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(回答先: Re: 米軍再編と沖縄 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 27 日 13:27:43)
竹中さん、何回も読ましてもらったんべ。
>復帰とは屋良や人民党が日本の資本化さ沖縄ば売り渡したことば意味すたんだ。
>こっだら歴史ば踏まえて照屋氏の発言ば読み直すことも必要かなって思ったとこだす。
竹中さん。
おら、まだ沖縄さぁ、いったこともねぇだが
1971年の頃は沖縄返還粉砕派だったんもんで、沖縄復帰が日本帝国の
再占領であったことは、感覚として、わかるべぇ。
おら、あの頃、注目していたことは、沖縄独立論だったぁ。
革新の屋良さんが当選したとき、佐藤栄作は祝杯をあげたんべ。
選挙はたしかに、日本国民統合システムでもあるんだぁ。
沖縄の人は復帰後、日本さぁ、働きにきても苦労したんべぇ・・・
そんでも沖縄の芸能はすげぇ、守りとおしてきたんだっぺ。
日本の芸能は街の清浄化運動などといって
それまで、どの街にもいた、呼び屋さんを「ヤクザ」などといって、排除してしまったんべ。
これで「浪曲」などの日本芸能が死滅してしまったんべ。
沖縄の芸能はエネルギーを守ってきたんだっぺ。
おら、竹中さんの原点をまた教えてもらったんべ。
1、戦後世代としての原点
2、ルソーとしての原点
3、沖縄としての原点
これが、竹中さんの強さだと、おら感じたんべ。
「ほんじゃぁ、おらの原点はなんだべ?」と、考えたんべ。
それを、おら、これから明確にしていくべな、もし。
やっぱ、現場闘争を体験するとは、機動隊にぶっとばれながらも
壮大な向こう側の他者というか権力システムに向かって、おのれの
身体感覚が覚醒していくことだんべ。
個人的な体験として、すばらしいことだと思うべ。
人間のからだをはった表現行為だっぺ。
原点とは身体感覚であると、おら思うべ。
その身体感覚にこだわりながら、やがて30年後の現在において
おのれが言葉に置換したとき、思想が誕生すると思っておりますだ。
1972年2月3月の連合赤軍事件によって、重い空気になりましたけんど
すぐ春から相模原補給所、ベトナム輸送阻止の反基地闘争がありましただ。
圧倒的な労働者が相模原基地へ結集しましただ。
日本の労働運動は沖縄闘争から反基地闘争に向かい
日本全国の米軍基地を包囲しようと準備しておりましただ。
そのとき、アメリカUSAと日本の権力特殊部隊は
「内ゲバ」を仕組んだのではないかと、考えておりますだ。
こうして70年代、新左翼は「権力の敵」から「日本国民の敵」へとまつりあげられ
「過激派=テロリスト」として、刷りこまれていったと、思いますだ。
総評が全力をあげて、準備していったスト権ゼネストも、つぶされたのは
1974年頃。
70年代における日本権力装置もいまだ「暗黒」ですけん、
おら、じっくりと検証してきますだ。時間かかるべぇ。
1972年9月の日中友好条約によって、侵略戦争の罪悪から忘却する快楽を味わい
日本の空気は消費社会にうかれていきましただ。それから34年。
人間の身体とは図書館のごとく、記憶装置の集積庫だっぺよ。
竹中さん、あんがとうございました。沖縄が原点であることを、教えられました。