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マルハナバチさん、傍らで観る者さん、言及・分析ありがとうございました。
そして、NOユージさん、イラク戦争「毒の遺産」、HAARPさん「劣化ウラン告発フラッシュ・ムービー」、いずれも貴重な資料の紹介ありがとうございました。
私は、劣化ウラン弾による、「極端な出生異常」の写真をみて、「奇形児写真集」と表現しました。
内臓が体の表面に浮き上がり、顔半分が口であったり、頭が大半を占めた赤ちゃん、視力のない骨と皮の赤ちゃんをみて、強烈な衝撃をうけました。怒りと哀しみと心の底から震え上がるような恐怖。そのまま「さざ波」で即紹介して、多くの反響がありました。
20代の若者が「自分が変わった日」「自分の無知が恥ずかしい」「この写真を紹介した人に感謝したい」「さざ波で戦争が分かりかけていた僕は、さらに、この写真で自分の生き方を変えられたようだ」「今まで、頭で想像していたに過ぎない戦争が、実感をもって考えるきっかけになった。これからも、さざ波をはじめとして、インターネットをつうじて、きちんとした情報を知りたい」などなどの言葉がよせられています。
以前から私は、マスコミあるいは世論?が制限・自粛する言語表現に疑問をもっています。単なる言葉の言い換えで不幸がなくなるのかということです。「盲目」の人を「目の不自由」な人と言い換えることで、また、明らかに無残な奇形とか二重胎児を出生異常と表現することで、本人・周辺が救われるのでしょうか。
確かに、言葉は大切です。様々な不用意な差別表現は、人を傷つけます。日本のエライ方々が見本をしめしてくれています。
ですが、今、世界で行われていることは、「普通なら、目を閉ざしたいような」残虐極まりない情景です。正視できない無残な修羅場です。そうした非人道的な世界をつくりだしているのが、米国主導の世界戦争です。そして、年内派兵を企むこの日本です。
むごい、エグい、現実を見てみぬフリを決め込む日本政府、それに追従する民主党。そんななか、捨て駒とされる自衛隊員・その家族に、私は奇形児の現実を、戦争というものの根源をみつめてもらいたいと思いました。戦争の大義がなんたるかを考えてもらいたいと思いました。そうした願いで、「さざ波」一般用討論のタイトルも、「自衛隊は{奇形児増産工場}に海外出張するな!!」としています。
今、わたしは、従来の慣習やルールなど、飛び越えたところでの実相を、いかにその真実をつたえるかを最優先しています。
故意に曲解・歪曲し、個人を排除する動きも世の中には蔓延っています。私の物言いは、直截なだけに、意図する人には、格好の標的になることもままあります。私は、そうしたすべてと闘うことが、今の私の反戦だとおもっています。
ちなみに、変形=形が変わること 形を変えること、その形
奇形=生物の普通でない形 かたわ 「ーー児」とあります。