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(回答先: 心情行動主義者よ!そこまで思うのなら、人質になっている高遠さんに犠牲になることを求めなさい。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 15 日 00:23:18)
あっしらさん、どうもです。
この言はあっしらさんとも思えませんが。良識を疑う。たとえ仮定であったとしても阿修羅というコミュニティにおぴて指導的役割を演じていらっしゃると誰もが信じております。
恐れ多くもあらぬことは口走らないほうがよい、と警告しておきます。
本スレにてここまでおっしゃられるなら、反論いたします。
多少口汚く罵られてもなれてますがら、管理人さんが不適当と判断あれた場合にはそれなりの処分を下されていただいてよい覚悟です。
HNをお出しになるまでもなく、私は間違いなく「心情行動主義者」という烙印を押された者だと認定します。
(1) 「心情行動主義」は妥当か
>心情の吐露や非合理な政治目標を掲げてよしとする心情行動主義者よ、「イラク人質問題」を自分たちの政治信念や価値観の実現に向けて活用したいのなら
という呼びかけ(前半部)について、「心情行動主義者」という響きから私の現実を類推しますと、頭脳をまったく使わない、感情だけで行動する政治運動であると捉えます。感情の動物でしかない。
しかし政治運動においては檄に呼応した自分はどのような存在であるのか考えてみました。
私の場合はネット社会で天木氏の檄に呼応しただけでそれが「行動」であです。
自分のこれまで体験上考えてきた結果(獲得物、イデオロギー。行動してませんので)と、檄に触発されていいするという作業によって、あっしらさん言われるところの「心情行動主義」的な「小泉政権打倒」という私なりの戦略ができあがったわけです。
できるだけ弁証法的に思惟しようとして努力しましたが、惨憺たる結果であると自分では思っております。それでも自分の思考の結実は破産しません。なぜならあっしらさんはじめ多くの方々からアドバイスをいただいてきたからです)
したがって心情の吐露のみによる盲動(動物的対応)には陥らないだろうと自分で安心しています。
ところで人間は政治的動物ですから、政治的に弾圧されれば、これになんらかの反応をするでしょう。唯物論的に説明されますね。それゆえに階級分化した現代社会においては歴史は階級闘争の歴史として捉えられていると思います。現代における戦争がいかなる性格をもっているか、これはいまさら語る必要もありません。人類は二つの大戦を経験して戦争を起こしたものへの憤りをバネとして、二度と戦争を起こさないという誓いを立てたのでしょう。憲法の必要性の端緒はまさしく戦争否定の感情の発露であり、それを理論的に、容易に改変できない「掟」として理論的に対象化したものではないのでしょうか。
私のものした文章二つには相当の限界があるのですが、作成した端緒は感情の発露(急進主義と捕らえております)であり、自分の内面を論理的に把握してみたかったから作成したわけです。そこではイラクで拉致された日本三名の解放について自分なりに考えたし、小泉政権打倒とどう統一して(ネット社会で)戦うのか、私なりに実体を据えて弁証法的解明を行ったわけです。思考の結果として私は、天木氏の「まず小泉政権打倒を」というスローガンを基礎付けるために(はじめに結論があったわけじゃない)思考を進めてゆく過程で、「人質解放」と「小泉政府打倒」は車の両輪である、と考えました。切り離して考えることはできない。弁証法的には現在の小泉政権の権力機構を考えた場合、単に「三名を解放せよ」という要求は支配階級に対してその暴力装置としての自衛隊を敵(イラクのレジスタンス)に屈せしめよという要求であり、軍国主義小泉政権が、日米軍事同盟を結んでいる以上は両国の権力者が受け入れるはずがない、と分析したわけです。
そのためにこれを可能にするのは何が有効か、それは小泉政権を打倒することしかない。人質問題が長期化するにつけてもこの課題が真剣に問われなければあならないと思いました。
>非合理な政治目標
について、あっしらさんがおっしゃることはわかります。
しかし日本人拉致事件が発生してから日数が経過し、さらに新たな日本人拉致が発生している。これは自衛隊を撤退せよという切実な要求を日米軍事同盟からかたくなに拒否してきた結果生じた事件です。イラクの実情を見れば必然的に発生したともいえます。
人質の命を助けようともしない小泉政府とは何か。小泉政府こそ非合理ではないか。狂犬のごとくほえ続けているだけである。
小泉内閣はタカ派過ぎるのです。これではまともに交渉などできるはずがありません。犯行グループはイラク戦争をとめさせるためにこそ日本人を拉致し続ける以上、これに応じない小泉政府は人質問題にまともに対応する能力を欠いていることは明確です。もはや退陣の道しか
まずはタカ派的性格が強すぎてイラクの人々の切実な要求にまったく耳を貸さない小泉政府は交代せねばならない。小泉にいくら言ってもだめだ、ということです。
そこで「打倒」の戦いはどう国内で進められているのか?現実には内閣打倒を唱えている人々は少ない。むしろ支配階級内部から小泉の態度を批判する声も出始めた。野党はご存知のとおりで、民主党も意見がばらばらで、総じて小泉に安全な解放を「お願い」する文書を提出して終わりです。政党にいくらお願いしても無理だんですから、人質を解放し、自衛隊を撤退させ、イラクにおけるアメリカの殺戮を止めさせるためにも、内閣を解散させることしか選択の余地はない。
この小泉内閣打倒とうスローガンは最大限綱領主義ですね。内実は小泉政権にノーを突きつけて内閣総辞職、議会の解散、総選挙というプロセスをたどることになります。
これを誰がやるのか?
国民です。学生・市民・労働者階級です。
そして当面の政権でよいじゃないですか。
「人質解放内閣」で自衛隊撤退と人質解放という目標が達成される。
支配階級も露骨に弾圧することは、ここまでくるとイラクの二の舞になる危険さえあるわけで、一定の譲歩を勝ち取れると思います。そのときは天木氏が首相でも一向にかまいません。
多くの人々が政府の態度に怒っている。人質解放、小泉内閣打倒を叫んでいる。
私が叫ぶと「地獄への道は善意に敷き詰められている」といわれるかも知れませんが、この言葉を国民の怒りに適用されるのでしょうか。あるいはイラクの人々に対して。
怒りを表明するということは民主主義社会では思想・表現の自由が憲法で保されていますけどね。それを一概に唾棄すべきではありません。この怒りをバネに運動が作られてゆくと思っております。私は戦争や無益な殺人に怒りを感じることに誇りをもっております。
(2)
あっしらさんは
>、「悪魔崇拝の片割れ」としては、人質になっている高遠さんに犠牲になることを求めることをお奨めしたい。
と、自分を「悪魔崇拝者」として押しだしている(その実非常にヒューマンなのだが)が、いやしくも自衛隊撤退により人質解放を小泉首相にお願いする立場を貫きながら、その実権力者と同一の発想をしている悪魔えい演じてみせた。しかもこのストーリーを終末まで描いた。
悪魔崇拝者としてのフィクションであろうが、現実の政治においてはフィクションは絶対にあってはならない。ご本人は愛嬌でフィクションを披露されたのだろうが、ことは人の命がかかっている。このフィクションを作成されたときには三名だったのだろうが、いまやすでに五名の命が危険に去らされているのだ。反動小泉政権が「三名の自作自演」説を垂れ流しているのと同一の地平において、小泉打倒を主張する私ほか何名かの人々(「HNを明かしてもよい」とはどういう意味なのか)に対する事実上の中傷を行ったのですぞ。
政治にフィクション(if、タラレバ)を持ち込むとは、あっしらさん、どうされたのですか?
場合によってはそれはトリックにつながる危険性を持っています。
私が高遠さんを死なせる必要がなぜあると仮定されてみたのですか?
私はあっしらさんの英知がなせる業であり、本気でおっしゃているわけではないと善意に解釈します。
しかし「地獄への道は善意で敷き詰められている」とおっしゃったのはあっしらさん、あなたですよ。私があっしらさんが現実政治にフィクションを持ち込んだ事実を、糾弾せずに放置しておけば、それがパレスチナ、イラクの人々の自立につながる道だ、という主張と同一の「自己弁護」をあらかじめ設定されておっしゃっていることを容認することになります。
あくまでここでは「脱線」と解釈しておきますが、めったなことは口走らないほうがよい、と当事者として警告しておきます。
私は阿修羅において末席を汚させていただいているが、この一年少々のあいだでこれほどの「脱線」は初めて体験して驚いている。
まずは、私ほかのHNのかたがたが、口走っている事実がないことを、口走っていると夢想して書きなぐったことを、たとえ断り書きを入れたとしてもそれは私(ども)に対する中傷であり、謝罪してください。
怒りの「心情」を吐露いたしました。
他意はありません。