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(回答先: クエスチョンさんへ、わたしから最後の言葉 投稿者 エンセン 日時 2004 年 2 月 21 日 10:55:49)
エンセンさん。最後の言葉はなかんべぇ。
人間はつきあっていくしかない。
世間様は何も本当のことは言わない。
言葉はお金、流通している価値。
その言葉が阿修羅にはある。そしてエンセンさんは言葉を体現している。
おれは、何が言いたいんだベ。
おれは、もう焼酎を飲んでいるけん、酔っ払っている。
エンセンさん。人を言葉で追い詰めるのはだめだ。
言葉は詰め将棋の勝負ごとではなかんべぇ。
言葉は流通であり、かならずお客様がいる。言葉はお金だから。
人間が闘うとき勝負するときは身体であって、言葉ではない。
言葉は流通物質でありお金というお客様を前提とした空間物質だんべぇ。
勝負するときは、必ず他者の道を、おのれが用意しておかんとならん。
日本の言葉は詰め将棋ではないから。
西洋の精神たる論理詰めではないから。
そのための智恵として日本語は「あいまいさ」を形成してきた。
言葉はお金であり流通だから、そして人間相手の他者との貿易だから。
言葉は通商だから。
エンセンさん。「最後の言葉」とするときは他者の道を、
あらかじめ、おのれが作れ!
他者の歩く道を作ったうえで「最後の言葉」としろ。
日本という地域は西洋の論理世界ではないのだから、
言葉の詰め将棋は流通にならない。
おのれの道をつくると同時に他者の道もつくれ!
これがエンセンさんへの説経だんべ。
エンセンさん。「最後の言葉」ではなく
他者と最後までつきあえ!
好き嫌いを、おのれの言葉流通の判断主軸にしていくと
エンセンさんは、「恐るべき他者」に出会えなくなってしまうけん。
人間が出会うのは「仲間」ではなく、自分とはまったく異相な「他者」だっぺ。
おれは、いつも「恐るべき他者・他人様」として、接近すればするほど
距離をつくっている。
流通である言葉の世界は最終的に自分でしかない。
それが言葉の表現者だっぺ。
あいまいさをもったお客様と人間を相手に結論を急ぐな!
結論を出すことばかりが人間流通のお金ではない。
お客様とことんつきあわないと集金はできない。
お客様の話をとこんとん聞いて契約はとれる。
人間とは何だべ?
古代から日本とは世界最強の嫉妬の動物であることは間違いないんだけんども
嫉妬の首を切るためには
おのれから結論を出さないことが鉄則。
田中角栄も結論を急ぎすぎて罠という落とし穴に入ってしまった。
田中真紀子も外務省で結論を急ぎすぎたゆえに、外務省官僚の罠に落としこめられた。
人間とは嫉妬の過程に生存しているから、結論はおのれの胸にしまえ!
流通言葉にしてはならない。
これが嫉妬動物定刻日本で生きる鉄則。
嫉妬の首を切る刀はしくしくと相手の自滅を待っている、自答の刀。
西洋で生き延びる刀は個人の強さを全面的に発動する論理=詰め将棋かも
しれない。
日本という世界最強の嫉妬動物地域で生き延びる刀は、あいまいさというフェント(バレーボール)。
日本において「仲間」という言葉は、間の中間項が距離をもって存在するという意味です。
エンセンさん。明日も元気で闘うべよ。