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『選択肢なし 本音のコラム宮崎学』( http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/600.html )を受けての『旧共産党系左翼らしい政治感覚で“キツネ目”にしては実につまらん感想文』( http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/613.html )に続くものです。========================================================================================
大手メディアや政治評論家は、今回の総選挙の結果を受けて、二大政党制の到来や“左翼政党”の凋落そして公明党=創価学会の政治的影響の増大というまとめをしている。
敗北した“左翼政党”や左翼勢力も同様の総括(言い訳)だから、多くの人が、そのような見方に流れていくのは自然である。
また、二大政党化で政権交代の可能性が現実味を帯びたことをよしと考える人も多いようだ。
「突破者」を自称する宮崎“キツネ目”氏でさえ、「どの党が政権を担っても同じと感ずる絶望感は、今回の選挙ではより大きくなった」と眺め、「今のシステムの下で、民衆の側の「気分」はこのように常に組織に負け続けるのだろう。選挙に代わる方法が欲しいものである」と総括している。
宮崎氏は、選挙という手法ではにっちもさっちも行かないと状況が生まれたという認識をもっているようだ。
選挙に代わる方法が必要だという認識は共有しているが、それは選挙結果によって出たり引っ込んだりするものではない。
何年に一度か実施される国政選挙とは、自分が被る苦悩や不快(それらの逆も)が自己責任であると錯誤させる制度であり、公=国家がどの層の私的利益にお墨付きを与えるかを決するものでしかない。(自分が支持する政党が勝っても負けても同じこと)
宮崎氏が表明している選挙に代わる方法がどういうものなのかわからないが、選挙も利用できない状況で選挙に代わる方法が有効なものとして現実化できるとはとうてい思えない。
「組織がなければ何も出来ない、だから組織が重要であるとする考え方を放棄できないまま進行する政治の状況が、個人の自由な発想の選択肢をさらに狭めている」と、脱組織の個人の重要性を見抜いている宮崎氏が、「今のシステムの下で、民衆の側の「気分」はこのように常に組織に負け続けるのだろう。選挙に代わる方法が欲しいものである」と夢想を締めくくりにしていることに状況の深刻さを感じている。
反戦平和勢力として一定の存在感は残っている左翼勢力の総括を見聞きすると、より悲惨な気持ちになる。
我が党や私は正義や真理のために身を粉にして戦っているのに諸事情で多くの理解が得られなかった。しかし、これで挫けることなく、これからはよりいっそう身を粉にして戦うというものだ。
ここまでのみごとな「空回り精神主義」に疑念を抱くことなく政治活動に没頭できることはそれなりに素晴らしいことだが、おおよそ自己満足の“千年共産党”の世界であり、理解しない人たちをあれこれ罵って欲しくはない。
共産党内対抗派として表に出ている「さざ波通信」編集部も、選挙の敗北をもって党中央の誤りが証明されたかのような論考を載せるという頓珍漢ぶりである。
選挙で少しでも獲得票数を増やしたいと思えば、多数派の価値観や思いに擦り寄るしかない。
(共産党が左翼という少数派さえつかみ切っていない点は批判はできるとしても、新左翼は不倶戴天の敵トロツキストという見方や社民党堕落論は共有しているのだから、「さざ波通信」が党中央を握ったとしてもそれは期待できず、多数派に擦り寄って票を稼ぐしかないだろう)
反共攻撃や情報操作そして“洗脳”があるとしても現実として多数派から遥か遠い正義や真理を訴えて選挙に臨むのなら、獲得票数や獲得議席数を増やすこともあれば減らすこともあるという自明のことさえも理解できていない。
選挙での獲得票数や獲得議席数なぞで理念や政策の正しさを推し量ってはならないのである。
議会闘争は、所詮、否定すべき国家社会内の条件闘争でしかない。もちろん、だからといって、そんなものは必要ないというつもりはない。
なぜそういう目にあうのかわからないままの多数派が日々苦しんでいるという現実があるのだから、条件闘争を通じてそれを少しでも緩和することは重要な意味を持っている。
共産党の根源的間違いは、その理念や理論とともに、手段でしかない議会闘争を目的化していることにある。
(共産党が政権を採ったら革命成就という考えを持っているのなら、マルクスの名を口に出さないほうがいい)
手段が目的化している(できている)から、くだらないレベルの綱領論争があったり、功利的戦術をとれずに潔癖主義=唯我独尊に陥って孤高(孤立)を誇って喜ぶという倒錯を示すことになる。そしてその一方で、現実は、ますます理念から遠ざかり悪化していく。
未来永劫ないことだろうが、目的を達成するための政治活動と選挙は別のものだという理解ができれば、もう少しは現実的でまともな選挙戦術が採れるはずだ。
社民党執行部も、社民党の存在意義さえ自覚せず、唯一の看板である土井さんを党首の座から引きずり降ろすという愚を行った。
北朝鮮拉致問題という未曾有の大逆風に加え辻元問題が尾を引くなかで社民党が6議席を確保できたのは、土井さんの存在が支えになっていたからである。
左翼=反体制派=突破者が、支配層が振り撒いている現実政治観に同化してただもだえるだけという惨状を見せてしまっている。
新たに生み出された現実をどう利用するかという発想がないまま、「もっと頑張ります」や何か他に方法は?という虚しい思考をしている限り、一歩も前に進めない状況を打破することはできず無理解者への憎悪を胸に収めながら空回りを続けることになる。
(「さざ波通信」のように、95年から98年を共産党の大躍進時代と捉えるお笑いの自己賛美ができることくらいはあろだろうが)
現実の国家社会に異を唱える人が、国家社会を支配する者たちの言説に乗せられて自分をドツボに落とし入れてしまうことほど無残なものはない。
今一度身の丈を含む現実を冷静に捉え直し、ごくわずかとは言え自分の理念や信念が実現できるためにどうすればいいかを考えて欲しいものだ。
偉そうなことをのたまっている左翼勢力だから、そうする義務があるといっても差し支えないだろう。
※ ぷち熟女さんへ
せっかく生まれた現実を利用して政治的影響力を増大させようと反戦平和勢力は今のところいないようです。
空虚な批判や自己満足の活動でよしとする理念主義者がのさばっている限り、現在の政治状況を活かすことはできません。
主体的に生み出したものではないのですから、絶好の政治状況もそのうち消え去ってしまうでしょう。
アホな理念主義者が反戦平和+弱者保護勢力を牛耳っている限り、日本は、反戦平和+弱者保護勢力が願う方向とはまったく逆の道を加速して進むことになります。
★ 参照書き込み
『反戦平和護憲+“弱者保護”政治勢力が進むべき道 − 衆議院で公明党を超える議席の獲得 −』
( http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/501.html )
『社民党になぜ肩入れするのか 【脆弱な反戦平和護憲+“弱者保護”政治勢力だから(笑)】』
( http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/572.html )
『小泉首相はなぜこの時期に解散・総選挙を選択したか 【大惨敗した社民党の轍を避けるためである】』
( http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/550.html )