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(回答先: 国家と軍隊と 【過去の歴史、1945年朝日新聞】 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 23 日 15:01:22)
元野村證券田淵節也氏→笹川平和財団会長
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12月10日日米安保フォーラム主催、笹川平和財団の役員・評議員名簿【田淵節也会長・・・】
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/610.html
田淵節也会長・・・】
「パラオに行かないか」と誘ってくれたのは、学徒出陣の元海軍中尉の経歴をもつ田淵節也さんだった。パラオの人々とは、かつて日本財団が、島々をつなぐフェリーボートをニ隻、寄付するなど深いご縁があり、一緒に出かけることにした。
http://www.yashinomi.to/micronesia/palau1.html
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Google
日本語のページから田淵節也 総会屋を検索しました。 約65件中1 - 10件目 ・検索にかかった時間0.10秒
http://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B0%E6%B7%B5%E7%AF%80%E4%B9%9F%E3%80%80%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E5%B1%8B&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja&lr=lang_ja
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序章 誰かが、どこかで、動いている
野村證券・第一勧銀事件の総会屋が知っていた秘密
本書は、わが国の中枢部の人脈から発生したほぼ20年間にわたる事件、特に、数々の利権がからんだ暗黒事件を追跡したものである。
それらの事件は、政界だけでなく、その政治家を動かす霞ヶ関官僚に、銀行や証券会社の金融界、石油・土建・電力業界に至るまで 、この国の主な産業分野がみな、からみついている。
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これら一連の事件の中心人物たちは、政治家や官僚、あるいは財界人として分類されてきた。最近逮捕された卑近な人間の名前をあげれば、衆議院議員・山口敏夫が「政治家」、厚生事務次官・岡光序治は「官僚」、野村證券社長・酒巻英雄は「財界人」というように、われわれは彼らを、それぞれが別の世界に生きる人間とみなすように教えられてきた。しかし実際に、彼らが一個人として生きる家族関係は、誰もが知っているように、世に閨閥と呼ばれる無数の結びつきによって、深い利害関係を秘めた過去の歴史から誕生したものである。
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本書が視野に入れた代表的な事例は、次のようなものである。
「野村證券・第一勧銀・味の素などをめぐる一連の総会屋事件」
「数十億円の不正資金が動いた石油業界タニマチと通産省腐敗の泉井事件」
「住宅金融専門会社(住専)の巨額不良債権発生と幹部の不正蓄財」
「オレンジ共済組合と新進党をめぐる詐欺事件」
「事務次官・岡光序治らによる厚生省収賄事件」
「イ・アイ・イ・グループ高橋治則と山口敏夫らがひき起こした東京二信用組合の破綻」
「大蔵省の腐敗と無能監査による日本全土の金融崩壊」
「末野興産らのビル不動産業者が暗躍した木津信用組合の破綻」
「地上げ屋と不動産業界による地価暴騰とバブル経済の崩壊」
「ゼネコンの談合を取り仕切った金丸信の不正蓄財事件」
「暴力団が背後にあった住友銀行・イトマン事件」
「仕手集団・光進による国際航業乗っ取り事件」
「野村證券が暴力団・稲川会の前会長に口座を開いた東急株仕手戦がからむ東京佐川急便事件」
「大口顧客のための損失補填が発覚した証券不祥事」
「大量の政治家に未公開株が配布されたリクルート事件」
「300億円と言われる財界の自民党献金事件」
「大蔵官僚OBが直接関与した武富士未公開株事件」
「仕手集団・誠備グループによる平和相銀不正融資事件」
「竹下登に巨額資金が渡った疑惑をはらむ金屏風事件」
「児玉誉士夫・小佐野賢治らの右翼政商が政界の田中角栄を動かしたロッキード事件」
「ゼネコン企業による無数の談合事件と自然破壊」
「新幹線建設に端を発した旧国鉄債務による国民の巨額負債」
「製薬会社と学者・官僚の利権のため無数の人が殺された薬害エイズ」
「地方税を使い放題の官官接待と茨城県知事・竹内藤男ら全国自治体の構造腐敗」
「電力会社の独占体制による原発事故の続発」などである。
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アメリカのロッキード社が、日本の政商・児玉誉士夫をコンサルタントとして雇う契約書にサインしたのは、今を去る28年前の1969年だったが、これが76年に表面化して、巨額の政治家収賄事件に発展していった。
ついにその年7月27日、首相だった田中角栄が逮捕されてから今日まで、ほぼ20年間、絶えず類似の事件が続発し、無数の新聞とテレビ、雑誌などのマスメディアで痛烈な批判を受けながら、暗黒事件が一向に消滅しないという厳然たる事実を見なければならないからである。
しかも今年最大の事件となった野村證券・第一勧銀の事件は、すでに事件としての名前だけが枯れ木の芯のように残っているロッキード事件の黒幕、児玉誉士夫の流れをくむ総会屋・小池隆一によってひき起こされたものであった。
登場人物の人間関係が、20年前と変わっていないのである。
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国政をあずかる政治家や官僚が、自宅や料亭、ホテルの一室、あるいは堂々と彼らの職務室や大企業のオフィスなどで、トランク一杯の汚れた札束を暗黒の世界から受け取り、そのかたわら、 - - 日本の国民から集めた税金を使い込み、さらにその挙句、この国全体を、経済崩壊という末期的な事態に導いてきた。
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野村證券の総会屋事件で明らかになった証券会社のVIP口座には、政界・官界・財界の大者が名を列しており、その数は1万とも言われながら、97年9月現在、いまだに公表されていない。
わずかに漏れて出た報道では、橋本龍太郎内閣の農相・藤本孝雄、法相・松浦功、郵政相・堀之内久男、科学技術庁長官・近岡理一郎、厚生省スキァンダルで事務次官を辞任し、逮捕された岡光序治などの名前が聞かれただけで、全貌はとらえられていない。これを追及するべき報道界の幹部も、検察・司法界の幹部も、みなそこに名前があるだろうと疑われている。
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大手の第一勧銀内部では、「小池隆一という総会屋に迂回融資するよう」巨額の資金を提供する計画がたてられていた。それを考案し、実行に移したのが、融資の審査を担当する役員だった副頭取の金沢彰であった。主にこの男の主導のもとに、総会屋の小池隆一が第一勧銀から融資を受けて、総計117億円という銀行資金が、四大証券会社の株購入資金として流れはじめた。
こうして第一勧銀の頭取たちが、預金者の金を流用して社会の悪を育てあげながら、ようやく97年になって、芋ずる式に銀行と証券会社の幹部が逮捕される事件を招いたのであった。
ところが驚愕すべきことに、金沢彰は、この総会屋事件が発覚して逮捕される前に、すでに第一勧銀から、別の職場に移っていた。国民の怒りを買ったもうひとつの金融界の不祥事、不良債権処理の最も重要な機関として設立された「共同債権買取機構」の社長として君臨していたのである。
この組織は、バブル経済のなか、銀行などの金融機関が不良の不動産担保をもとに貸し付けたために発生した不良債権を、担保つきで買取り、それを売却して、不動産を有効に生かす目的で、93年1月に162の金融機関が共同出資して設立した株式会社であった。ところが実際には、不良債権を買い取るだけで、それを売却したのは、わずか数パーセントという実績が示すように、まるで目的を果たしていなかった。
それでも金融機関は、この会社に売却すれば、無税で不良債権を償却できるので、これを隠れみのにして、世間体をとりつくろうことができる。事実上これは、銀行の倒産を防ぐための一時的なトリックであった。
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不良債権が発生した最大の原因は、不動産業界が演出した地価暴騰のバブル経済と、その崩壊にあった。しかも地価暴騰の実行部隊は、暴力団と密着した地上げ屋であった。彼らもまた、総会屋と重なりあい、ほぼ同じ集団であった。このバブル経済で最も大きな利益をあげたのが、問題の大手銀行であった。また当時、日本の企業全体で最も大きな収益をあげたのが野村證券であり、彼らと暴力団は互いに、共同作業をしてきた仲にあった。
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石油業界のタニマチと呼ばれる泉井純一が、豪華ホテルで開いた売春まがいのパーティー接待で、通産官僚を大量に腐敗する作業がはじまっていた。
特に泉井は、ベトナムの油田開発をめぐるフィクサーとして活動していた。しかし、三菱石油からほぼ40億円という途方もない金の提供を受けていたことが発覚し、 96年11月7日に脱税の容疑で、97年1月8日には詐欺罪の容疑で再逮捕されたのである。泉井事件で国民が驚いたのは、逮捕された元運輸事務次官の服部経治だけでなく、現役の通産官僚と大蔵官僚たちが、目をおおうばかりに腐敗していたことであった。また、これだけの構造汚職が明らかになりながら、現役官僚は誰も逮捕されない不思議さであった。
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和田当人は、オイルショック後の78年6月に通産事務次官を退職すると、海外の石油開発で独占的な支配力を持つ日本興業銀行(興銀)の顧問から、エネルギー財団副会長を経て、82年には、自ら支配してきた業界の石油公団総裁に就任して、今度は実業界のトップに君臨した。同時に彼は、無数の関連企業で社長をつとめたが、石油公団の子会社のひとつである石油資源開発の社長にも就任していた。
石油資源開発は、70年に設立され、その名が示す通り、中東やアジアなど海外での原油開発を目的としていた。87年には、通産省を動かせる和田敏信を社長に迎えたが、 10年後の今年、97年7月現在も、会長に和田が君臨している会社である。
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徳永久次が60年の次官、和田敏信がやや遅れて76年の次官。
続いて徳永が78年の石油公団総裁、和田がその後を継ぐ82年の石油公団総裁という上司・部下の関係だったが、現在は逆に、和田の傘下企業の社長が徳永、という主従関係になっていた。一心同体のふたりである。
- - この徳永の娘ムコが、金沢彰だったのである。第一勧銀で、総会屋・小池隆一に迂回融資をする巨額資金提供の計画をたて、今年逮捕された副頭取である。
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"泉井事件の海外油田人脈に入る副頭取の金沢"が考案した第一勧銀の迂回融資によって、総会屋の小池隆一が野村證券に密着したことになる。そうして小池は、野村の株主総会で最大の問題となっていた社会的批判をおさえこむよう、闇の世界で活動したのである。
その株主総会対策とは、91年の証券スキャンダルの責任者として、会長と社長を辞任した田淵節也と田淵義久を復活させることであった。証券スキャンダルとは、当時誰もが耳を疑ったように、広域指定暴力団・稲川会の会長だった石井進が、野村證券に口座をを開いて、石井の関連企業を通じて東急電鉄株を買い占めると、それを野村證券が支援する形で株価が暴騰するよう資金を投入した深刻な事件であった。
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こうして「第一銀行」が出発し、のち1970年代になって、「日本勧業銀行」と合併して、現在の「第一勧業銀行」が誕生した。その時、第一勧銀誕生の調整役として登場したのが、なぜか、児玉誉士夫と木島力也であった。
この合併を成功させた第一銀行頭取の井上薫の息子が、自由民主党総裁の鳩山一郎の孫娘と結婚し、その鳩山一郎に児玉誉士夫が戦後の莫大な政治資金を提供していた、という関係があったからである。
しかし、鳩山一郎と孫娘のあいだには、もう一世代入るはずである。ちょうど「第一銀行」と「日本勧業銀行」が合併して「第一勧銀」が発足した71年10月1日に、大蔵事務次官だった鳩山威一郎である。つまりこの銀行は、児玉誉士夫から資金を得た大蔵省トップが認可して初めて、誕生していたのである。事実上この合併を成功させたのは、鳩山威一郎の前任者にあたる事務次官の澄田智であった。
澄田も鳩山〜井上ファミリーにつらなる一族であり、後年、大蔵省OBの天下りを支配する "霞ヶ関のボス"として君臨する人物であった。
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泉井事件の通産官僚接待がおこなわれていた時代の86年から88年にかけて、通産事務次官だったのが、福川伸次だが、彼もまた、第一勧銀の金沢彰にかなり近い一族であった。福川は次官を退任後、天下りして、田淵節也会長のもとで、野村総研の顧問となっていた。不思議なことに、両田淵と同じように、彼も野村事件と泉井事件のあいだに立つ人物であった。
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迂回融資を考案した金沢彰の周囲には、前述の徳永久次だけでなく、ぞろぞろと石油関係者が登場してくる。とりわけ従弟の山田繁は、石油業界のタニマチ泉井純一に 40億円を送った三菱石油の山田菊男社長のもとで、直属の部下にあたる常務をつとめていた人物である。そもそも、その父・山田敬三郎が、三菱商事で石油部長をつとめて副社長になり、サウディ石油化学社長、通産省石油審議会委員となった石油業界の実力者であり、入りムコとなって山田姓を名乗る前は、逮捕された金沢彰の叔父にあたる"金沢敬三郎"であった。
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三菱石油常務の山田繁側から40億円近い大金が泉井純一に提供され、身内の徳永久次や篠島義明が働く通産省側にばらまかれた事実を示している。徳永が属する石油資源開発の取引き銀行のひとつが、第一勧銀であった。
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第3章 大蔵官僚腐敗と不良債権処理
イトマン(伊藤萬)事件と不良債権
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大新聞の論説委員たちが、裏金をもらって「農地の宅地並み課税」を社説欄に書きなぐり、土地の有効利用というもっともらしい理屈をつけ、背後では、不動産業者と銀行が暴利をむさぼった。
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監査法人が問題になるのは、金融機関の貸出先(桃源社など)がまともな担保を保有していることを確認し、チェックしなければならないところを、まったくノーチェックで財務状況を保証していたことにある。
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日本では、監査法人の出す報告書が"経営不全"のハンコを押したものであれば、その会社は、金融機関から借金ができなくなって、評判を落とし、ますます経営が悪化する。それを避けるために、会社と大蔵官僚と監査法人がグルになり、あろうことか暴力団と手を組んで、決算額に合わせて作為的な会計報告をつくりあげてきた。しかもこのグループ作業は、あれだけの金融破綻を招きながら、誰ひとり、監査の責任を問われていない。
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日本全土の自治体も、ほぼ同じ状態にある。東京都では、無数の不正支出が発覚したが、その未監査を放置してきたのは、警視庁である。それを統帥する警視総監だった福田勝一は、消費者金融(サラ金)最大手の武富士に就職して、顧問となり、莫大な裏金を手にした。 - - 96年8月30日、株の店頭公開をおこなって、1株1万200円の初値をつけ、時価総額1兆円を超えるという大商いとなった。
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その半年ほど前の94年3月に、数百万株が、事前にわずか2700〜2800円の値段で、未公開株として大量に政財官界に流れていた。その株を、武富士の元締めとして機能してきた主幹事会社の野村證券が、VIP口座の特権者たちに売却した疑いが濃厚となった。
少なくとも、警視総監だった福田勝一は、自分と家族名義で、1万6000株を購入していたことが発覚した。このような警視総監が、95年から中央選挙管理委員会で委員となって、選挙の不正を監視する役職についていた。
さらに、大蔵官僚だった松尾直良(関税局長)は、武富士の顧問となって未公開株を譲渡され、徳田博美(主計局主計官=>銀行局長)も、武富士の監査役となって未公開株を譲渡されていた。彼らは、「これが、能力ある大蔵官僚の役得だ。そうした能力のない人間の嫉妬が、非難につながっている」と、公言してはばからない。「誰でも、こうして億の金を手にしている」と言ってくれるのである。
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徳田博美が問題となったのは、天下りして野村総研でトップの理事長に就任し、未公開株だけでなく、家族ぐるみでゴルフ会員券などを無償で譲渡され、この武富士の利権にあやかっていたことにある。
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97年に武富士の新社長に就任した池田正人は、第一勧銀の総会屋事件で不正融資に使われたライベックス社にいたことがある。また、徳田が野村総研理事長に就任した88年には、 - 通産事務次官・福川伸次が野村総研顧問となって、徳田と共同作業に入っていた。しかも徳田は、大蔵大臣の諮問機関である金融制度調査会の委員となった。
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政治家や官僚への武富士未公開株の配分は、澄田・徳田の人脈にもとづいて決められ、実行に移されたはずである。
このように無責任な作業が、現役大蔵官僚と天下り、とりわけ徳田のように "銀行局長"だった人間の仕事であれば、日本の銀行がこれからいくら倒産しても不思議ではない。問題があるのは、消費者金融だけではない。大蔵省から監査法人に移り、会長職について、ほとんど何もせずに何千万の年収を得ているものがいる。何を目的に彼らが天下りとして迎えられるかといえば、大蔵省や外部人脈との裏工作のためなのである。
ここに、暴力団が直接介在していることが、最大の問題となる。
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イトマン(伊藤萬)事件である。
この事件は、その後のあらゆる金融事件発覚の伏線となった怪事件であり、火付け役であった。また、闇の金融事件として、史上最大の金が消えた事件でもある。そこに登場した人間たちが、途方もない金額をめぐって争い、最後には、7000億円もの金が消えたまま、いまだに行方が分からない。それが、不良債権となったのである。しかしそこに、なぜか、その後たびたび問題となった野村證券の田淵節也会長の姿があり、中曾根康弘、佐藤信二、三塚博、亀井静香という名前が登場していた。
舞台は、当時、収益日本一を誇る住友銀行であった。
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磯田会長は、いさぎよい迅速な辞任発表で、この一件を鎮静できると思った。ところが、早くから真相をつかんでいた報道界が追っていたのは、逮捕された支店長一個人と仕手集団の犯罪ではなかった。住友銀行そのものが、光進グループと密着して行動してきたことは銀行界で有名であり、その原因は、噂によれば、「磯田会長の一人娘が、暴力団の組員といい仲になり、その関係をビデオに撮影されて、脅迫されていた」という。
それを解決したのが、暴力団と交渉した伊藤寿永光という男であった。以来、山口組と関わりをもつ伊藤がいきなり住友銀行の商社部門であるイトマンの幹部にひきたてられ、地価暴騰のバブル経済を率いる"不動産"部門を担当する筆頭常務にまで成り上がった。その謎の男、伊藤寿永光が、7000億円以上の不正融資の泥沼に住友銀行をひきずりこんでいったのである。
しかも、その資金を生み出すため、住友銀行は、光進グループの仕手集団に融資し、仕手集団が暴力団と密着して行動していた。
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住友銀行と住友不動産は、いわゆる関西商法と呼ばれる強引な方法を使って、東京の青山など都心の土地を地上げによって獲得してゆき、そのあまりに傍若無人な手段が、そちこちで顰蹙を買っていた。しかし、それによって、住友銀行が日本一の収益をあげ、 "関西の銀行"から"首都の銀行"へ脱皮し、磯田会長が銀行界の覇者となったのである。その地上げ作業は、ほとんど暴力団の力を借りたものであった。また、その第一線の実働部隊となったのが、関西から東京に進出し、伊藤寿永光に率いられたイトマンであった。その結果、イトマンの不動産関連の借入金が、90年3月末には、1兆1800億円という天文学的な金額に達し、その融資先の不動産の大部分が、バブル経済の崩壊後、不良債権化しつつあった。
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光進グループの小谷光浩が東京に進出したのは76年だったが、彼は仕手集団として知られるようになってから、80年代には、中曾根康弘の政治団体「山王経済研究会」に入会し、そこに、野村證券の田淵節也会長が同じ会のメンバーとして参加していた。さらに、小谷光浩が国際航業を乗っ取った事件では、現在の橋本政権の大蔵大臣・三塚博が、"小谷光浩が国際航業の共同経営に参加する覚書"の署名に立ち会っていた。
さらにもうひとつ、橋本政権の通産大臣・佐藤信二の秘書・城文雄が、"小谷光浩が支配した国際航業の子会社ウィングの社長が設立した貴金属販売会社"の社長に就任していた。仕手集団コスモポリタンを率いた元山口組の池田保次は、橋本政権の建設大臣・亀井静香から大量の株を買い取っていたのである。
無数の政治家が、光進グループと密着し、野村證券がそこで指南役をつとめていた。それが現政府の人脈である。
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住友銀行の磯田一郎とならんで、イトマン事件のもうひとりの責任者は、住友不動産の社長・会長として君臨した安藤太郎であった。
戦後の住友銀行は、堀田庄三頭取のもとで復活してから、堀田に育てられた磯田一郎と安藤太郎が、両輪となって経営を受け継いできた。安藤は、住友銀行副頭取のポストから住友不動産に転じて社長となり、住友不動産販売の会長や、高層住宅管理業協会の会長となって、まさにビル建設で日本の天皇となったのである。したがって、磯田一郎より、安藤太郎のほうが、イトマンの不良債権については責任が重いと言ってよい。その権力の大きさを知っていたのは、住友不動産と利益の奪い合いを演じた地上げ屋たちであった。
安藤は、東京都心の地価暴騰の主犯者と批判され、ついに87年には、安藤会長の自宅が暴漢に襲われるという事件が発生した。安藤太郎に義弟・百合本悦造もまた、住友不動産の取締役となっていた。そしてなぜか、安藤太郎とかなり近い縁戚関係にあったのが、右翼の政商・児玉誉士夫に莫大な資金を与えていた - 野村證券の瀬川美能留だったのである。いや、それより身近だったのは、誰あろう、橋本龍太郎という人物であった。野村證券をめぐる証券不祥事が続発したときの大蔵大臣が、彼であった。
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中島義雄が問題になるのは、いかがわしい接待を受けたことではない。イトマン事件のため金融界が激動するなかで、海部俊樹・宮沢喜一の総理大臣秘書官となって、責任ある大蔵官僚だったことである。日本で深刻な経済崩壊が進行していることを知りつつ、建設国債を発行し続けてゼネコンの利益に奉仕し、われわれの借金を増やした。しかもその借金を、国民に付け回すという消費税の導入を首相たちに提言し、実行した大蔵官僚の当時の行動である。
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国民の預金を守るため、破綻した金融機関を救済する組織が、預金保険機構である。ここが今年(97年)2月14日、破綻した木津信用組合の整理に「1兆340億円を贈与する」ことを決定した。これも新聞の片すみに書かれていたが、1兆円である。
そのため預金保険機構は、7200億円の債務超過となり、日銀から新たに5000億円を借り入れることになった。ところが、日銀からの借り入れ限度額が1兆円なので、資金不足になる可能性が高まってきたという。たった1行の信用組合の経営破綻で、全預金者のための国家的保険そのものが、破綻しそうなのである。
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http://members.at.infoseek.co.jp/saitatochi/jo.html