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(回答先: 「鎖国派も開国派に」イラク派遣で首相、国民理解に自信 [新じねん] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 18 日 12:25:51)
ダカーポ533号より
メディア時評72 斎藤貴男
折りしも日露開戦百年。思わぬところで「皇国の興廃この一戦にあり」という言葉
が息を吹き返していた(p51〜52)
海上自衛隊の大型輸送船艦「おおすみ」(八九〇〇d)と、護衛艦「むらさめ」(四五五〇d)
とが、さる二月二十日に北海道室蘭港を出航した。イラク復興支援のため陸上自衛隊の車両や
資機材などを運ぶとして、三月中旬までにクウェートに到着する予定であるという。陸空海の
三自衛隊は、かくて創立以来初めて、海外で共同行動に入ったことになる<中略>「むらさめ」
が室蘭に寄航する以前、同月十六日に母校の横須賀基地を後にした様子である。実は新聞もテ
レビも、最も重要な事実、あるいは派兵の実態をあえて報じていなかったのだ。
なにしろ凄まじい光景だったらしい。午後四時の少し前に「むらさめ」が岸を離れると、音楽
隊が高らかに「軍艦マーチ」を演奏。艦上に整列した隊員たちを、家族らが日の丸や旭日旗を
振って見送った。基地周辺には歓声を上げる派兵支持派と抗議する反対派がそれぞれ二百人と
八十人ほど。月曜午後の時間設定が、労働組合関係者の動員を阻んだようだ<中略>問題は出
港を控えて隊員と家族、および限られた報道陣だけが参加を許された式典だった。防衛庁関係
者の来賓に浜田靖一・防衛副長官および玉沢徳一郎、中谷元の元防衛庁長官ら。そこで挨拶に
立った玉沢元長官が叫んだ。「皇国の興廃この一戦にあり」と。
これは一九〇五年五月、日露戦争における最大の海戦となるロシアのバルチック艦隊との日本
海海戦を控えて、戦艦「三笠」から、東郷平八郎・連合艦隊司令長官が大本営に打った電文に
あった言葉だ。国際信号旗として本来は<我々は引き船が欲しい>または<我々は投網中であ
る>の意味を表すZ旗を、おそらくは<最後の決戦だ>との意志を込めて旗艦に揚げつつ、「各
員一層奮励努力せよ」と続けられた電文は有名である。翌々1907年には「三笠」で指揮を
執る東郷長官の油絵が描かれ、やがて二一年には教科書『尋常小学校史』の挿絵に採用されるの
だ。そんな言葉が、二一世紀の現代に、またしても、他ならぬ元防衛庁長官の口から、戦地に赴
く自衛隊員らに向けて発せられたのである。
可能な限り調べてみたのだが、これだけのニュースを、しかし、まがりなりにも『毎日新聞』の、
ただし、翌十七日付けの神奈川版だけ、それも匿名扱いだった<中略>各紙、各通信社とも、地
元の『神奈川新聞』までが、玉沢発言には触れなかった。
二月一日に北海道の旭川駐屯地で行われた、イラクへ派兵される陸上自衛隊本隊への陸旗授与式
で小泉純一郎首相は「自衛隊は戦争に行くのではない。イラク人の再建の手伝いに行くのだ」と
語っていた、だがそんなセリフなど嘘以外の何者でもない、彼らの内々では完全に「気分はもう
戦争」である現実を、彼らの仲間うちでは“正直者”で通っているのであろう手合いの一言が、
たちまちあからさまにしてしまったのに。いや、誰の目にもそれとわかってしまうから、新聞も
テレビも、ことさらに目をつぶったのか?<中略>
折りしも今年二月は、日露戦争の開戦百年目に当たっていた。相も変わらず『新しい歴史教科書
』史観丸出しで読売新聞や産経新聞が展開している連載やシンポジウムを取り上げて、実態はル
ーズベルトの掌で踊らされていただけではないか。まるで同じアメリカのアジアにおける代理人
でしかない悲しい定め云々と書くつもりで念のためにデータベースを検索し、ついでに横須賀あ
たりの知り合いに聞いて回ってみたら、なんともはや、今時のマスメディアの戦争協力に行き当
たってしまった<中略>
ここまできてしまった。見ていて書かなかった奴。記者が書いてきたのに載せなかった奴。A級
戦犯だ。
以下の記事は1960年(昭和35年)2月の「週刊読売」の記事の一部です。
”軍国主義を鼓舞する″と、戦後長いことパージのうきめにあっていた日清、日露戦争のシンボル像が、さいきん旧陸海軍軍人の間でさかんに復元運動が進められており、なかには激しい争奪戦まで演じられるほどの脚光を浴びてきた。
陸軍側で東京都立美術館わき空き地で、人目をさけて″謹慎中″だった明治の元勲「山県有朋」「大山厳」両元帥像のかつぎ出しをはじめれば、海軍側では「皇国の興廃この一戦にあり‥」とZ旗をかかげ、日本海大海戦の旗艦として暗躍した戦艦「三笠」の復元に乗り出している。
戦後十五年間も、忘れかけていたこの軍国のシンボルがなぜ急に脚光を浴びてきたのだろう。
気の弱い国民たちの問では、ただでさえ進軍ラッパと軍靴)の響きが聞こえだしたきょうこのごろ、また軍国時代の悪夢がカムバックしてくるのではないか、と不安の念にかられている。
復元運動の先頭にたっているのが旧軍人とあっては、この国民の心配もあながち思いすごしと一概に片づけるわけにはいくまい。そこで銅像再建運動の背景と、それにからまる旧軍人の動きを、あわせて追ってみた。
″薩長連合″へ横ヤリ大山、山県両元帥像の再建運動の話が出たのは昨年の秋ごろ。
二つとも戦前は東京三宅坂の参謀本部前に、〕馬上ゆたかな軍服姿で威容を誇っていたが、戦後の〃銅像追放″でパージにあい、美術舘裏で野ざらしになっていた。
この銅像、山県元帥像は日展会員北村西望氏、犬山元帥像は旧帝展審査員の故新海竹太郎氏の作品でずれも大正、昭和初期彫刻の代表作。同じ軍人像でも鉄道博物館前にあった「広瀬中佐」像が銅像パージで鋳つぶされてしまったのに、両元帥の銅像は重要美術品という名目で原形を保ってきたもので、時価約一千万円というのがその筋の評価。この両元帥像を、出身地の長州(山口県)と薩摩(鹿児島県)が薩長連合で「我が郷党の大先輩を野ざらしにしておくのはけしからん」と、郷虫への誘致運動をはじめた。銅像を管理している大蔵省でも「国有財産だから、国有地に建てるなら‥‥」と郷里への払い下げの方針をほぽ決めたので、山口県では山県有朋公銅像再建会を結成、昨年暮れの二十七日には、あまりのことに、たまりかねた野村富三郎参院議員、宮中縞二郎氏ら旧海軍軍人が中心になり、それに財界から渋沢敬三氏らも参加lした。
かつての「三笠」の栄光を保存しょうと三十三年に三笠保存会を結成、防衛庁、大蔵省に働きかけた結果、防衛庁から五千万円、一般から一億五千万円の資金を集め、総工費二億円で復元することに決め、昨年十月に着工、今秋には昔の威容をとりもどすことになっている。
三笠保存会の話では「帝国海軍はなくなってしまった。その記念碑、お墓というような意味で、復元運動を進めている。単に思い出というようなつもりで、軍国主義の再現なんか毛頭考えていない」
同連盟の事業は@国防思想の普及H民防衛の促進H災害における救難C英霊の顕彰D道義心の高揚などをあげているが、同連盟で出している「桜星」という機関紙には
一、われらはどこまでも祖国を愛す
一、われらは、われらのカを集めて郷土を守りぬく
一、「みんなそろって「日の丸」を掲げ「君が代」を歌おうという標語をかかげており、どうやらその主張するところは軍国主義的な色彩が強い。
現在運動している事業を聞いてみると@安保改定促進H建国祭の制定H憲法改正がおもなものだが安保改定運動では安保改定国民連合会に所属、一日も早く批准しろと各地で講演会、パンフレット作成などPRにあたっている。
建国記念日の復活にも熱心だそうで、自民党祝祭日調査会に現在の祭日を検討、二月十一日の紀元節を復活しょうと働きかけているそうだ。この七日に横須賀では同連盟所属の旧軍人たち六百人が集まり「自分たちの国を誇り、隆盛発展を願うため、紀元節を国民の祝祭日にせよ」という紀元節復活促進大会を行なった。もう一つの祝祭日に八月十五日を英霊慰霊の日として加えろというのも、いかにも旧軍人らしい主張。憲法改正については、天皇の地位が不明確なので、これを明確化、つぎに祖国愛を強調し防衛力を保持するように改正しろというのが要点。、どうもこの考え方をみているとこちらまでが、銅像と一緒に戦前に逆もどりさせられてゆくというような錯覚にとらわれてしまう。強大で危険な政治力こうした動きについて警視庁公安三課では「組織が大きくなってきたので注目はしている。しかし別に公安上の問題を起こしているわけではないから、取り締まりの対象にはならないと語っているが、はたしてそんなものだろう
か。
同連盟は、三十一年の参院選には元大本営報道部長松村秀逸氏、元海軍中佐大谷藤之助氏を出馬きせ、両者で得票数六十四万七千票を獲得、見事に当選。同じ選挙に共産党は三人の全国区候補をたしたが当選者はわずか一人、三人の得票数も合計五十九万九千票で、旧軍人組織、共産党を破るという成果をあげたのを皮切りに、同連盟など旧軍人組織を母体として、現在では衆、参両院に前記の松村大谷氏をはじめ、野村吉二郎元海軍大将、保科善四郎元海軍中将、下村定元陸軍大将、辻政信元陸軍大佐などを送りこんでいる。
ことに松村氏は自民党の国防政策を立案する同党国防部会の部長で、野村、.保科氏も同部会のメンバ−で、その意見は防衛庁の防衛計画などにも強く反映しているといわれるだけにか旧軍人古巣に帰る″というのもあながち言い過ぎではあるまい。
このように背景をみてくると、旧軍人の銅像、三笠復元運動がどのくらい、根強いものか、その政治力も、ハタでみているよりずっと大きいものに気がつくことだろう。
旧軍人のこうした動きに対して、ある元陸軍中将は「郷友連はどの政党にも負けない大きな組織をもっている。現在の中枢部の人は立派な人だから大丈夫だと思うが、軍人というものは命令に対しては絶対服従という性格をもっている。これを利用、将来万一政治的野心を持ったボス的存在が牛耳った場合、とんでもない間違いを起こさないかと心配している」と語っていた。
兵隊の経験のある作家・菊村到氏も「敗戦の責任者たちが、政治団体ではないといいながら、安保改定、・憲法改正など政治色の強い運動を行なっているのはどうかと思う。こんな人たちが敗戦を忘れ、再軍備に血みちをあげることになったら、また恐ろしい時代が来るだろう。”老兵は消えていくのみ″が歴史の条理ではあるまいか。郷友達盟が戦争を知らない若い人たちにも呼びかけているのには警告を発したいと思う」と語っていた。
■自衛官だって職業だ
――自衛官の項目だけ十三ページにわたり、詳細な募集要項まで記載されている。圧倒的な分量だ。なぜか。
「イラク派遣問題を見越して書いたわけではない。それ以前に書いたものだ。高度成長のころは工業高校を出て、たとえば溶接工になる人たちがいた。高度成長を支えたのは彼ら熟練労働者だ。今そういった仕事場が減りつつある。商業・工業高校出身者の仕事が少ない。そういった状況で、政治・倫理的問題を除外して生活の糧を得る『職業』として自衛隊を紹介しようと思った。ぼくは自衛隊基地の街、佐世保市で育って自衛隊の友人も多い。自衛隊ではヘリコプター操縦や、通信・IT(情報技術)から土木技術までさまざまなスキルを習得できる。戦争では、殺人と破壊だけではなく、すべてのことをやらなければならない」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040202/mng_____tokuho__000.shtml