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(回答先: Re: “セックス関係”がそんなに重要な指標なのかなあ 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 25 日 19:56:31)
ぷち熟女さん、レスありがとうございます。
論理ではなく、情念の話ですから気軽に付き合ってください。
>しかし、あっしら様は殊この辺の問題になると、俄然理不尽になりますねえ。
>もうメチャクチャじゃないですかー。
>普段の(他の問題を論じる時の)あっしら様とは、ホント、まるで別人ですよ。
情念の話ですから理不尽と思われることを書いているかもしれませんが、本人は、他の問題を考えるときとまったく同じスタンスなんです(笑)
でも、ぷち熟女さんからそういうリアクションをいただき、書いたかいがあったと思っています(笑)
>ゆっくり行きますが、例えば『性的ときめき』を密かに持つだけで不実だと(笑)断
>じられるということはですね、
>『憎たらしい、あいつ、殺してやろうか』と思った人は、それだけで
>もう現実の刑事問題に問われる、というようなレベルに匹敵してるじゃないですか。
前回はちょっと説明不足でした。誰かに“性的ときめき”を密かに持つだけでは不実ではありません。そのときめきを充足させたいとする行為(語らいなど)に走ったときに不実だとさせてもらいます。
ちょっとズレますが、想念と行為についてこう思っています。
ある相手を『憎たらしい、あいつ、殺してやろうか』と思うレベルは、“ときめき”とは言えず、そう考えたという理性的なものだと思っています。
抑えようとしても「殺してやる!」という情念がふつふつと湧き上がってくる情況が、“ときめき”に匹敵するものだと思っています。
そのような情念に駆られながら殺しに至らないとしたら、それはたいした情念ではないと思うし、実際に殺人行為に走っても、そうなら仕方がないと思います。
(国家権力が何をもって罪とみなすかはここの話とは別問題です。仕方がないから罰を加える必要はないという主張でもありません。情念は将来予測できる罰を超越するものであるはずです)
「殺してやる!」という情念と殺人という行為を考えたとき、私には、「殺してやる!」という情念のほうに意味があると思っています。
逆に、殺人という行為が、金を奪いたいから、犯罪の発覚を恐れてとか、兵士としての責務だからという“理性”的言い訳でなされた場合は実につまらんと思っています。
“ときめき”を充足させる行為が、語らいであろうが、食事を共にすることであろうが、ダンスをすることであろうが、はたまたセックスをすることであろうが、それほどの意味的差異はないのではと思っています。
(もちろん、身体的接触の“深さ”が重みを持つことは承知の上です。手をつなぐだけのフォークダンス、身体全体を密着させるダンス、素っ裸でナニがアソコに入るセックスと接触のレベルが違うことが受け止める感情が違うことはわかった上で、その違いに拘泥してどれほどの意味があるのかという問いです)
ある相手に対する“性的ときめき”を充足させたいという情念があるのなら、語らいでも、セックスでも、それを充足させる行為の違いにはそれほど意味的な差異はないということです。
>あっしら様、どのくらい理性を失っておられるかご自分で分かる(笑)?
>あたくしは、『生殖目的が消えたセックスって、語らいや遊戯と変わらないものでは
>ないのですか?』という問いには
>違いますよ、そんなものー、と答えたくなるほうですが、
>こりゃあ、もしかするとあっしら様の嫉妬深さと潔癖性は、そんなあたくしの比じゃ
>ないですよ。
私の「嫉妬深さと潔癖性は、そんなあたくしの比じゃない」は当たりかなと思っています。
(潔癖症が身体的な意味合いでないということを条件にですが)
この指摘を読んで、ぷち熟女さんの洞察力にまたまた感服しました。
セックスについては、どういう“動機”でそれに望むかが問題で、セックスそのものにそれほどの意味がないというだけで、愛するひとにセックスはご勝手にどうぞというわけではありません。
食べて満足感を得るのと同じ“性的快感”を得るのならいいが、相手に対する“性的ときめき”を充足させるためのセックスはダメなんです(笑)
(その両者をちゃんと区分できるのかどうかという問題はあります)
>あたくしが更迭する時は、相手が実際に取って完了した行動の責任を問題にしている
>ところがありますが、
>あっしら様はもう『考えるだけで不潔! イヤッたらイヤ!』の世界じゃないですか。
上述でご理解いただけるように、誰か別の人とのセックスを考えたり望むだけでは不潔ではありません。
セックスをする気はなくとも、誰か別の人に“ときめき”を覚えそれを充足させようとしたら不実なんです。
(人は誰かにとって不実なことであっても素直に生きたほうがいいと思っているので、不実を悪と言いたいわけではありません)
“更迭”については、「持論の不実行為」=“更迭”ではなく、愛するひとの不実行為に直面したときに判断すると思っています。
(相手もそれを望む場合が多いはずですから、“更迭”になるとは思いますが..)
ぷち熟女さんがセックス関係→“更迭”と判断されている心性をもう少し説明していただれるとありがたいです。
(愛するひとが、ときめきながら誰かとの語らいを楽しんでいるのと性的快感のために誰かとセックスしているのとではどう違うのか、そして、その違いの由来などを...)