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後藤新平の研究者は、「後藤新平が内務大臣になった時、イギリスの諜報機関を研究して、その手法を取り入れた。後藤の縁戚関係にある野坂参三や佐野学達に日本共産党を作らせた。野坂参三の身内に神戸のモロゾフ製菓があり、モロゾフからは、特高や保安警察関係者を輩出している。後藤の孫の佐野碩は、画家のシケイロスと組んでトロツキー暗殺に関連したスターリニストで、労働歌”インターナショナル”日本語への訳詞をした。」旨のことを語っています。
日本共産党は、後藤新平の狙いどおりに、戦前の左翼勢力の高揚期に、そのエネルギーに対する「誘蛾灯」の役割を果たし、「誘蛾灯」に群がった「蛾」は、共産党内での粛清と特高による逮捕を通して、潰されていったものと思われます。
共産党の名誉議長であった野坂参三は、戦前の行状が発覚して、100歳の誕生日を迎えた1992年に党から除名されました。
しかし、戦後の共産党も、労働組合運動や原水禁運動などで組織の分裂を目論んだだけでなく、二度の安保反対運動の中では、共産党の枠に収まる筈もない反対運動の遂行者に対する徹底した攻撃を通じて、体制側に協力してきました。
体制側はその後、総評を解体して連合に再編し、日本の労働組合運動を骨抜きにして、社会党の支持母体を民主党の支持母体に変えただけでなく、村山内閣の成立を契機に社会党解体のスピードを早めましたが、これと連動して共産党も議会主義に転進してゆきました。
こうして、議会主義の枠から外れるリベラルや左翼に対しては、共産党はもはや「誘蛾灯」の役割を果たせなくなりました。(勿論、教条主義者にとっては、依然として共産党思想の布教活動は意味を持っていますが。)
そのような状況に対応して、体制側から、装いも新たな「誘蛾灯」が提供されてきたのではないかと考えています。
先ず、70年安保反対運動後の20年間において、赤軍派や革共同系などの行動的な新左翼によって惹き起こされたとされ、マスコミを賑わせた事件の数々が、公安系の「さくら」や「チヨダ」によって、彼等を潰すために仕組まれたものと思われます。
次に、これらの作戦がほぼ成功し、新左翼の組織が壊滅的な打撃を被った後は、反体制的な人々の挫折感とある種の期待感を吸い上げるために、新宗教や自己啓発系以外にも、よりリベラルな風貌を持った各種の危うい組織が作られ、一定の成果を上げているように見えます。
その具体的な成果としては、反盗聴法運動や反原発運動への分裂主義的な行動、国会TVを護る運動を母体とした民主党への誘導、選挙への棄権の勧め、と、枚挙に暇もありません。
極めつけは、「社会の崩壊を促進して国民を追い詰めれば、土壇場で国民が覚醒し、新勢力によって理想社会が実現するので、今は、既存社会の破壊に注力すべし。」というアナーキーへの誘導です。
社会のインフラを破壊され尽くした後になって覚醒し、奴隷的な仕組みから解放されたとしても、住める世界はもはやなく、再び奴隷に舞い戻る以外の道は断たれているのではないでしょうか。
反体制のアナキズムを語る者に賛同して行動したつもりが、気が付けば体制側によって仕組まれた「誘蛾灯」に引き寄せられていただけという場合が、間々あるような気がします。
因みに、大正期のアナーキスト大杉栄は、日本共産党誕生の半年後に、後藤新平から資金提供されて、フリーメーソンの動向を調査しに渡仏したと言われています。
国外追放されて帰国した大杉栄と幼子や伊藤野枝が、関東大震災直後に殺害された事件の責任を取ったとされる甘粕大尉は、その後、満州国の建国に一役買っています。
(バチカンの機密文書の公開に限らず、)発掘された資料を通して、我々は、歴史の闇から学ぶことは多いと思います。