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心情の吐露や非合理な政治目標を掲げてよしとする心情行動主義者よ、「イラク人質問題」を自分たちの政治信念や価値観の実現に向けて活用したいのなら、「悪魔崇拝の片割れ」としては、人質になっている高遠さんに犠牲になることを求めることをお奨めしたい。
「イラク人質問題」が起きても、それが「イラク問題」に対する小泉政権=連立与党を動かすことには至っていないことに怒りを募らせイラツクのなら、政治的にもっとも効果があるのは、人質になっている3人のうちの誰かが自ら進んで犠牲になることに優るものはないと思っている。
100万人規模のデモより、数億の書き込みより、ただ一人の死が政治的な力を示すという千載一遇の機会を手にしている。
たとえば、高遠さんがイラクの現状とそれへの日本政府の対応に深い憂慮と失望を抱いているのなら、保護してくれている人たちに、自分を犠牲にしてでも日本国民に訴え日本の政策を変えたいから“処刑”してくれと願い出る。
第1段階は、アルジャジーラなどを通じて、高遠さんを処刑しない条件(「ファルージャ虐殺」での米国への抗議表明)と理由(日本政府のこれまでの非)を明らかにし、期限を定める。
【日本政府が要求を呑まないとき】
第2段階として、高遠さん自身がイラクの現状とそれへの日本政府の対応に深い憂慮と失望を抱いている内容を収録したビデオをアルジャジーラなどを通じて放送する。
このとき、高遠さんは、日本政府に正気になってもらうために自らが犠牲になる道を選択したことを説明する。
【それでも日本政府が態度を変えないとき】
第3段階は“処刑”である。(これは高遠さんの遺志になるが、今井さんや郡山さんが証人になり、可能であれば遺体映像を放送してもらう)
心情行動主義者よ、あとはあなたちの政治的手腕を発揮する番である。
これで「小泉政権打倒」ができないのなら、あれこれ勇ましいことを述べたててもそれを実現することはできないと断言する。
しかし、残念ながら、心情行動主義者が動かなくとも、それで「小泉政権」は倒れることになるはずだ。
日本人の心性を軽く見ないことだ。この数十年でまともに物事を考えられない人が増えたことは確かだが、歴史(家族伝承)的に継承されてきた心性は根強く息づいている。
長壁さんが言うところの「茹で蛙」の多くが高遠さんの犠牲的死で目覚めることになるはずだ。
心情行動主義者よ、取り戻すことができない高遠さんの命を代償として、日本政府の政策変更や政権打倒で終わらせてしまうのか、それにとどまることなく米英に政策変更を余儀なくさせるところまで勝ち取るかはあなたちの政治的手腕次第である。
日本がファイナンスしてくれなければ、米国はイラクの占領支配を継続することに困難をきたすことになるのだから、日本政府の政策変更の内容次第では、米国をイラクから撤退させることも可能だと思う。
もちろん、それが引き起こすリアクションは覚悟しなければならない。
“彼ら”は、9・11まで仕組み、米国が自爆することになるのを厭わず、「対イスラム戦争」に突き進んだのである。
それを日本ごときのために阻止されるようになれば、タダでは済ませないはずだ。
それにどう対処するかを予めちゃんと考えて、代償の範囲をどこにするか決めなければならない。
日本のせいだと認識されるようなかたちで「対イスラム戦争」を食いとめたとき、それが引き起こすリアクションを平和的に回避する術を私は提示することができない。
最後になったが、私はこの戦術を求めない。
なぜなら、それが、このまま事態が推移すれば死を迎えることになるイラクの非抵抗の人たちを、万の単位で死から救えるものだとしても、死ぬ必要がない高遠さんにそれを求めることができないからである。
イラクの非抵抗の人たちを万の単位で死から救うべきは、イラクの人たちの役目だと思っている。それを自身でまっとうすることで、イラクの人たちの共同体(国家社会)形成もうまくいくと考えている。
そのような犠牲を積み上げなければイラクの人たちが共同体(国家社会)形成もできない状況に追い込んだシステムのなかでそこそこの日々を享受している私は、自分が生きる日本やその基盤である「近代」を変えることに専念する。それが派生的に「対イスラム戦争」を食いとめることにつながったら望外の幸いである。
高遠さんの死の代償があの小泉政権を打倒するだけで終わるのなら、それこそバカバカしいと思っている。小泉政権に限らず政権なぞ、高遠さんに限らず誰の命であっても代償にして倒す価値なんかない汚物だからだ。
心情行動主義者よ、テロリズムも少数派暴力革命もそれ自体を悪とは思っていないから、それらを試みてみればいい。
ひょっとして小泉氏の死によって「小泉政権」の消滅につながる成果は上げられるかもしれないが、それは「別の小泉による政権」が生まれるだけの話である。いや、それでは済まず、現在進行形の国民監視装置がテロ対策の名目で加速強化されることになるはずだ。
悠長に話し合いをしているときかと叫ぶ心情行動主義者もいるが、今だからこそ、心情を内に秘めながらもそれを抑制した話し合い(議論)が必要なのである。
それを端折った政治主義や革命主義は、成果を得られないばかりか、ただ害毒を撒き散らすものでしかないと断言する。
死で購わなければ達成できないこともあるだろう。
しかし、死を代償にしなくとも達成できる政治目標は数限りなくある。そして、それを現実にする手段は話し合いしかない。
心情と理性が融合した多くの話し合いこそがそれへの道を切り拓くのである。
※ 心情行動主義者として想定している固有HNは明記しませんでしたが、求められたら明記します。