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(回答先: Re: アンケート調査「あなたは将来どんな社会に住みたいですか?」 投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 07 日 03:28:27)
まっくすさん、はじめまして。
経済理論や通貨制度についてはど素人の私ですが、まっくすさんの話を読んでいて直感的に浮かんだ疑問について、質問させてください。
私には、ある社会の有り様にとって「貨幣」とは”結果”であって”原因”ではないのではないか、と思えるのです。
『「貨幣」を媒介にして、人間のスピリットがおのずと変わっていく』というのは理解できます。
しかし、経済運営の技術であり道具であった「通貨」に特別の力を与えているのは、人間の「思惑」「意思」のはずです。
「通貨」の性質を変えるには、先にこの「思惑」を変える必要があるのではないでしょうか。他者より多くの糧を得たいという「不安」からくる願望を打ち砕く説得材料とでも言いましょうか。
まっくすさんは「日本人」であることに可能性を求めておられるようにも読めましたが、「日本人」的なるものが本当にカタストロフィーの直前で踵を返せる力の源泉になるのでしょうか。
バブル崩壊を体験し、「マイナス的な希求」の空しさを知った(というか「プラス」である本来の姿を思い出したと言った方がいいのでしようか)、「日本人」は特別な位置にいるとは思いますが。
他方でこつこつと貯蓄をして将来の不安に備えるというのも、今に始まったものではない極めて日本人的な性質に思えます。
(それとも明治以前の日本人には、農村部も含めてこのような性質はなかったのでしょうか?)
「貨幣」という技術を利用する側の論理がもう少し確かな形で変わらなければ、新たな制度の導入に成功したとしても、持続可能性は保証できないのではないでしょうか。
私は「不安」の根源は、自己と他者が分離しているという観念にあると考えていますので、何らかの契機でこの観念を溶かすことができれば、お金は必然的に「分断と対立を溶かす」形を取らざるを得ないとおもうのですが。