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(回答先: ちょっとずつ参ります。 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 26 日 20:24:17)
ぷち熟女さん、こんばんわ。
>その他のあっしら様の言い分の多くに対しては、まだ
>『えっらい都合のいいことをのたまっているような気がするなあ』との感が拭えない
>ですね(笑)。
>筋を通すと言っても、あっしら様とあたくしではきっとその感覚にズレがあるでしょう。
>後ほどあっしら様から『でも、言わせてもらうが、キミのそれだってサッパリ分からんぞ』
>と逆襲される箇所も出ないとは限りません。
どういうことをどのように感じるかという話ですから、自分にとって都合がいいか悪いかという話ではないと思っています。
自他や性別に拠るものではありませんから、自分もしくは男は、相手や女性と違って、“性的快楽”を貪ってもいいんだと言いたいわけではありません。
また、“性的快楽”を貪ったことで愛する人から更迭されても、それによって相手からバツを食らったのですから自業自得だと思っています。
関係性は相互主義ですから、関係はお互いがイイと判断しなければ形成されませんが、一方がダメと判断しただけで関係は切れてしまうものです。
相手の情念や価値判断がおかしいという理由で、相手のダメを非難することはできません。どんなに理不尽な判断でも、とにかくダメだと思われたら終わりです。
こうして雑談を交わしているも、どちらが正しいか誤っているかということではなく、恥ずかしながらの“告白”のやりとりだと思っています。
今回のレスも、ぷち熟女さんの言わんとされるところはよくわかっているつもりです。
>ところであたくしから『そういう』リアクションをお受けになって
>『書いたかいがあったと思って』おられるとは、厳密にはどういう意味ですか?
>一人の人物の中で情念と論理が必ずしも整合するわけではないという一例を自ら提示され、
>その反応をご覧になりたかったということかな?
>確かに何もかも水も漏らさず整合する人もつまらないのかも知れませんが。
>それとも、ご自分に対しての固定したイメージを崩せることを歓迎なさるということ
>ですか。
「書いたかいがあったと思った」のは、それによって話が弾むと思ったからです。
「そうですね」というリアクションをいただいたらそこでお終いですから...
引用:「それは彼女にどの種の魅力があっても変わりません。
魅力を持った異性なんてどこにでもいくらでも存在するじゃないですか。
でも魅力があればイコール自分にとって特別な人になるわけではないですからね。
十人十色の魅力が周囲の人間にあると思ってもそれも表現してはいけないとしたら
表現の自由の剥奪であり感受性の封殺であるような気がします。
人それぞれの面白い部分を会話によって楽しんでいる状態は、
単なる知的フラートに留まっていれば不都合なしという考えでずっと来てます。
自分がそう振る舞っていて交際相手が嫉妬しそうでも、
相手に説明の努力を尽くしはしても、やめないと思います(笑)。
一見してどこまでが良くてどこからが悪いか判断できる種類のことではないので
本人が後ろめたくないようなら容認するしかないと思います。
ただし、先方に特別な感情を持たせるような言動を故意にするのは
こちらにそういう感情がない時でもアンフェアだと思います。
故意でなくとも、そういう事態を招いていることに気が付けば
その時はやめなければダメだということになります。」
「魅力を持った異性」と「異性としての魅力を持った異性」とはまったく違うと思っています。
「魅力を持った異性」は、男性もそうですが、今回のテーマでは私にとって“中性”ということになります。
(もちろん、「魅力を持った異性」が関係性の持続を通じて「異性としての魅力を持った異性」になることはあります。男性が“性的ときめき”の対象になれば、それは“異性”です)
「一見してどこまでが良くてどこからが悪いか判断できる種類のことではないので本人が後ろめたくないようなら容認するしかないと思います」については、おかしな話ですが、快楽目的で誰かとセックスしたことより、誰かに“性的ときめき”を感じたときのほうが後ろめたさを感じます。
※ こう見えてもけっこう異性には慎重な対応をしています。
深みにはまりそうだと思う異性には、自主的に近づかないようにしています。
それはより素晴らしい関係を持つ可能性を放棄するようなものでもったないという考えもアリですが、たぶんキリがない追求だと思っていますので、現在の充足感を大事にしようと思っています(笑)
>そのレベルのフラートでもお嫌だとすると、あっしら様がお通しになりたい筋というのは
>おそらく、どちらかと言うと独占欲を守るためのものなのではないかと思えますね。
>一方、あたくしの方の筋は、自分の選択に責任を持ち、節度ある行動をして下さいと
>いうニュアンスのものだと言えます。
人に対する独占欲はほとんどないと思っています。
どんなに愛している相手でも、その人が自分を選択しないのなら、どうぞ離れていってくださいと思っています。
その意味で、ぷち熟女さんの言葉を借りるのなら、「行動に節度を気にすることはないが、自分の選択に責任を持つ」自分になりたいと思っています。
愛するひとには、自分の思いや考え方は話しますが、どうあって欲しいとは求めません。
強いて言えば、自分に対してと同じく、「行動に節度を気にすることはないが、自分の選択に責任を持つ」人であって欲しいと思っています。
>あたくしには上記のレベルの信頼に基いた放任は苦もなく出来ますが、
>あっしら様だと多少の面白くない気持ちがおありなんでしょうか。
上述の説明でご理解いただけると思います。
愛するひとが“性的快楽”のために性的行為をしてもいいんじゃないと思っているくらいですから、「魅力を持った異性」と語らいをもつことに異論はありません。
愛するひとの誰かへの思いが、「魅力を持った異性」から「異性としての魅力を持った異性」に変わったことには気づく自信があります(笑)
>また、あたくしの感覚では、発生している知的フラートに『この人はステキだなあ』
>という憧憬まで入っていても全然OKですが、
>あっしら様にとっては、それで既にアウトなのだという理解です。違いますか。
アウトではなく、全然OKです。
そのような関係を持つほうが、愛するひとが自分にとってより素晴らしいものになることもありますからね(笑)
>ただ、元々あまり、自分にも他の異性にもですが、ベタベタする人とは交際したこと
>がないし、自分も全然そうではありません。
私も、異性に限らず、ひとになれなれしい振る舞いをするのは嫌いです。
(お金で決済する相手は別です。そのようなときは、場の雰囲気でわざとなれなれしくするときもあります。お金を使っているのに相手に気を遣うというタチです)
>あたくしの交際相手が『性的快感だけのために誰かとセックスしている』場合は、
>こういうことを想像だにしない殿方は多いのかも知れないので一番に言うのですが、
>まずその誰かの感情を結果的に弄んだ場合、あたくしの場合は
>それっきり二度と相手に敬意を払えなくなるほど幻滅しかねないですね。
>自分への不実云々以前に、それだけで更迭する理由になると思うくらいです。
>そういう不首尾は細心の注意を払って避ける神経が欲しいです。
>これもまた、きれいに遊べないくらいなら遊ぶなということかな。
性的快感目的で相手とセックスするために、相手にそうではない意味を感じさせる言動をするのは不実です。
それ以外に、相手の感情を結果的に弄ぶことってあるんですか?
もちろん、相手が“性的ときめき”を充足させるためであったり、つきあう過程で“性的ときめき”を感じるようになった情況で、性的快感目的でしかない私とセックスする場合もあるとは思っています。
これが、「きれいに遊ぶ」能力を問われる唯一とも言えるケースです。
>あたくしの相手の男性があたくしのことさえ尊重していれば、それで他のことはどう
>でも構わない、
>というのではないわけです。
>もうこれはあたくしの性格ですから現在のところはどうにも出来ないんです。
>これは男性にとってはかなり理不尽なことかも、と想像しますが如何ですか(笑)?
>どうも嫉妬だけの問題ではないみたいですね。難し過ぎ?
ぷち熟女さんの思いはわかるつもりです。
「誰かの感情を結果的に弄んだ場合、あたくしの場合はそれっきり二度と相手に敬意を払えなくなる」ぷち熟女さんを尊重していないから更迭されるわけですから、理不尽でも嫉妬でもありません。
人としての魅力というか好ましさの上に“性的魅力”はあると思っていますので、基礎が瓦解すれば“性的魅力”も吹っ飛ぶはずです。
“性的魅力”だけでセックスをするのが“性的快楽”の追求なのかもしれません。
“性的ときめき”は、人としての魅力が基礎にある“性的魅力”だと解釈してもらえればと思っています。