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(回答先: Re:あっしらさんのこのスレは何を意味するのですか 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 4 月 15 日 16:22:34)
竹中半兵衛さん、どうもです。
お怒りのレスをいただきありがとうございます。
ただ、もっとまっとうなお怒りを期待していたのですが、筋違いのものだったのでがっくりしています。
「心情行動主義」は、主として長壁さんの投稿態度と投稿内容を想定したものですが、竹中さんの投稿態度と投稿内容も含んでいます。
>「心情行動主義者」という響きから私の現実を類推しますと、頭脳をまったく使わな
>い、感情だけで行動する政治運動であると捉えます。感情の動物でしかない。
頭脳をまったく使わないとは思っていません。
心情に衝き動かされて、全力で使ってもたかがしれている頭脳を使うことを端折ってしまっていると推察しています。
思考ができないのではなく、思考をあるところまでで放棄してしまっているということです。
そして、そのような実存(個人)の態様を否定するわけではありません。
そのような態様が政治活動として現れていることを非難しています。
(政治的発言でなければ、詩人だなあとか、叙情的な文章だなと思いながら楽しく読ませていただくだけです)
それがなぜなのかは、竹中さんが「Re: あっしらさんならもっと内容的=本質的な革マル批判をお願いします。」( http://www.asyura2.com/0403/war52/msg/502.html )で書かれた「なおファルージャの件は革マルは、このかんいろいろ取り沙汰されている記事や投稿を知らずに書いたのではないでしょうか」に対して、「「戦争請負人4名の殺害はファルージャ住民の決起」と言うのは「9・11はアルカイダのテロ」と言うに等しいこと。」( http://www.asyura2.com/0403/war52/msg/552.html )でご理解いただけれると思います。
私もレス内容を読んでも、「地獄への道には善意が敷き詰められている」と繰り返している意味がわからないのなら、本当に政治的活動から身を避けてください。
(唯物論や弁証法という概念を使った部分は、そのような言葉を持ち出すことで思考を放棄することになるとだけコメントさせていただきます。あとは、それこそ、「心情行動主義」や「心情政治主義」の表出でしかないと断じます)
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竹中さん:
「(2)
あっしらさんは
>、「悪魔崇拝の片割れ」としては、人質になっている高遠さんに犠牲になることを求めることをお奨めしたい。
と、自分を「悪魔崇拝者」として押しだしている(その実非常にヒューマンなのだが)が、いやしくも自衛隊撤退により人質解放を小泉首相にお願いする立場を貫きながら、その実権力者と同一の発想をしている悪魔えい演じてみせた。しかもこのストーリーを終末まで描いた。
悪魔崇拝者としてのフィクションであろうが、現実の政治においてはフィクションは絶対にあってはならない。ご本人は愛嬌でフィクションを披露されたのだろうが、ことは人の命がかかっている。このフィクションを作成されたときには三名だったのだろうが、いまやすでに五名の命が危険に去らされているのだ。反動小泉政権が「三名の自作自演」説を垂れ流しているのと同一の地平において、小泉打倒を主張する私ほか何名かの人々(「HNを明かしてもよい」とはどういう意味なのか)に対する事実上の中傷を行ったのですぞ。」
そう書く竹中さんはヒューマンだと思いますが、私はヒューマンではありません。
まず、このフィクションが、なぜ、「小泉打倒を主張する私ほか何名かの人々(「HNを明かしてもよい」とはどういう意味なのか)に対する事実上の中傷を行った」ことになるのですか?
フィクションは私が書いたのであり、そういうフィクションを現実化したらどうですかと提示したのも私であり、それで数万の非抵抗の人たちの命がお一人の命で救えるとしたら政治的意義はとても高いと考えることもできると判断したのも私ですから、非難されたり中傷されるとしたら私をおいて他にないはずです。
「革命」を口走るのなら、フィクションのようなことを冷徹に実行できる精神性をもっていなければ難しいですよという揶揄でもあります。
「革命」の成就に利用できるかどうかの考察をしないまま、「ことは人の命がかかっている」とのみ反応し、さらには、あのフィクションが自分への中傷であるかのように受け止めるひとが、「革命」などという言葉を口にすべきではないと思っています。
再度になりますが、元の書き込みに今回のようなレスしか書かないような人は、「革命」や政治活動から身を遠ざけてください。
>政治にフィクション(if、タラレバ)を持ち込むとは、あっしらさん、どうされたの
>ですか?
大笑いですね。
現実にはない国家社会の在り様を実現しようという「革命」にとどまらず、政治は、フィクション(if、タラレバ)の塊であり連続ですよ。
こうしたらAになるかBになるか、このような動きをしたら相手はこう反応するのではないかなどを、タカが知れている人知でフィクションとして描き出し、ならば最善の手段はこれだと判断するのが政治活動の要諦です。
>場合によってはそれはトリックにつながる危険性を持っています。
>私が高遠さんを死なせる必要がなぜあると仮定されてみたのですか?
竹中さんが「高遠さんを死なせる必要がある」と考えているとはまったく想定していません。
私が、高遠さんが犠牲になれば、小泉政権も倒れ、自衛隊撤退も実現でき、うまくやれば、米英をイラクから撤退させられることができるかもしれないから、それらを強く願うのならそういう手段もあるのではと提言したのです。
>私はあっしらさんの英知がなせる業であり、本気でおっしゃているわけではないと善
>意に解釈します。
>しかし「地獄への道は善意で敷き詰められている」とおっしゃったのはあっしらさん、
>あなたですよ。私があっしらさんが現実政治にフィクションを持ち込んだ事実を、糾
>弾せずに放置しておけば、それがパレスチナ、イラクの人々の自立につながる道だ、
>という主張と同一の「自己弁護」をあらかじめ設定されておっしゃっていることを容
>認することになります。
「高遠さんの犠牲」は本気で書いています。
小泉政権を倒し、自衛隊撤退も実現でき、うまくやれば、米英をイラクから撤退させられることができるかもしれず、それらを通じて数万いや数十万の可能性もある非抵抗の人たちの死を先送りにするとてつもない力が、「高遠さんの犠牲」に含まれていると思っているからです。
私は、自分の死が自分が願う現実を生み出すことになるのなら、辛く悲しいことですが死を厭わない覚悟を持っています。
それと同時に、私が願う現実を生み出すというとてつもない力が「高遠さんの犠牲」にあると判断したら、それを高遠さんに求める覚悟もあります。そして、その後に私は不要であるとしたら、高遠さんのご家族に我が身を委ねます。
「高遠さんの犠牲」を求めないのは、私が願う現実を生み出す力は「高遠さんの犠牲」にないと判断しているからであり、とてつもない力を持つとはいえ「高遠さんの犠牲」が生み出す現実が上述の内容なら、他の手段で実現すべきだと思っているからです。
>あくまでここでは「脱線」と解釈しておきますが、めったなことは口走らないほうが
>よい、と当事者として警告しておきます。
>私は阿修羅において末席を汚させていただいているが、この一年少々のあいだでこれ
>ほどの「脱線」は初めて体験して驚いている。
元の書き込みへのレスがこのような結論になるのなら、「革命」を口走らないほうがいいと再度言います。
強大な権力と情報管理力を手にし、他国の非抵抗の人たちを虐殺しまくるのみならず、ことを円滑に進めるために自国民を犠牲に捧げ利用することも厭わない連中から、権力を奪わなければならないのが「革命」なのです。
「革命」も、その言葉を明示的に出す必要がないものです。
>まずは、私ほかのHNのかたがたが、口走っている事実がないことを、口走っている
>と夢想して書きなぐったことを、たとえ断り書きを入れたとしてもそれは私(ども)
>に対する中傷であり、謝罪してください。
>怒りの「心情」を吐露いたしました。
>他意はありません。
レス全文を読ませていただいて、謝罪するいわれはないと判断しています。
その理由は、上述の内容に代えさえていただきます。