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(回答先: 思考停止に抗して 投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 14 日 14:51:04)
まっくすさん、またまたご丁寧なレスをありがとうございます。
ようやくまとまった時間がとれました。
ものを書くのが遅いのとPCに向かえる時間が限られているので、遅くなってしまいました。申し訳ありません。
とりあえず、今回も気になった点にコメントさせていただきました(順序が乱れている点、ご容赦ください)。
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「私は、身体感覚と擦り合わる思考でなければ、本当に考えたとは言えないくらいに思っています。理屈で解決できる構え自体に誤謬が含まれているのです。」
「身体感覚と擦り合わる思考」、「からだ」からの返事というのは、感性で捉えると言い換えてもよろしいのでしょうか。
このことは、人間の「思い」の在り所は脳ではなく、「からだ」にあることを意味していますね。
ただ、この場合「からだ」というのは物質的な肉体そのものではないとは思います。
また人間であれば誰しもこの「感性」はもちあわせているはずですから、ポイントはその「感性」で察知したことを信じれるかどうかにあるように思います。
そして信じる過程の中に理論構成(理屈)が必要になるのではと思います。
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「ぜひその「気付き」の過程を言葉で説明していただけますか?」
考えてみれば当たり前のことですね。
直接的には、まっくすさんの「設計」と言う言葉に反応したのですが、これも原因と結果の時間差をどう観るかに尽きると思います。
貨幣に限らす、人間が作り出したものには、すべて「思惑」がそのものの上に同時に存在していることになるはずです。
時間的にもあるいは、お金が影響を及ぼす範囲、空間的にも区切りをつけるのは、思考の便宜のためであって、現実にはそのような区切りはないとも言えます。
ですから「貨幣」が「分断と対立」溶かす突破口にはなると思ったのです。
ただ、私は決め手になるものは他にあるという考えは変わりません。
最終的には、「貨幣」が人間の「マインド」を規定するという関係性自体が克服されなければ、「振り戻し」に会うと思うからです。
「「病気の根源」は何かについてもっと思考を強めてほしいと思います。」と仰っていることで言えば、病気の再発の問題です。
現実の病も「不安」が原因だろうと思っていますが、「血液」をきれいにしても「不安」の要因が残れば、再び汚染されることになります。
私が決めてというか、到達しなければならない地点と思うのは「霊性に対する覚醒」です。
「自己と他者が一体」であるという観念が、集合意識の中で「現実」として認識されることです。この問題が「宗教」の領域に置かれている間は、「分断と対立」を助長するだけだろうと思います。
宗教ではなく、以前書いたようにごく日常的な「教育」を通して認識されてゆく必要があるのではと思います。
そういう意味で「水業」というのも、否定はしませんが(実際、中学生の頃にまねごとをしたことがあります)、特別なものとして認識してしまうこと自体がまずいのではないでしょうか。
いずれにせよ、まっくすさんも「選択と集中」と仰っておられるように、「貨幣」を突破口として最初の一歩を進めることは強く支持したいです。
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「「カムイさんの「殺戮しつくした先住民のスピリッツ」という点をもう少し詳しく説明していただけますか?」
これは、まっくすさんの言われた「子供のしつけの問題は親のしつけの問題でもありますからね。」ということで説明されていると思います。
「人間の本質は魂」、「輪廻転生」、「自己と他者は一体」、これらを前提にすれば、殺される側が殺した側あるいは周りの人々に何の影響も与えないで済むはずは無いと思います。
極端な例で言えばイエスの十字架もそのひとつでしょうか。
「自己と他者が一体」ということを知っていた魂が、殺される時に恨みや憎悪の念だけを残して行くとは思えません。
また、まっくすさんが時間の説明で言われていた、人間が死に際して走馬灯のように過去を振り返る現象も、殺す側に立ってみて初めて殺される側がもつ素晴らしさを知ることをサポートしているはずです。
先住民と覚醒した白人との関係は、だだをこねる子供が母親に抱きとめられ、あやされて、やがておとなしくなったといった感じでしょうか。
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「私は「時間」というのは、過去から未来へ向かう風(未来風)と未来から過去へ向かう風(過去風)の混合状態なんじゃないかと思っています。」
これはまっくすさんが、文字通りご自信の経験のなかで体感した感覚なのでしょうね。「未来風」と「過去風」という表現は、かすかに漏れる微妙な光を「からだ」が感じ取った様を表しているようです。
私が「幻想」と言ったのは仰る通りもっと一般的な捉え方です。
一般的な捉え方を自信の感性が受け取ったということです。
きっかけは阪神大震災であったかもしれません。
それ以前の時間とそれ以後の時間が極端に異なる情景に出くわすと、時間が一定方向に連続して流れていくだけのものなのか疑問に思えてきたのかもしれません。
「時間」が幻想なら空間にある物質も幻想ではないかという思いに繋がります。
本質は何かというと、「思い」、さらには「魂」ということに繋がってゆくのです。
話がずれてきそうで、このまま行くとニューエイジの深みにはまり込みそうなのでこの辺で止めておきます。
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「ちょうど昼休み板で、経済と歴史を同列スレ上で、まったりと展開していこう
としているところです。よろしければ、ご参加ください。」
まっくすさん、「昼休み」板への誘い、ありがとうございます。
ただ、私はまっくすさんとあっしらさんのこの板でのやりとりに誘われたのです。お二人の深い見識に裏打ちされた、絶妙なやりとりをもう一度観たいという思いが強いです。
ぶち熟女さんも仰られていたと思うのですが、難しい経済の話に思わず引き込まれてしまうのです。
また、アプローチの異なるお二人のやり取りだからこそ刺激的だと言えるのかもしれません。
「昼休み」板は私の故郷なので、たまには里帰りします。