています。
嫉妬を楽しむために相手の性的不実を認める人や、独占欲を確認するためにそうする人もいるはずです。このへんが、性や情念にまつわる多様性であり不可解な所以だと思っています。
愛する人がおいしいものを楽しむようにセックスをするより、セックスはしないままの“性的ときめき”を誰かに感じているほうが不実だと思っていますが、それで嫉妬を感じるかどうかはちょっとわかりません。
これをもって、「奇妙な潔癖性」だとは言えるかもしれませんね。
何に対しても、ほとんど嫉妬というものを感じなくなっています。
※ 自分とセックスするよりも、他の誰かとセックスするほうが快感が深いということを知ると、嫉妬ではなく、我が身のふがいなさを感じると思います。
ただ、多くの女性が、私のようにただしたいと思いでセックスをして快感を得られるものなんだろうかという思いは抱いています。
その一方で、理性的な禁忌から解き放たれると、そうなれるのかも知れないとも考えています。(理性と感覚を分離できるはずもないわけですから、しばらくは謎のままかもしれません)
Q6:独占欲は殆どないとのことでしたが、では、つまり嫉妬の根幹に独占欲が存在するとはお考えではないのですか?
その場合は、嫉妬というのは独占欲以外の何に惹起されているのでしょう?
A6:A5で回答したかたちになりました。
次につながる話になるかどうかわかりませんが、誰かを愛することは自己愛だと思っています。確かな自己愛を喚起してくれる人が愛するひとなんだろうなと思っています。
愛するひとは具象的存在でなければならないのですが、それは視覚的な存在ではなく(ブスや美人などは超越された)、私の内にあるイメージです。そのイメージを愛することをもって自己愛だという屁理屈を言っていると思ってください。
自己愛を崩壊させない限り愛するひとの他者との行為はたいしたことではないが、愛する人が他の誰かに“性的ときめき”を感じるようになったら、その人を通じての自己愛は崩壊すると思っています。